☆旅行日:2025-6-14
(オロンコ岩の上から、ウトロの街。ど真ん中がゴジラ岩、左が北こぶしリゾート、丘の上がホテル街。)
日が変わって土曜日。今日はメインに知床観光船の知床岬コースを据えたのでそれまではウトロの街歩きでもしようか、という事にしました。船の出航は10時過ぎだったのでそれまでは昔の記憶をたどって少し街歩きを・・・・。
宿(知床第一ホテル)を出て船の時間まで1時間半あったのでどこに行こうかという事で、手っ取り早い「オロンコ岩登り」をすることにしました。実は何度もウトロの地は訪れているんだけどオロンコ岩には登ったことが無かったワタシ(笑)恥ずかしながら初登山をすることにしました。
登るだけだったら10分~15分位?で登れるのですが崖に無理やり階段作った感があって結構怖い人には怖い。手すりはありますが足滑らせたら崖からナントカ感あって怖いです。ちなみに帰りに膝下あたりがつってしまいました(^^)
(オロンコ岩の上で、ユリの花と知床連山。2025-6-14)
高台から街全景を見下ろせるところはここくらいしか無いので一度は登っておいた方がいいのかな。ちなみに下の駐車場は長時間駐車でなければタダ。トイレもあります。オロンコ岩のトンネルを抜けてその先は有料駐車場なので、滞在時間に応じてうまく使い分ければOKかと思います。まあ道の駅に停めて街ブラしてもいいんだけど。
お上りさん?を終えて、船のチェックインをして、それでもまだ時間があったのでセイコーマートで買い出しをして、写真のまん中にある通りを少し歩いてみることにしました。(船がお昼を跨ぐ航海なので、食糧持参の必要があったため買い出し。)
昔このあたりには土産屋さんとか民芸屋さんが複数あったはずなんですが、ないですね。この通りにあったのは1軒と、昔からある民宿だけ。あとは観光船の事務所(待合所)とか、BBQ屋(休業中)とかになってる。まだ繁忙期でもないという事で人通りもなくて。昔来た時はこんな寂しい光景じゃなかったよなぁ、、、、、観光船の待合所とか何軒あるのですが、例の観光船事故の余波とかもあるのでしょう、廃れた寂しい通りでしたね。観光船の時間が近づくと乗用車だけが駐車場に向かって結構走って行って人は殆ど歩いていない。寂しい通りでした。
昔は時間の有る旅人さんが土産屋民芸店に長時間居たりしてそれでも問題なくて、自分もそういう経験がありました。それが昔の北の旅の楽しみでしたね。いまはもうそんなこともなくなってしまったのでしょうが、そういう中から思いがけない展開とかあったりするもので・・・・
ちなみに検索するとかなり古い記事の「ユーカラ民芸」が数件ヒットするだけ、下に書く「北大民芸」なんかは言葉のヒットすらしません。
このまま時が経てば個人サイトだとホスティングの契約切れ、とか個人向け無料ブログサービスの終了とかで検索すらおぼつかなくなる、そんな話なのかな。そうなったら今度は物持ちのいい元旅人さんやどっかの民宿などを訪ね歩いて紙の資料のサルベージとかをしなきゃいけないだろな、、、、30年経てば昨日のように自分が思っていた記憶も記録もそんなもんです。
「やばいよな、と思ったら再び旅に出ましょうね!」(笑)
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(赤い「とほ」がウトロで手に入れた初めてのとほ。この時1冊150円。)
さてこの回の本題です。
これまでこのあたりで体験したこと等が自分の旅人生(旅人人生というにはおこがましいので一文字抜くね)において多大なる影響を及ぼしたことはここまでにあれこれと書きました。最後に書くのが上の「とほ」の話です。
「とほ」そのものは辿っていくと1986年に初版が発行されて現在は隔年で縦長の本になってますが、昔は横長の写真のようなスタイルの冊子でした。100円、150円、200円までが横長だったかな。まだネットとかない時代はこの冊子はYHのハンドブックと合わせて重宝されて安宿旅行の必須アイテムのの一つでした。情報がネットに本格移行するまでが掲載宿数のピークで、増えすぎちゃって色々あって、広告を掲載するというスタイルから(あいまいな形をやめて)組織を作って、という経緯で現在に至っている、というのがストーリー的には正しいのかな、と思います。
ちょうど自分が北の大地に通い始めたのは二輪で北海道ツーリングというのが大流行りで、このカテゴリーとは別にライダーハウスが雨後の筍のように出来ていった時代で安く旅をするには(情報を持っていれば)ネットとかが無くても何も困らなかった時代だったと思います。その手の宿には小さなメモ紙くらいの大きさのチラシが置いてあったり、宿に貼り紙広告があったりとか、談話室や部屋で交流すればすぐに自分の情報量が飛躍的に広がりましたから。
自分が北の大地にひとりで行き始めた頃はこの「とほ」の事なんかまったく知らなくて、安く泊まるにはYHのハンドブックを見ながら基本のスケジュールを組んでいったものでした。まあユース民宿の類の安宿情報なんてどうやったら手に入るのだろうと言った時代、ネットワーク時代の幕開け寸前みたいな時期でしたか。
その他、古い方だと80年代には「とらべるまんの北海道」90年代は初頭に「北海道が好き」とか道内出版のツーリング本(疾駆北駆す)とか、「北海道ユースホステルJOHO」とか、90年代の後半は「なまら蝦夷」とか、いろんなブックレットがあって、行けばそんな本とか情報が手に入れられて、行くごとに旅の厚みが増して~といういい時代だったかな、インターネットが出現するまでは。(そのブリッジの期間にパソコン通信(TTY)もありましたね。そんな時代も経験した館長です(笑))
#その時代のそういう冊子はご丁寧に?我が家の本棚に飾ってありまして、いつでも見られる我が家だったりします(「とらべるまん」はさすがにないけど(笑))
今時はネットでの情報収集が必要十分かそれ以上に入手出来て、予習が時には完璧にできる時代になってそれを実行するだけってのが現実かな。未知を知る旅ではなく「ただの演習旅行」って言った方がいいのかな。まあ自分の旅行もそうなっちゃってしまっているんだけど・・・・はい。
(ウトロ「北大民芸」にて。1989-8-25)
(同じく北大民芸にて。店主と、後ろは泊まった宿の仲間等々。1990-09-06)
少し話がそれました、
そんな中、89年に北海道に来て、この旅行記の6話目(http://www.stampnote.com/odekake/2025/10/post-6.html)みたいな話があって、YHの泊まり歩きを始めて、ライダーハウスなるものを知り(本物のライダーハウスに泊まったのもウトロが初めて)、そして上の写真の北大民芸で「とほ」の冊子を薦められて入手したのがユース民宿(とほ宿)泊まり歩きのきっかけ、という話だったのでした。
買ったのは91年版が最初だったから、この上の写真の次の年になるのかな。ほぼない記憶を昔の記録を繋ぎ合わせると、
89年は店を訪れて、写真だけの記録がある。ネガに日付けが写し込んであったからそれが証拠。
90年は岩尾別のYHに1泊泊まって、次の日はみんなで遊んで、グリーンハウスに泊まって、翌日北大民芸に昼くらいまでうだうだしていて、じゃがいも大量に煮るからデカい鍋1つ分洗って、店の車洗車して、最後にアイヌ衣装着てアイス買いに行ったら2K円貰ったとかハチャメチャな時間を過ごして、そのあと峠越えをして標津に行った記憶と記録が。
91年はそのアイヌ衣装を着た写真を貼ったポストカードが年賀状で送られてきて、翌年も義理堅く社会人1年目の長期休暇で北海道に走りに行ってしまい、ウトロに来てしまい、年賀状ありがとうのあとに上の写真の赤い「とほ」が出て来た。
というストーリーでした。手書きの原稿をそのまま刷った旅の情報誌ってのは今まで見たことが無かったので新鮮だったなぁ・・・・そして宿の選択肢がかなり広がったのでその後の旅のスタイルが大きく変わって行くようになったのよね。
この上に書いた書いた1989、1990、1991年の一連の話が無かったら今頃どうなっていたのかって、全然違っていたと思う。
(そして今までこの旅行記のシリーズで書いてきた既述のアレコレな話とかも・・・)
それがこの知床地の果てウトロ界隈だったというのもこれまた偶然なのか何なのか。単なる偶然?必然?意味のある偶然の一致なのか。わからん。本当にわからんのです(笑)
とほ宿を使い始めたのはその翌年の冬あたりからだったかな。いまは無き母子里一刻館(建物もない)、丹頂の家(だいぶ前にとほはやめた)、民宿びばうし(ここもかなり前に宿はやめて、もう建物もない)あたりから宿として泊まり始めたのは。
けどまあYHであろうがユース民宿(とほ宿)であろうが、周遊回遊型で泊まっただけではなんかその先が広まらないよね、ということで旅のスタイルを変えなきゃなぁ、ということで2、3か所のそれ系の宿に何度も足を運ぶような感じで旅のスタイルを変えていった、というのが若い頃の自分の旅スタイル履歴、という事になります。そのあたりの思い出話なんかはまたの機会に書いてみたいなと思っています。
ちょいと旅行記の話とはズレズレな話を長々と書いてしまいましたが、上の話はどうしても書いておかないと気持ちの整理がつかないのでこの項で書かせていただきました。
廃れ切った通りを歩いていろんなことを考えて、思い出してしまいました。30年とか35年って長かったけど、こうして振り返って書き起こしてみると感慨深い物?を感じます。総括して何を最後に記せばいいのかわかんないんだかけど・・・・
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さてさてこの後は知床観光船・知床岬コースに乗船します。船に乗るのはこれまた35年ぶりなのかな。以前はカムイワッカ折り返し便だったけど、今回は岬の突端まで行きます。嫁様の最大の希望「知床岬の先端が見たい」を叶えてあげないといけない。思い出に浸りに来た「だけ」の旅ではないのです表目標は完全遂行です。(笑)
つづく。