写真の力を知る~30年の空白を埋める旅~(3)

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(いよいよ本番です。どこの駅かって?見りゃわかるでしょう。時刻表買って調べてくださいな(笑))

★いよいよ本番の日

3月某日。いよいよ本番当日です。

行先は関西のどこか。いつもは大阪行く時はお金がないので中川で急行乗り継ぎなのですが、今回は特別な日なので特急です。アーバンのDX席でしばし色々考えながら大阪へと向かいます。

いろいろ声がかかったようですが、当日の参加者は友人知人関係は3名だけ。30年の月日が絶ち、生きていれば(お星さまも自分たちも)50代で色んな家庭環境に居て出てこれない人も居るし、思い出は過去の記憶の中でもう忘れてしまった人、実際仲間が集まっても実際すれ違いだったため会ったことがないからわからない、という人も居る。結果、自分たちの仲間で集まったのは二人だけ。あと別の知らない本人の友人さん。普通の人でも17回忌、23回忌、27回忌、33回忌(弔い上げ)とかあるけど、おそらく時が経つと知る人が集まる機会もないであろうという話にもなる。時の流れってのはそういう話なんすよね。

たぶん、今回が最初で最後だろう。

一番の大きな動機付けはそこ。若くしてお星さまになってしまったのでこんな年てそういう時が来てしまったんだけど、多分この先かかわる人たちで当時の事を知る人は確実に減っていき、いなくなってしまう。親御さんも80代半ばに差し掛かり、これが最後のチャンスだろうという意図もあったのだろう。

元々の話は自分が20代の後半に起こってしまった話です。(その話は書かない)

人の記憶もあいまいとなり、記憶が正確につながらなくなり違う事実がほんとの事実になってしまう事だってある。なので今回は正しくリフレインできるようにちゃんと記憶記録の再確認をするのがもう一つの目的でもあったのね。

写真というのは写し込んだ物がすべてなので、正しく説明が出来ればそれは動かしようのない事実でもあったりする。そこに語れる正しい事実を紙にでも記録しておけばそれで充分なものだったりする。今回はその後者の部分を補うための旅でもあったりするのです。

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大阪に着いて、電車をのりかえ、とある私鉄の駅で友人と待ち合わせる。事前に写真を見せて本人確認もする。地元の手土産、写真、額縁などを持ってお宅にお邪魔をする。

30年前に来たことがあるんだけど、もう自分の記憶に居宅の記憶がない。いまみたいに気軽に手軽にケータイに記録が残せる時代ではなかったからそれなりの事はノートに残してあるんだけど、さすがに家の写真までは撮ってないな・・・・・(笑)

30年ぶりにお邪魔させていただきますということで丁重なお出迎えをしてもらった。

挨拶をして中に通してもらい、居間に入る。先客(親族の方とか)に一礼をして、お線香をあげて、写真を早速見せてみた。

「早速なんですが、この写真に見覚えがございますか?」

「あります」との親御さんの返事。

意外だった。実は当日持って行った写真のうち、数枚は30年前にお星さまになってしまった人に当時あげた写真で、初七日には数枚(あげた写真が)仏壇に飾ってあったのを覚えている。(覚えているというか忘れないでおこうということで旅ノートに記録をつけていた、ああ自分の撮った写真がそんな風に飾られるとは思っても見なかったと、いう当時の話)

その写真の「この人は〇〇さん、この人は〇〇さん」とスラスラと出てくるの。30年前に見た写真の事覚えているって。

写真そのものは逸失してしまって出てこないらしい。けど凄いよね、人の記憶って正確に覚えている事ってあるんだな。という話、、、、、恐れ入りました、という話です。

(かなりボカシをかけました。)

写真、飾らせてもらいました。表情のいいバストアップの写真があったので、上手にフレームに収まるようにして飾らせてもらいました。
色目はネガの保存状態が良かったのでまるで昨日撮った写真みたいに色が上手く乗っている。スキャンしたときにネガのサイドプリント見てみたらフジのリアラだった。

リアラはエマルジョンを4層塗ってある(紫の再現性の為だったと思うが、たしか)ので、銀塩ダイレクトでなくスキャニングとレタッチのワンクッションおいたけどいい色が出せたと思う。

もうこれで充分。寂しいお仏壇だったのでこれで充分である。目標は完全達成である。

(余談だが、遺影の写真の部類を作るのは自分の親に次いで二人目だったりする)

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写真を飾ってみんなで写真を撮り、共有して、食事を頂きながらお星さまの生前の色々な話を伺ったり、自分の知らなかった話を聞いた。

色んな写真を見せてもらった。自分が(お星さまを)知る前からの写真もいっぱい見せてもらった。

「写真がない」という部分はよくよく先方さんの家にあったプリントの日付け写し込み部分を見ると「ない部分」が見えてきた。少しは埋まったのかなという感を受けた。

詳しくは書かないけど、少しは埋めたんだなという判断で現地をあとにして帰ってきた。多分これで概ね記憶で埋められなかったことは大半が埋まって、埋まらない事は仕方が無いかぁ、で終えられそうな話の終わりとなった。

3か月かけてあれこれ用意して、無事目的ははちゃんと果たせたんだけど、過去の記録とかを振り返って、あれは人生の一瞬の事、時間にすればたった半年の話でそれが30年経つとこういう話になってしまうなんて誰が想像したでしょうか、という話でもありまして。

多分もうそういう話は写真やっていてもないような気がする。ファクターとなる話は押し入れには何件かはあるけど、こういう話にはならないと思う。モヤモヤ感は無くなったのでいい区切りにはなったと思う。

最後にお墓に行って。なぜかお墓に宿帳があるんだよね、この人(笑)。

風雪に耐える宿帳BOXがあって。誰が考えたのかな?30年ぶりに来ましたよと記帳をして関西某所をあとにしたのであった。

おしまい。