もと名鉄・竹鼻線の廃線後レポート(2004.3.14)

名鉄の竹鼻線の江吉良〜大須間が廃線になってはや2年半が過ぎて。その後どうなったのかという話をここではしたいと思います。


平成16年3月14日。

夕方嫁さんも仕事に行ってしまったので、兼ねてから行って見たかった「名鉄竹鼻線の廃止部分」に行ってきました。

案外わが家からは近くて、北に向かって30分でもと大須駅のある南濃大橋のたもとまで行くことが出来ます。家からは木曽三川公園を通り、長良川の堤防をのんびり流すと着いてしまいます。

南濃大橋を渡ると真ん中あたりで左下に大須駅とレールを剥がしたさら地を見ることが出来ます。走っている道路は県道のトップナンバー1号線、岐阜から南濃までを結ぶ主要地方道です。よって車は引っ切りなしに走っているのですが・・・・役目を終えて廃線となってしまったローカル線とは対象的な光景です。

橋を降りて1つめの信号を左に折れて(ミニストップのある交差点)、踏み切りのあったところの先をさらに左におれると大須駅のあった集落に。その中に大須駅はあったのですが・・・・

●既に駅舎は無く

大須駅のあった場所、そこは今どうなっているかといいますと・・・・・駅舎は前述の通り既に無く、新しくトイレが設けられ、その前には花壇が。結構な数の自転車が置いてありました。この先は1日数本の福祉巡回バスしかありませんからそれなりの数があるのは変わりが無いのでしょう。
ここまでは羽島市役所まで30分に1本の割合で羽島タクシーの代替バスが来ています。バスは狭路でも走れるように見た目少し車幅が狭いように見える小型のバスです。

線路もバラストもきれいに無くなり、更地の大須駅。
きれいなトイレだけがポツンと・・・・・・
バスは羽島タクシーが運行。30分おきに来ます。
その他福祉バスなども運行されています・・・。
駅はなくなってもジャンクションとしての機能は
あるように思えました・・・。ここにも大須観音(笑)

線路は実際のところどうなっているかといいますと・・・・・・・。
ほとんど剥がされていないのが実情です。架線のポールやその他付随したものはキレイに撤去されていますが、ほとんどの区間でレール・枕木などが残っているのが実情です。踏み切りの標識とかも残っているところが沢山ありますし、廃線跡としては残っているほうかと感じました・・・・。

付近はそんなに人家が少ないところではありません。しかし川の向こうの海津とか、ほとんど民間のバス路線がなくて既に自治体の代替バスや福祉バスがエリアをカバーしているのが実情でして、車の流れは結構ありますが既に鉄道はその役目を終えた、ということは否定できないと思いました・・・。

大須と八神の間、桑原川のスナップ(この項3枚)。
レールは残されています。トラックなどは頻繁に・・
架線信号系を除いてここまで残ってます。
橋の向こう(大須がわ)は更地になっています。
標識類もそのまま・・・・・・・。いつまで残ってるのかな。

実は羽島から長良川の堤防を伝って三重県方面を結ぶルート、結構交通量が多いんです。ちょうど上の写真の左側の写真、この東西は県道1号線。左に行けば岐阜羽島インター、右にいけば桑名四日市、国道258号へと向かうことが出来ます。しかし鉄道はカヤの外といいますか。ちょうど代替バスが走ってフォローをするというのが相応、という感を受けました。恐らく気動車運行にすればちいとは延命できたのかもしれませんが、マイカーには勝てない、というところなのでしょう。

話はズレますが、大須の駅の西側にはお千代保稲荷があるのですが、正月はマイカー参拝客で大渋滞。自分も行ったのですが、ぜんぜん身動きが取れなくていけずじまいで帰ってきたのですけれどね・・・・・。昔は正月の名鉄初詣きっぷにお千代保稲荷コースさえあったのですが、ここ最近の地方におけるマイカーの普及は光景を一変させてしまったのでしょう・・・・。

●もと八神駅界隈

代替バスの時刻表。30分おきですから、利便性は
廃止された路線としてはいいほうのはずです。
もとの八神駅。ホームも線路もそのまま。駅のヌシは
人からワンチャンにかわってしまっていました・・・(笑)
八神から江吉良方面。まったりとした夕刻でした・・。

県道や農免農道をはなれて、もとの八神駅のほうに行ってみます。地図上では細いながらも県道なんですが・・・・・・バス代替となった道路は車が1台半くらい通れる道がほとんど。とはいつてもクルマの行き来が(自分が通ったときには)そんなに頻繁でもなく、田舎の旧道であればどこにでもあるような光景といいますかクルマや人の行き来でした。まあ言い方や見方はいろいろあると思いますが、よくぞ名鉄は持たしていたなあ、ともチラリと思ったり・・・・・。主なバス停には駐輪場が整備されていまして、場所によっては屋根つき、時計つきなところまであったりします(例:市之枝)。

昔嫁さんが勤めていた病院(結構大きな病院だったのですが)に、羽島のご老人が入院していたそうです。そのときにこの末端区間の廃止のことをいうと「だーれも乗らへんもんはしょうがないわ」と返されたそうです。まあ一老人のご意見ですからそれがすべてを示しているとはいえませんが、ご老人でさえまあ乗らないから仕方が無い、というのですから、そんなもんだったのかも知れません・・・・・、はい。

こんな光景がまだいっぱい残っています・・・・。
中区と長間のあいだのもと踏み切り。
もと中区の駅前。バスの乗り場はしっかり整備
されています。左側がもとの駅のあったところ。
市之枝のバス停、の自転車置き場。時計に
屋根つきです。ここまでしてくれれば・・・・


同時に廃線となった揖斐線、谷汲線、なんかはその後もいろいろと車両の行方とか代替バスの利用状況とかで取り上げられたりします。そんな影で八百津線や竹鼻線のことはほとんどマスコミに名古屋ローカルでも取り上げられることがありません。一応ここにひっそりとそのあとの記録とか残しておきましょう・・・・(笑)
正直、名鉄もギリギリまでよく残したと思います。公共交通機関とはいいつつ、会社は私企業ですし。時代のキーワードは選択と集中。そんな中で消えていくローカル鉄道。
いろいろな見方があると思います。ご老人はクルマが、とはいいますが、これから老齢ドライバーの数は高齢化が進むとさらに増えていくでしょう。けどじゃあ老人はクルマに乗るな、とは言えませんし、何をどこまでの規模でどのような物差しで残していくのか、どのくらいの期間と身の丈で残したり維持していくのか・・・・うーん、非常に難しい問題ですしほじくり返して論議するようなことはちとここでは避けますが、ライフスタイルや財政の実力、そして将来の生活展望とか。いま時代が大きく変わるこのとき、非常に難しい選択を迫られているのだと思います。

#全然関係ないのですが、三重県の北部だと私立高校の多くが契約集約輸送で生徒を運んでいたりします。少子化や企業の集約バス輸送、私立高校の契約輸送、そんなこんなの引き算引き算ばっかりが実情です。そんなのがこれからもっと増えていくのでしょう。


●江吉良駅/エピローグ

羽島(新)線とのジャンクション、江吉良駅。
ポイントもそのまま。撤去はされていません。
で、振り向いて大須方・・・ダイナミックな切り方(笑)
豪快、としか言い様がありません・・・・・・
養老の山々に日が沈む・・・・・静かなまったりとした
夕刻でありました・・・・。のんびりとした光景です・・。

もとい、本題に戻ります。
江吉良までクルマを進めてみました。ここまでくれば電車のある光景を見ることが出来ます。2両編成の電車、頻繁にやってくる新幹線、そして往来の激しい名神高速。
数キロ先の電車のこないまったりのんびりとした光景とは雰囲気も違います。

上の写真(中)の通り、ブッツリ切って、架線のポールを立てて。切りました、っていう光景を目の当たりにすることが出来ます。振り返るだけで対象的な光景を見ることが出来ます。


個人的な意見といいますかなんといいますか、「鉄道がこないと町が廃れる」とかいうのはここ最近の事情からすると、あんまし当てはまらないような気がします。田んぼの真中に24時間スーパーが出来て繁盛していたり、うちの近所にも24時間の大手スーパーがありますが夜中に行ってみるとこれが結構繁盛していたり。またそういうのがビジネス誌なんかにいい風に取り上げられているのも事実です。電車がこないロードサイドに経済活動の実態があるのも事実だと思います。
これまでの常識が今現在通用しなくなってきています。前述の通り、私学が生徒の囲い込みのためにスクールバスを運行したり(またそれが子供を安全に行き来させるという親のニーズとも合致しているところがあるのも事実だと思うんですが)、よほど戦略的なものがないといままであったような問題とかファクターではなく、別のファクターが重く問題としてのしかかるような気もします。近い将来幹線輸送、ニュータウンと都市間の輸送、都市鉄道、そのあたりしか経営的に成り立たなくて、あとは生き残りをかけたバスの方に移行してしまうような気もします。(バス会社の方が必死でどんどん従来ローカル枝線とか地方鉄道が担っていたところに進出しているのも実情です。恐らくそういうトレンドに拍車がさらにかかるのではないかと私はみています)。

まったく別のものの基準というかスタンダードが出来て、既存の常識を覆してしまうことってのはいつの世の中もあることだと思います。当然のことながら昔からあるものに将来あるべきものへのキーワードとか、変わらないエッセンスみたいなものがあるのもこれまた事実だとも思います。
話すと堂堂巡りみたいなのになってしまうと思いますしこの辺にしておきますが・・・・・。


ちと最後に大きく脱線してしまいましたが、竹鼻線末端のレポートでした(笑)
(2004/04/02記、現地訪問は2004-3)


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