PART1:昭和59(1984)年冬期〜昭和61(1986)年冬期まで

取りあえず倉庫をひっくり返したら、25枚ほど出てきました。なかなか物持ちがいいでしょ?(笑)
ではでは、スタートしましょう。


・昭和59年冬期〜昭和60年春用(国鉄)

・価格:10,000円
・パンフのサイズ:B5
・キャッチフレーズ:「青春王者よ。行け。」

 このころこの時、わたしは某短波放送にはまっていまして、18きっぷで東京まで行ったものです。1回くらいは嘘付いて行ったこともあったな(笑) もうそのときはその次の春にとある事情でその番組自体が終わってしまうと言うことでいろいろとかこつけてとにかく東京のスタジオに行きたいよ〜、というのがそのころの私の全てでした。

★そのころに現役だった列車[1984年6月の時刻表より]
北海道に急行天北、しれとこ、はぼろ、かむい、ちとせ、ニセコ。特急おおとり、北海。東北にやまばと、天の川、臨時の「あおもり」は名古屋発。常磐線のメインは急行「ときわ」、中央線に「きそ」「赤倉」が定期で走る。九州に「平戸」「かいもん」、難波発白浜行き「きのくに」。「かすが」「紀州」「平安」の3階建て列車。
 懐かしい限りの列車ばかりです。とはいいつつ、自分は殆ど拝見していませんが。
・昭和60年夏用(国鉄)

・価格:10,000円
・パンフのサイズ:B5
・キャッチフレーズ:特になし。

 なんかこの夏も東京の方にラジオの公開放送を見に行っていたような覚えがあります。また地方独自で番組のリスナーが集まっていろいろ遊んだりしていたのですが、そういうときにお出かけの時際にちらしを駅から持ってくる・・・というのが資料収集のパターンでした。(高校は自転車通学だったため、鉄とは無縁だったのだ)

★このころ走っていた列車:
名物「α」列車:「ご利用の状況によっては、来年の春以降運転を取りやめることがある列車です」というふれこみ。その殆どがめでたく定期列車に「昇進」したらしいですが。
まつかぜがなくなり「いそかぜ」に。昼行特急から食堂車が無くなる。新特急出現。快速「くりこま」急行「奥久慈」「ごてんば」「十和田」消滅。科学万博開催。急行ときわが全滅。鹿島臨海鉄道開業。特急白鳥・1往復に戻る。特急指定席に禁煙席。

 
・昭和60年冬〜昭和61年春用(国鉄)

価格:10,000円
パンフのサイズ:B5
キャッチフレーズ:「十八少年漂流記。」

 写っている車両は、オハフ33 2431です。この車両に関しては、全くわかりません(笑)けどそのころにすれば、なかなか派手な演出だったのではないでしょうか。このころで国鉄の旧型客車は姿を消していきましたし、50系客車ではする事の出来ない演出だと思います。

 広告企画の詳細に関しては・・・・全然覚えていませんなぁ・・なにせ13年前ですから。そのころ私は高校2年生でした。(笑)
・昭和60年夏用(国鉄)

価格:10,000円
パンフのサイズ:B5
キャッチコピー:「朝から100回目のコンニチワです」

 このころはまだ「エキゾチック ジャパン」のキャンペーンが行われていたのか・・・・なつかしい〜(笑)
 フィルムそのものをワクにしてレイアウトするというのは35ミリフィルムではよくある話ですが、この広告ではコダックのEPR(エクタクローム64)をモチーフにしていますな。

 ところで、この写真、場所ってどこなんでしょう?海沿いでキハ58が走っていて、じっくりロケハンが出来るところと言うのは、場所が限られるはずですが・・・・

 ちなみにあのおにぎり、ご飯にすると茶碗何杯分あるんだろ・・・・(笑)
・昭和62年春用(国鉄)

価格:11,000円
パンフのサイズ:B5
キャッチコピー:「想い出の、前売鑑賞券です。」

 いよいよこの冬を越えると新会社に移行すると言うことで、右下に卵のロゴが入れられています。私もいよいよ高校卒業と言うことで、自分の世界が変わると言うことに大きな期待を抱いていました。
 とは言っても、このときも確かちらしを見ただけで終わってしまったような覚えがありますが。
 
 あ、そう、このころはまだ学生だったので、しっかりと「おとしだま」がもらえたのです。そのなけなしのお金をはたいて切符を買う。ラジオ放送で知り合った仲間と会うために東京に18切符で行く。そんなことの繰り返しだったのでした。けどそれが楽しくて仕方がなかったのがそのころの私だったのでした。


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