=このページは2001年夏版からです=

★2001年夏用

キャッチフレーズ:「夏休みは、寝坊が一番もったいない」

お値段はそのまま、11,500円

 ロケーションは紀勢本線の大曽根浦駅。以前ご近所の二木島駅も取り上げられたことがありますから、久々にロケハンの舞台として紀勢本線が帰ってきたことになります。場所は大曽根浦の駅の南から、対岸の方を眺めた物。前は尾鷲湾、この山の向こうは海山町、写真左手は尾鷲市街、という光景です。尾鷲市街のはずれですので、この光景を眺めに行くのはそんなに苦労はしないでしょう(笑)
 さて、この写真は(自分は昔その隣町の海山町民だったので)朝の光景だと思うのですが(だって、キャッチが「寝坊が〜」だから)、港町のまだ明け切っていない朝の空気、というか空間という物をうまく表現していると思います・・・奥行きと、空間と、色合いも。実際この時間にこの光景を遠くからやってきて味わうにはクルマか泊まって、ということになるのですが(たぶん(笑))・・・。

 普段体験することのない空間に身を投じるのが「旅」、ということ。見知らぬ街の空気、光、空間を感じてみる。今回のポスターはそんなささやかな体験という物に身を投じて見るという提案ですね。「大垣夜行が通勤電車に変わる」なんて大騒ぎばかりしているんじゃなくて、きっぷの本来の目的も感じて欲しいな、というメッセージかも。そんな事をちょっと感じた館長でした(^_^)(2001.7.4)
★2001年冬用

キャッチフレーズ:「なんでだろう、涙が出た。」
お値段はそのまま、11,500円  ロケーションは山陰本線の鎧(よろい)駅です。

 「ひとりして、涙する」−このシーンから連想されること・・・・・・・。
 それは、「個性」というコトバの本当の意味というのを自分自身で問い直してみないか、という事です。個性、すなわち、個の性質、つまり個性というのは人間一人一人が持っているその性質というもの。それは自分勝手やわがまま、思うがまま、事なかれ主義や個人の勝手主義といった現代の風潮とは「個性」というものは違う物なのだ、という事です。世の中、なんか少しレールがゆがんでいます。
 当たり前のことだけど、人間は一人では生きてゆけない、最小単位である「個」になったとき、己の素性がどの位であり、己の限界を知る事が出来る、だからこそ人はひとり旅をすべきだろう・・・・、そして己を知り、また大きくならなければいけないと思いつつ時の波の中に帰ってゆく。それが「ひとり旅」のストーリー。
 個の組合わさりが社会であり、個の性質=個性の良き組合わさりこそが本当の豊かな社会を作り上げているのだと言うことを私たちは再認識する必要があるのかも知れませんね・・・。 (2001.12.21記)

2002年春用

キャッチフレーズ 「タンポポみたいに旅にでた」

お値段はそのまま、11,500円 ロケーションは五能線の轟木(とどろき)駅です。

轟木というと鉄道ファンからすれば荒れた日本海の様相を思い浮かべる方が多いのでは−と察します。私も一度だけ乗りつぶしで通った(笑)ことがあります・・・・。印象としてはこんな轟木駅のイメージの捉え方もあるのかな、と思いました。
コピーとの釣り合い・・・・タンポポの羽根見たいに、ふわふわと、どことなく春の風にまかせて、どことなく旅に出よう、レールに乗って、という意味合いならば、春のイメージで、と行きたいのでしょうが、そう言うストレートなイメージでは表現しない広告イメージ、何か考えさせるというのもの訴求効果の一つの手段なんだと思います。 当然いま行ったら、五能線のその場所はポスターで見たイメージとは違うでしょう。
一般的に言われている概念がそこの印象すべてであるとすれば、そんなことはない、そこに行き、その場に立ったとき、自分なりの印象やイメージを持てることって、それもまた大事なことだと思います。

少しこのイメージから何か事を考えようとすると、少し難解かも知れません。しかし本能的に旅を愛する人であれば、本能的に受け止められるとこころ、ありそうです。考えることを要求する広告。それもまたげせない世の中で残っていかなければいけないものだと強く思います。
(2002.3.12記)
2002年夏用

キャッチフレーズ「自分の部屋で、人生なんて考えられるか?」

お値段はそのまま、11,500円 ロケーションは山陰本線・折居〜三保三隅(島根県)

今回からシーンが駅を飛び出しました。山陰本線の海岸線が今回のロケーションです。
皆さんは何を考えるでしょう?

私は、時代その物を表している、何か考えているんだけど、時の流れに付いていかなければいけないんだけど、何を考えていいのかわからない。そんな図なんだと思いました。一見明るい夏の海に見えても、そこには何を考えて時代の流れに付いていけばいいのかわからない、そんな図を思い浮かべました。つまり、この図はメッセージを伝えているのではなく、時代の主役の置かれている悩める姿、という風に見えました。

時代の流れは右の列車。時の流れは気になるけど、時の流れとは少し距離を置いて。ボーダーなところにいる時の主役。続きのメッセージは何でしょうか・・・
(2002.7.10記)
2002年冬用

キャッチフレーズ:「冒険が足りないと、いい大人になれないよ。」

お値段はそのまま11,500円 ロケーションは大湊線・有戸〜吹越(青森県)

#写真が暫定のものになっています、ご了承ください

いま自分たちに足りないことって・・・・・それは自らが色々な未知なことを体験していき、そして自らが強くなっていくことなのでしょう。
今までの価値観が急速に失われ、そして過去の概念が通用しなくなるとき。そのとき求められているのは、自らが今そのものを逃げずに経験していくこと、それしか前に進むことはありえない、そういうことなのだと思います。
冒険というか、リスクは恐れず、前に進む。すくんでいる世の中ない間だからこそ、そんな事が求められているんでしょう。

それは(本来の)きっぷのターゲットである若者だけでなく、世の中すべてのヒトに言える事なのだと思います、きっと。

世の中バーチャルでどんどん済んでしまうようになってしまい、なんか薄く、短く、ゆとりがなく、そんななんかうすっぺらい世の中になっていくような気もするのですが、やはり人間の世界に棲んでいる以上は、人との交わりを通して生きていかないと生きていけない、世の中に踏み出さないといけない、出ておいで、自分の殻に閉じこもっていないで。そんなシグナルも感じます。
(前回の作品からの続きとして、「)汽車という世の中の船」に乗って、そこにいるいろんな人の生きる姿を見るんだよ、そういうシリーズのストーリー性を持たせているのかな、と思いました。

(2003.1.2記)
2003年春用

キャッチフレーズ:「この旅が いまの僕である」
お値段は今まで通り 11,500円 ロケーションは高山本線・焼石〜飛騨金山

#写真が暫定のものになっています、ご了承ください

よく自分探しの旅とか、自分を取り戻すために旅に出ます、なんていうかっこいいふれこみを考えたり、口にしてみたくなります。またそういう事をつい口にしてしまうことがある方もいると思います。
果たして、旅というのは「現実と違う世界に身を置きに行くこと」なのでしょう。
今の自分の置かれた世界と違う世界にいったとき、そのとき自分自身という物に気付くことが出来るでしょうか。またそこまで考える余裕が自分自身にあるのかな・・・。

そういうことって、本来「旅のもっている基本的なエッセンスの部分」なのでしょう。
けどこんなご時世、考える余裕や気持ちのゆとりをそいでしまうような世の中。
そんな中で、そういうエッセンシャルな部分に私たちは気付くべきなのかも知れません。


写真のインパクトが、コピーとうまくマッチしていないかも・・・・(笑)
(2003.5.9記)

前のページに戻る 次のページへ 18きっぷ企画のトップへ トップメニュー