〜駅ノートの想い出〜

いつからしか・・・・・


深名線に通っていた人で、末期の2,3年ころに通っていたならピン!とくる話だとは思いますが、各駅に落書きノートが置かれていたのをご存じな人は多いと思います。

各駅をくまなくめぐりましたが、ほとんどの駅ノートが置かれ、自由に書き込みをして下さい、っていう風になっていました。
どのノートも文面では地元の人が置いていった様に書かれていましたが、果たして鉄道ファンが置いていったのか、本当に地元の人が置いていったのか、そんな事はは私の知る所ではなかったのですが・・・

撮影や列車待ちの間にノートをめくりつつ、いろんな所から来た旅人さんの想いを見ているだけで楽しかったものでした・・・・。

(写真は宇摩駅)




ノートの最初の走りは・・・・・

ちょっと最初のノートの書き出しを、失礼ながら一部書き出してみました。(以下、原文そのまま)

「かつて道内には仮乗降場という駅に似たものがたくさんあった。ホーム一本と、小さい待合室だけで、正に乗降場と云うものであった。全国版の時刻表には載らず、道内版の時刻表だけに載っていた。中にはその道内時刻表にさえ載らずに消えていった仮乗降場もあった。国鉄からJRになる直前、仮乗降場は全て駅として認められたが、内容的には仮乗降場とは何ら変わらなかった。しかし、ある元乗降場は、立派なホームと立派な待合室が立ち、見違えるように変わった。またある元乗降場は、国鉄時代の旧い待合室をこわし、新しい物置改造の待合室を置いた。だから仮乗降場と呼ばれていた頃の待合室や、ホームが残るところは極端に少なくなっている。しかし、この下幌成は、多少手は加えられているものの仮乗降場と呼ばれていた頃の姿を色濃く残しているように思える。だがしかしである。
だがしかし、ここにも駅への落書きがある。その落書きをするのは1回限り、ここに来る旅行者である。時には目をそむけたくなる様な事も書かれている。落書きする人々は、一体どんな気持で書いているのだうか?毎日利用する人々の事を考えたことはないのだろうか。
深名線は全国でも珍しく旧い形を残した鉄道である。駅も風景も、そこに走る汽車さえも、できればこの光景をいつまでも残してゆきたいと思うし、残していって欲しい。だかそれらは一部の心ない人々によってくずされていく、それはものすごくさびしい事だし、腹立たしいことである。
いつまでもこの光景を残してゆきたい、そんな思いにこのノートが何か役に立てば・・・と思います。」


とありました。

撮り歩いたのは1994年ですので、正式に廃止が決まるちょっと前だったと思います、なもので文言のにニュアンスが廃止直前とは少し違うのはお分かり頂けるとは思いますが・・・

(上は下幌成、下は円山))



「旅古里を大切に」

なんかいい響きなので取り上げてみました。

旅ふるさと−自分が旅に出て、ほっと出来る場所、ありますか?何度も行ってしまったりする場所、きっとどこかにあるとは思うんですけど・・・・

自分にとって、いま思うと北海道ではいろいろとあるんですけど、深名線沿線もそう言う場所のうちの一つですね。何もないのに行っちゃって、何気なしにルオンド入っちゃって、朱鞠湖湖一周しちゃったり、とか(笑)

鉄路が無くなっても、何度か行ったりしました。確かに鉄路が無くなって、自分としても気が少し抜けちゃったような所もあったのですが、やはし行けば行ったで、自然に足が向いてしまうところがあったり。そんなのがきっと「旅ふるさと」なんだと思います。

あなたの旅ふるさとってどこですか?
自称旅人な人ならきっとありますよね、きっと・・・。


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