●第2節 石垣島と竹富島●


●一期一会

 翌日、天気は晴れ。船は奄美などをかすめ、どんどんと南に進んでいきます。

 冬といえども、日差しはやはり南国。海の色が違います。
 私は一人だったのですが、良く覚えていないのですが近くにグループの旅行者がいたので仲間に入れてもらって、UNOをすることになりました。
で、近くに外人さんがひとり。慣れない異国での一人旅という人に初めて出会いました。きっと本当だったら、自分がそういう立場に海外でなっていたのかも知れません。
向こうもなんかこっちの方が気になっていたので、慣れない英語でUNOに誘ってあげました。なんでUNOだったのかというと、トリセツが輸入物だったので英語で書いてある。だからやり方の説明は英語で見てもらえばいい。ってなわけで、向こうも説明を見て、すぐに大盛り大会となったのでありました。

 よくよく片言で話を聞くと、「ジャパンレールパス」で2ヶ月ほど、日本をあちこちと旅行しているのだそうで、最後に沖縄に行く、とかいう話でした。んで、最終目的地は広島なのだそうで。どうしてかというと、実はこの方アメリカのとある大学の日本校の教授として日本に赴任するまでのあいた期間の放浪旅をしている、そういう話だったらしいです。なるほど、なんかうらやましくなっちゃいました。むこうはとは学期が日本と違いますから、それだけ合間の期間に日本をいろいろと見ておくんだ、そういうことだったのでしょう。

 船は昼頃には辺戸岬を過ぎ、沖縄本島のそばをどんどんと那覇に近づいていきます。いよいよ沖縄。やはり前述の通り、海の色、日差しともにぜんぜんちがいます。

結局待ち合わせだけのためにいただけなのですが
一期一会な思い出のある那覇港ターミナル。

 那覇の港に着くと、私はそのまま同じ船で夜に石垣に向かうのでこの場でブレイク。
一緒に降りた外人さん、電話でなにやら格闘中・・・・・・よく聞けば、今日の宿を取ろうと思っているんだけど、外人だと言うことと、言葉が宿の人になかなか通じなくて苦戦している様子。いろいろ手助けしてあげたのですが、なかなかうまく行かなかったのかな、最後にはギブアップしたのか、電話ではあきらめて私にお礼を言って、町の中へと消えていきました。

 私はそのまま同じ船でまずは八重山に行くことにしたので、きっぷを買ってこのままトランジット。近所をうろうろしましたが、結局どこに行ってなにをしようとも考えていなかったし、午後7時の出航だったので、待合室でうろうろと時間をつぶします。左の写真のように、閑散期だったのかは知りませんが、すごく寂しい時間だけが過ぎていきます。まあ船で行くような人間の方が異端なのはわかってはいましたが・・・・(笑)

けどびっくり。
乗船時間になったら、その外人さん、というか教授さま、見送りにきてくれたんですねぇ。
これにはびっくりというか感激というか、義理堅いというか。いままでそういうことはなかったので、言葉は通じなくても思いは通じるんだぁ、って、ちょっと感激してしまいました。しっかりお見送りをしてくれて、私は再び「ぷりんせすおきなわ」に乗り込んだのでした。


●一路石垣へ

反時計回りにぐるっと一周するような感じで
回りました。作成=館長謹製(^^)
今はどうか知らないけど、12年前の石垣バスターミナル。
やっぱしどことなくのーんびりとしていていいでしょ?

 旅は出会いと別れの繰り返し。
 また私はソロな旅人となって、石垣へと向かいます。なんか知らないけど、那覇からのお客さんは多かったです。結構揺れまして、げんなりでした。途中、深夜になんか船が異物に当たったような衝撃があったのですが・・・・(笑)

日常からかけ離れた、別の世界に自分を置くこと、それが旅の一つのスタイルだったりします。もちろん、それは一人の旅にしかできないことなのかも知れません。ましてや一ヶ月なんて出来るのかなあ、と。ひとつの挑戦だったりもします。
 
 石垣は初めてだったし、荷物がでかかったので、バスの時間とにらめっこして、とりあえず白保まで行くことにしました。白保まではバスの本数も結構あったので、市内でうろうろしていても仕方がないということで、行けるところでバスの段落とし(次のバスを待つ)をする事にしました。

当時、新石垣空港を白保に作るかどうかでもめていた覚えがあります。ニュースショーなんかでは結構センセーショナルな伝え方をしていたりしましたが・・・・・なので、白保というところがどういうところか見てみたい、ということで訪ねたのでした。
(けど、初春だったし、私は潜るとかそういうことは当時は興味もなかったので、なんとなくだらだら・・・という感じで)
とりあえず、バスに乗り、25分ほどで白保につきます。バス停に降り立ち、なんとなくふらふら・・・・・
なにもない、まったりとした雰囲気です。人も歩いていなければ、観光客もいない。これで晴れていれば、最高なんだけどなあ・・・・と思いつつ、どんよりとした雲の下、海岸に行ってみました。
なんてことはない、サンゴだの騒がれているけど、陸からは何も見えず、ただの石ころがごろごろしていてる浜だったのでした。
特別になにか感じることもなく。町の中の食堂に入って、「のど自慢」を見ながら昼御飯。そういえば、家を出てまともにご飯を食べるのは久しぶり(最初からケチケチ作戦で行っていたので、ろくなものを食っていなかったのだ)。カツ丼とそばのセットで450円。これでもえらい充足です(^^;
なんか今でも凄く印象に残っている、ただのなんとなく普通な昼御飯でした(笑)

白保からこの先は、1日数本しかないバス路線をを星野というところまでのんびりバスの旅。本来なら直通で50分でいってしまうところ、5時間もかけてしまいました。おそらく同行者がいたら発狂されてしまうようないいかげんな珍道中です(笑)
琉球独特のお墓とか、さとうきびの畑とか。いろいろ車窓を楽しみながらの旅です。
YHの前は「星野」というバス停。ここから海側に少し入ると「トレック石垣YH」につきます。
ちよっと早かったので、チェックインしてまた近所の海を徘徊。
相変わらず天気は良くないし、浜は砂浜どころかサンゴの石だらけの海。なんかむなしくなってしまいますが、何もない中でやることを見つけたり、周りを観察するいい練習にはなりました(笑)
トレックYHは2段ベッドのお風呂はシャワーな小さなYH、きょうは奥さんが私を含めて二人のホステラーを相手してくれます。YHのハンドブック(当時)をみていたら、旦那さんがペアレント(今はマネージャーっていうらしいけど)になっていたけど、その日は一度も姿を見ることはありませんでした。
YHのまわり、っていうか沖縄道中どこでもだったのですが、そこらじゅうでハイビスカスを見ることが出来ました。年中花のあるくらしなんて、うらやましい限り・・・。
 食事は結構量があったというか、種類がありました。なんかYHといえばひもじい食事が連想できますが、この日はアタリでした(笑)
奥さんはいろいろと山からの展望の写真とか、楽しそうに見せてもらいました。
同泊の人は、きょうは与那国に日帰りで行って来たとかで、楽しそうな話をいろいろと聞かせてもらいました。出来れば行きたかったのですが、最初にある程度予定を決めて旅行をする傾向が強かった私は、予定を変更して与那国に行くことはしませんでした。今思えば、日本の端まで行っておくべきだったでしょう。非常に悔やまれます・・・・・。

白保で見かけた犬。なぜか
ずぶぬれ。海がお好き?
星野バス停と「共同売店」。バスの時間・・・これじゃ
わからんって(笑)写真右手に入っていってYH。
ハイビスカスは年中咲いています。天気悪かった
けど、とりあえすパチリと。YHの庭にて。

宿の前のバス停には、「共同売店」なる建物がありました。その前がバス停なのですが、ごらんの通り、これじゃあバスの時間もわからないって(笑)
どうやら集落で管理している建物なのかな。(以前なんかで見聞きした話だと、当番制で持っているとかいう話も聞いたことあるけど、実際はよくは知りません・・・・)
1時間ほどバスに揺られて、川平に到着。時計逆回りで行ったので、人気のないのんびりとした光景の中を進んでいきます。2月といっても、海は蒼く、原色の世界が否が応でも飛び込んできます。大学の間はずっと北に通っていましたが、南は南なりの意識しなくても飛び込んでくる光景に魅せられる世界があるのだな、と今ながら思ってしまいます・・・。

川平湾で見た難破船。朽ち果ててます・・・。
(よく見る川平の観光版は、パンフでどうぞ(笑))

 川平湾(よくパンフで見る光景)を見て、浜に降りて、なんとなく3時間ほど過ごします。お昼ご飯は沖縄そばに味ご飯のおにぎりがついて400円・・・・なんかとっても得した気分。
 昔(小学生の頃)、家族旅行でいった沖縄旅行、ムーンビーチで喰った沖縄そばが異様にまずくて、その後15年以上「沖縄そばはまずい」というのを親から刷り込みのように言われ続けていたのですが、その疑念というか洗脳というのは、そのときやっと晴らされたのでした・・・・・(笑)

川平ではグラスボートとか遊覧船とかあったんだけど、あんまし天気も良くないし、浜の方に降りてちょっと先の方までぶらぶらと・・・・だいぶ奥の方にいったら、写真のような光景に・・・・(本当はもうちょっと奥の方まで行けたらよかったらなあ、と思ったのですが・・・(笑))

 石垣の町に戻ります。ちょっと写真用品で忘れてきてものがあった(ブロワを忘れた、写真する旅人にとっては、ダークバックとかブロワとか、お手入れグッズを持ち歩かないと大変なことになるのだ、事実この後もないと困ることに結構遭遇したので・・・・デジカメ時代な今では考えられないことです、はい)ので、カメラ屋を3軒ほど回ってしまいます。あといろいろと絵はがきを買って。実は年賀状をその年は出さなくて、今回の旅行(本当は欧州旅行だったのに)の道中で出していこう、と思ったりしていたので、石垣のおみやげやさんでいろいろとまとめて買っていきます。
 ついでに町中をいろいろと回りましたが、ケンタッキーはあるわ、モスはあるわで・・・・結構石垣って都会なのね・・・・って(笑)
この日はふたたびYHに戻ります。ちなみにバスは金券式回数券(1000円分で1100円乗れるやつ)を買って動いていました。知っておくと結構おトクかも知れません。

●竹富で連泊

竹富ラフマップ@館長謹製です(^^)
白ナンバーに「有償輸送」の文字。道路運送法では
合法な項目の一つ だそうです・・・。竹富港にて。
2泊泊まった「高那旅館」。島の真ん中なので
何かと便利です。YH扱いは奥の2Fのところでした。

 翌日はYHからまっすぐ石垣港へ行きます。
 石垣港からは八重山観光フェリーの高速船で竹富へ。フェリーもあるらしいのですが、1日1便だったっけ?では選択肢がないのと同じで(笑)。片道510円であっという間です。

 港には「有償輸送」のバンが並んでいました・・・・・・バスでもなく、道路運送法の特例でこういう事が出来るらしいです。けど乗っていくのは、いうまでもなくパッケージの観光客ばかりでして。こういうソロな旅人いうのは、いませんでした。
有償輸送のバンが出ていくと、シーンと静かになってしまいました。私は歩いて島の中心にある、高那旅館(YH)に行くことにしました。
車が走っていない、森に囲まれた集落の中をゆっくりと歩いていきます。なにせ車の音もしませんし、喧噪というものがありません。歩いた距離は数百メートル。ほどなくして宿に到着、宿泊の手続きをします。
 予め写真もいろいろと撮りたいと思っていたので、効率よく撮れると思った竹富島をまずは、のステイ場所に選んだのでした。宿に荷物をおいて、ぶらぶらとスナップショットを狙いに行きます。だいぶ調子よく、フィルムが巻きあがります。
 まだお昼だったので、ちょっとスナックをかじったりして(また悪い癖・・・・)、さっき石垣で買ってきたはがきのカキカキを始めてしまいます。いろいろ見て回るのもいいのですが、こうしてだらだらと物書きをするのも、これまたいいもんです。
宿では部屋に一人。部屋はどうでしょう、下宿みたいな感じの部屋でしたでしょうか。食事は下の食堂で、という感じ。あまり夜のことは覚えていません。この日泊まっていたのは4人(2+2)だったのですが、すでに先の3人はできあがっていて、私一人だけ浮いてしまっていました。うーん。なかなかとけ込めないというのはその当時YHにはいっぱい泊まっていたのですが、なかったですね・・・・そそくさと部屋に戻ってしまいました(笑)

 翌日 この日は島からでないと言うことで、カメラ片手にぶらぶらと島の中をうろうろ歩きます。
 洗濯もしなくちゃ行けなかったので、Tシャツと短パン1まいずつ残して洗ってしまいます(実はTシャツで過ごせるくらい暖かいだろうとは思っていなかったので、薄手のものをあまり持っていなかったの。途中で買い足しましたが・・・(^^;)。物干しのひもは、自転車のゴムひも。カメラの三脚も物干しの一つです。ラフな格好しか出来なくなったので、どこにも行けません。けど日帰りで行ける島、思ったほどそそるものもなく、時間を持て余してしまって。天気もあまり良くなくて、風も強い。前日にまとめて撮っておいてよかったです、っていう感じ(笑)

 この日は宿で食事の予約を35人分ドタキャンされたとかで、宿主の爺さんがえらいプンプン。けど余ったものは夕方のホステラーに回ってきて、あやかりゴチになってしまいました。
 とかいって、この日は自分一人だけで、回ったのは自分と、旅館の方に泊まっていた人たちだったのですが(笑)。

この日、家を出てから一週間ほど経っていたので、初めて家に電話をします。別に心配していることもなく、「おう、ちゃんと生きとるかい?」ってな感じで(笑)。この後、週イチで電話をしましたが、かえってくる返事はすべて[同じ]でした(爆)

ここまで8日、使ったお金はトータル57000円ちょっと。1日あたりだいたい7000円ちょっとかかっています。YHを使えばこんなもの、キャンプとかすればもっと安くあがるのでしょうけど・・・・・。ちなみに石垣なんかでは、もっと安い1泊2000円とかそういう宿もあるとかいうのは、のちのち最近になって知った話でして。南に限ればYHと決めつけるのは尚早、というのをあとからこっそりと知るわけですが・・・・

2月の平日と言っても、ここまでお客はほとんど居ず。交流もほとんどありません。従ってこの旅、まだ人的交流を何とか、という旅にはなっていません・・・・・年賀状を実は書いていなかったので、旅の便りと兼用で石垣で買った絵はがきにいろいろと書きつづりながら、時間をつぶします。ちなみにその当時、民間の地上波のテレビは宮古までしか来ていなかったらしく、竹富でも当時普及し始めた衛星放送のアンテナがニョキニョキ、という状態でした。
昼寝もしたし、何もしない一日というのを過ごしたのでした。

その他いろいろ 竹富の写真コーナー♪
当時 缶ジュースは市価100円だったのですが、
環境整備の名目で島内では10円高かったのです
なごみの塔からの眺め。西を見ています。遠くに
見えるは、小浜島です(ちょっといいポジでなくて失礼)
竹富島で連想するのは、たいていの方なら
「コレ」でしょう(笑)
西塘御獄。島の英雄をまつったものだそうです。


[次のページに続く](次は、西表島)


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