一眼レフを始めた頃の話(1)

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(北海道小清水町の夕暮れの麦畑。1990-7月。RVP)

(美瑛の麦畑。1990-7月。KR)

北海道の旅行記の作成(知床~)も一息ついたので、今度はこちらの方に記事をいろいろ上げていきたいと思います。

何から始めようなぁ~と思ったのですが、自分が一眼レフで写真を撮り始めた頃の話から始めるのがいいのかなと思って、そこから始めることにしました。

北海道に旅に出て、2回目の旅あとにやっとのことで自分は一眼レフを手に入れることが出来ました。大学4年の時だったかな。いっちょ前にコダクロームなんか買っちゃって、リバーサルでパチパチやりながら旅を始めた。カメラバッグに一眼レフ、交換レンズ、三脚積んで~となってたので車に機材積んで北の大地に出かけた。格好つけてKRなんかで撮っていたので現像代もバカにならなかった(帰ってきて現像出してマウント仕上げしたら〇万円とか払ったような記憶が、、、、(笑))けどそれは授業料だったと思ってるし、決して無駄は無かったと思ってる。むしろ今みたいにフイルム代0円の時代じゃないから結構一枚一枚気合を入れて撮っていたと思う。

(なので多分昔の方がクオリティは高いのかも知れない・・・?(笑))

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最初にどんな写真を上げようかなと思ってスライドファイルを出してきて。まず小清水町(北海道)の、濤沸湖の裏あたりで撮った写真を1枚目に選びました。

この日は・・・・・いまは無き原生花園YHに宿をとっていました。この時は春にYHの会員証を作って、初めて長期のホステリングというかYH利用をメインにした旅に出ていた時。昨年いい思い出の有った場所にまた来てしまった、というストーリーです。
(元ネタの話は、ここを参照)
http://www.stampnote.com/odekake/2025/10/post-6.html

(赤丸のあたりが、多分撮った所。正確な話はわからないです。)

その日、YHのチェックインの時間の前に少し時間があったので、夕暮れのなんか写真を撮りたいなとふと思い立って宿の前を通り過ぎて赤丸の所あたりを彷徨っていたのを今でも覚えてる。日が暮れてしまえばおわり。宿には夕食の何時までにはやって来いという話もあり結構焦ってた。そんな中でピンと来たので慌てて撮った数枚のうちの1枚だったと記憶してる。逆光の夕暮れの写真だけどそこそこうまく写ってた。撮ってから35年経つけど色褪せてもないし、人から見ればあっそ、と思うかもしれないけど自分にとっては最初の「逆光は勝利!」みたいな写真だったのです、はい(笑)

2枚目は同じ年のその旅の、一週間くらい後だったかに美瑛で撮ったもの。どこか覚えてない(マウントに美瑛にて、1990-9月、としか書いてなかった)。

色が崩れているのかな、それとも元のエマルジョンが良くなかったのか、それともコダクロームらしい発色に年季が入ったのかようわからん。いろいろいじってみたけどこんな色しか出せなかったです(笑)まあ35年も前だもんね、これだけ色が残っていれば上等か。

昔は麦畑、小麦畑の写真を撮りに行くのも難しかったと思う。難しかったというのは今みたいに家の近所で麦を作っているような環境になってかかったという事。あの頃はまだ転作奨励で本州当たりではそんなに麦を作ってなかったと思う。なので案外麦畑というのは撮る機会が無かったような記憶があるのです。(今は初夏には家の近所は二毛作で麦秋写真ってのは初夏には簡単に撮れるんだけどね・・・)

あと・・・桜も麦もラベンダーもそうなんだけど、被写体が集団であるようなものっていい形に写真を収めて絵にしようとすると結構難しかったりする。いまでも会心の写真ってそう滅多には撮れない案外難しい物だったりするのです。

まあそうわかっていれば挑戦のし甲斐もあるのかな。永遠のテーマなのかもしれないけど、頑張っていいものを積み上げていきたいと思っています(笑)

☆最初に買ったのは、ペンタックスのSFXn

最初に買ったカメラの話もしておきましょうか。

自分、実はカメラを始めてから約35年、ペンタックス一筋の人です。

なんでペンタだったのか・・・・それは店員に流されるままに買ってしまった事、それだけか。

お見合い結婚で一生続いている、という話ね。買ったのはいまは無き名古屋のアサヒドーカメラだったけど、罪作りな店員だったか。(笑)

久しく動かしていなかったので押し入れから出してきた。1号機はエラーメッセージが出て動かない。巻き上げ系のエラーみたい<ネットで調べると。2号機は動いた(ちょっとほっとしました(^^;)

同じカメラを2台も買ったのも初めて。(最初で最後なのですが)

1台はリバーサル、もう1台はモノクロにして、白黒は自家現像もやってた。同じカメラでパラ使用、無線で言えばSO2R(Single-OP,Two Radio)をやっていたようなものか。けど2種類でやろうとするとそうするしかなかったの。いまのコにはわからん(笑) けどその頃それをやっておいて良かったと思ってる。いい経験をしたと思ってる。

レンズも当然Kマウントでそれなりに揃えて、おまけに子供にもペンタを買わせてしまった(子供にすればおあのレンズ資産を利用したいなら必然的にペンタックスを買わざるを得ない、という事(笑))。

その頃の資産はいまでも十分に使えてるし、多分これからも使い続けていくと思う。
自分は写真は機材がすべてではない、と思っている派で、そうは高級機材にはこだわっていない派。ある程度の事はレタッチでできてしまい、かつ現在の表現ステージであるPC&ネットの世界ではそんなに上等な物は要らず、それなりのスペックで充分だと思っているので。

いまはiPhoneがメインになってしまっていて、ちょっといじりたい素材が欲しいときにK-3Mk3を使っているという感じかなぁ・・・(情けない?)けどiPhoneって賢いんですよ。単焦点レンズ何個も積んでほしそうな画像を作ってくれる賢いカメラ。万人に対してそうなんだからカメラ売れなくなるよね(苦笑)。

とまあ懐古話をぐたぐた書いてしまっているけどこの辺で区切りをつけてページは終わりたいと思います。

もう少し昔話を書いてみたいと思うので、(2)をしばらくして書きます。