PART2:昭和62(1987)年春用〜平成元(1989)年春用まで


・昭和62年春(国鉄千葉ローカル企画用)

価格:11,000円
(この)パンフのサイズ:B5

 何かとそのころはお騒がせ?だった国鉄千葉鉄道管理局の作ったパンフです。(そのころの知り合いに送って貰った資料の中から発見)裏面には千葉から2200円でどこまで行ける?という地図があったり(そのときの運賃では湯河原や雀宮)と、なかなか当時としては凝った作りをしていました。
 ちなみに懐かしいトレードマークとして、当時の「トクトクきっぷ」の「とくとくらくだ」が描かれています。このラクダマークもそろそろ知る人が少なくなってきたような気が・・・

 そのころ私は大学も推薦で決まり、お金もなく家でうずうずしていました。なにせ午後起きて、昼御飯食べて、うだうだして夕御飯食べて朝までラジオ聞いて、寝て、また起きるという生活・・・・どうりで、と言うわけで私はそのときに運動せずして3キロ以上やせてしまいました(笑)
・昭和63年春用

価格:11,000円
パンフのサイズ:A4
キャッチコピー:「おんもへ出たいと、待っていたんです/
                春が来るから、行こうよね。」

 はい、カワイコチャンシリーズの決定版です。もうアイコラ、いやアイドルファンのあなたにはたまらない?企画です。車両からすると、オハ61あたりでしょうか。この手の車両は、たしか会津方面で最後まで使われていたはずです。

 このころの私は免許もなく(ハタチになってから取りなさいと言われていたため)、ただ日々大学と近所のハンバーガー屋の間を往復する毎日でした。ソレが青春だった、と言えばソレまでですが・・・。

・昭和63年夏用

価格:11,000円
パンフサイズ:A4
キャッチコピー:「18の夏、捕物帖。」

 ここからしばらくの間、同一人物が登場します。よく見るとこの画面ではわかりませんが、うしろに113系か165系が写っています。あまりに人物本位に写しすぎて、開放絞りですっ飛ばしてしまったのでしょう(笑)
 しかし駅にストローハットでタモもっている女の子って、今時、いやそのとき(10年前)でもいないはず・・・・・どうもバブルの頃は広告の感覚までも泡の中で踊っていたのでしょうか?

 ちなみにこの夏、私は初めて北海道上陸を果たします。学割特権を使った北海道ワイドで。そのワイド周遊券もこの春でなくなってしまいます。なんかどんどん過去帳になっていくモノが増えていく・・・・
・昭和63年冬用

価格:11,000円
パンフサイズ:A4
キャッチコピー:「瞳の冒険。18の冬。」

 このシリーズは続きます。兎を抱えた少女がご覧のレイアウトの光景に立つ。どうみてもリアリティの世界からかけ離れた光景ですね。これはちょっと派手にやりすぎですね。冷静になればなるほど、旅をおこさせようとするには程遠いかも・・と思ってしまいます。

 どこで撮ったのかはしりませんが、後ろの車両はタラコ色のキハ47ですね。もうこの塗装の車両自体、たしかないはずですが・・・

 このとき私は大学2年生だったのですが、一番バブリーな時だったと記憶しています。私も念願のクルマを手に入れて、るんるんな毎日だったのでした。
・平成元年春用

価格:11,000円
キャッチコピー:「陽の当たる音がする。ぽかぽか」

 どこの代理店が考えたのかは知りませんが、広告というのは目的を達成するための「訴求効果」が無くてはいけません。そういう意味からすれば、この広告はミスマッチだったといえるでしょう。
 けど、そのころの自分を照らし合わせてみると・・・・意外や意外、私の周りではアイドルが流行っていました。雨後の竹の子のように出てくるカワイコチャン。そう、唄はそこそこでも、ルックスだけで結構イベントとかでもカメラ小僧は集まったモノでした。ということで、そのころの自分の周辺からして、このような広告があったとしても特段違和感というモノは無かったのだと考えることが出来ます。

 このころ、私は大学3年になろうとしていましたが、単位を3年で取ってしまおうという悪略(笑)に出ようとしていました。3年で勉強終わらせて、4年はバイトして派手に遊んでやろうとしていたのでした。

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