おまけ(PART6)

家の倉庫を整理していたら未掲載の物が出てきたので、追加という形で紹介します。


昭和62年(1987)年夏用
お値段:11,000円

コピー:何かを待ちつづけていた18の夏。


 まず最初は、私が19の時のもの。
 大学に入りたてで、その夏はバイトに目覚めてハンバーガーを一生懸命焼いていました(笑)

 このちらしは、JR東日本の千葉支社の物。裏には「夢を買う」というコピーが書かれています。
 いいじゃないですか。このサイトを読んでいるあなた、一度でも18きっぷを「夢を買う」と思って買ったことがありますか?夢を買うのは宝くじだけじゃないのよん。
 さらに。Q&Aとして「普通列車だけなのはなぜ?」という問いに、「ヤングの皆さんに、自己の能力を十分発揮した鉄道旅行を体験して貰い、視野を広げ、知識を深めて欲しいと企画した物で、それにはローカル列車の旅がピッタリ」と。
 そういう旅をしていますか?みなさん。いまなんて18きっぷのマニュアル本なんて出ていますが、私は個人的にはああいう本はキライ。旅の本なんてのは、時刻表一冊でたいていは間に合う物ですから。(笑)
昭和62年(1987)冬用
お値段:11,000円
コピー:「新聞紙もウールになる冬。」


 はい。奇妙なポーズの広告企画という物はいろいろと出てきますが、このポーズはやっている身としてはちと辛い物があるのではないかと思います。
 なにせ、オトコが新聞紙をかぶって駅や列車の中で寝るというのは貧乏旅行大好きな方なら誰もが1度や2度はやったことがあると思います。私も事実そうでした。「ふるさとライナー山陰」や、大垣夜行の車内でやったことあります。新聞紙というのはすんごく保温性がよくって、暖かいんですよ。けど、可愛い女の子(このころは最初の18切符の趣旨にそった、高校卒業程度の若者が旅をするというセッティングにしてあるのでが新聞紙をかぶってナントカというのは、今思えばちと可哀想なやり方だったのかも知れないですね。
 全然話は変わりますが、最近帰りの関西線電車の中で網棚に置かれている新聞の数がめっきり減りました。やはり不景気だからなのでしょうか?
平成4年(1992)夏用
おねだん:11,300円
コピー:「出会い」なんてコトバ、古くさいと思ってた。


 「出会い」というコトバは、あなたにとってどこにあると思いますか?私の「人生にとっての出会い」は、「旅」の中にあったと思います。最愛の相手こそ仕事絡みでしたが(笑)、友との出会い、色々な人間関係を覚えたことも、見聞を広めたのも私にとっては「旅のあいだ」だったと思います。

 ちらしの本文の最初のくだりは「自分の部屋を何日も、何キロも離れる旅をしてみませんか。」です。私にとっての最長「自分の部屋から離脱した時間」というのは、大学の卒業旅行でバックパッキングして南西諸島を歩いた、という時でしょうか。今はもう8年も前のことです。
 ちなみにそのザック、今でも年に1回は使いますね。押し入れから出してくるとなんか無茶苦茶嬉しいですね。けどまだ1回も洗濯していません。汚い話でごめんなさいね。(笑)
平成5年(1993)冬用
お値段:11,300円
コピー:この街で育ったら、どんな私になってただろう


追加シリーズ最後は、平成5年冬のものです。
このちらしの最初の下りは、「日本はせいなんて、でたらめだ。初めての駅に降り立つたびに、そう実感するはずです」とあります。
 その頃私は25でしたか。この時私は前年の「納沙布岬のトイレでビバーク」という悪体験に懲りて(笑)、ちゃんと年末年始の宿を確保して北海道にいざ8回目の旅に出るぞと家を出たのでした。
初めてのビッグバード(羽田空港)。初めて乗った747。寝過ごして広尾行きのバスに乗ろうと思ったのに置いてきぼりにされた(いまでも恨んで居るぞ>あのオンナ)えりもYH。本当に寂しい冬の襟裳岬。全然暖房の効かないれーるばすのふるさと銀河線(まぢよ。これから乗る人気を付けてね)。初めて食べた北見の回転寿司「トリトン」。
 大晦日の異様な光景。釧路から夕方の根室行きに乗れば、それはユースやとほ民宿に年越しに行く連中の御用達列車だった。浜中でYHときりたっぷ里に行くお客がおり、東根室では友知YHに行くお客がドドッと降りる。今でもそうなんでしょうかねぇ?民宿やYHの経営は厳しくなるばかり。そんな光景をもう一度確かめに旅に出たい物です、が、金がないんだよな(自爆)

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