「SCENE 4」−廃線
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野上電鉄は、近代化をすることなく、あっけないカタチでその終焉を迎える 事となってしまいます。その当時、ローカル線の欠損補助の再検討をしていた 運輸省は、栗原電鉄(現・くりはら田園鉄道)とこの野上電鉄に欠損補助の 打ち切りを通告します。前者栗原は三菱マテリアルの鉱山(細倉鉱山)鉄道の 性格を持っていましたが閉山により半ばその使命を終えた上の通告、 そしてこの野上は「望みナシ」、ということで打ち切りを宣告をされたのでした。 両者の対応はその後の今を見れば明白で・・・ 右は打ち切り通告前、左はもちろん廃線直前の打ち捨てられた看板・・・・。 |
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代替バスをどうするかと云うこともけっこうもめた?記憶があります。 結局地元の運送会社、大十がバス運営に名乗り出たことで、事態は まるく収まったような覚えがあります。右はもちろん「そうしてください」の 貼り紙(私は最期は乗りませんでしたが、噂に聞けば結構ここには書く べきではないような?こともあったらしいですが・・・・・・・) |
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ここ最近、またローカル線の廃線問題が全国各地で 再燃しています。以前にも増して廃線にするお膳立ては 法改正によって整っており、鉄道が走ることの意味、意義、 というものを改めて考えさせられる事がしばしばあります。 鉄路は何を運んでいるのか。 人や物を運んでいるのはもちろんのこと、そこには見えない ヒューマニズムとか、想いとか、そういうものも運んでいるのだ と思います。その二条のレールから、人の心や魂みたいな ものが離れてしまったらやがてどういう経路を辿るにせよ 朽ち果てていくというのは明らかな事実・・・・・そう言う意味で 野鉄はそう言うものを「運びきるチカラがなかった」のでしょう。 そして終焉を迎えてしまったのです。 残るモノと消えていくモノ、その違いや分かれ道というのは、 案外単純なところにあって、そのレールがヒューマニズムを 運び続けられるかどうか、そういう所なんだなと思ったりも します・・・・・。 (2001.12.4記) |