☆旅行日:1990-8-22

さて、「へるめす」の人になって。1日船の人で何をしていたのでしょう。ガイド本も持ってません。持っていたのはマップルの15万分の1の北海道の道路地図と、大型時刻表と、この文章を書いているノート1冊位だったと思います。暇つぶしは大量に持って行ったカセットテープとカセットプレーヤー、ラジオ位だったかな。あとYHのハンドブックくらい。後述しますが船酔いしたのでずっと寝っ転がっていたのかな。
船は台風通過後だったので結構揺れて(汚い話で恐縮ですが)リバースしたとかノートに書いてある。この2年前初めて周遊券を使って北海道初上陸した際も青函連絡船の中でリバースしてしまったとか言う覚えもある。要はその頃の自分は体が丈夫ではなかったということか。それとも夜行とか長距離運転で体力が消耗しているのに体力に関してはないという事に自覚がなかったという部類の話なのかも(笑) 長距離フェリーで船酔いをしなくなったのは社会人になってからだったかな。

車を移動の足にしたけど基本は学生の貧乏旅行。1か月後の後期の授業開始までに帰ってこなくちゃいけないけど親にも頼らずバイト代だけで賄うと決めて出発したので結構締めて旅をしようとしていました。(ノートを見ると)財布にはまず7万位お金を入れて、銀行口座には15万程残高があった状態で出発したという書き記しがあって。恐らく1日5000円~計算で旅行をすれば30日だから上振れしても家にはたどり着けつだろうという計算だったのだろうと思います。車旅行だからそれなりの経済力で行ったのだろうと思われるかもしれないけど、北海道をくまなく旅して色んなことを経験してやろうという願望があったので結構チープに締めていかないと続けられない旅行だったのです。

(当時の田舎の大学生は結構な割合で車は持っていました。少しバイトをすれば安い車は手の届くところにはあったのです。携帯代もないしネットに払うお金もない。学生の可処分所得の範囲で何らかの車は手に入った、というのが40年位前の田舎大学ライフだったのは事実です(笑))

現金補給は旅の途中に数万円のバイト代が1回入るだけ。クレジットカードも持ってなかったし(学生だったのでクレカが作れる分際ではなかった!)、結構ハラハラドキドキだったのかもしれないです、今思うとね。なので1日幾らで旅行をして、累計いくら使って、1日平均幾らのアベレージ、燃費はどの位で走ったとか結構克明に記録してました。小遣い帳兼旅先のスタンプ集め、そして旅の記録、そこから自分の旅日記が始まっているのですよん(笑)
旅日記はつけておいて本当によかったと思ってる。こうして35年以上も経ってこんなこと(物書き)をする事が出来ているのだから。これを読まれた方は白地のノートと筆記具(できれば少しお金をかけて)を買って、次の旅に出てください。ネットの旅のダイアログのサービス、ソーシャルメディア等はダメです、ある日突然サービスが終わってすべてがパーになりますよ。自分で思って自分の手で書き物(Output)をするのです!

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★岩内から小樽へ

で。

いよいよ北海道へ上陸です。前年は大学の友人2人と行くことにして敦賀発で小樽へ上陸しました。その時は小樽に上陸して、駅前で朝うろうろしていたら友人が早朝にもかかわらず置き引きに遭い現金全部スラれるというハプニングがありましたっけ。。。。(犯人は現金だけ盗りたかったらしく、財布以外の物は駅前の近所のビルのトイレから出てきたという僕の勘所捜索ですぐ出てきたけど、、、警察に指紋付きの調書を全員採られてそれから北の旅が始まったのは。海外一人旅でそんなハプニングなんてのはよくあるんだろうけど、まさか国内でそんなことがあるなんて思いもしてなかったし・・・)

今回はそんな事は無し、自分の車で一人旅だから順調な旅のはじまり、、、、だったのですが、今回も最初からそう順調には行きませんでした・・・・以下その記録です。

岩内から5号線に出て、どっかに泊まろうと思って小樽まで行きます。翌日には今回の旅の第1ミッション「C62ニセコ号に乗る」があったので小樽の近くのどこかで寝泊まり、と考えました。あまり深く考えなくて、小樽市街の手前にあったライダーハウスに投宿することにしました。


ノートを見ると「竜宮閣」に泊まった、とあります。

小樽にはかつて有名な「竜宮閣」という観光施設があったのですがソレではなく(その有名な竜宮閣は1952年に焼失しているオタモイの崖にあった施設)、ドライブイン竜宮閣かライダーハウス竜宮閣とかいう名前だったと思います。当時それを見て書いたので間違いないと思います。試しに検索サイトに掛けてみましたが引っかからない。探せませんでした。泊まった時は結構なバイクが止まっていたとかノートに書いてあったのですが思い出をネットに上げているような人は見つけられなかった。

結局ネット上では30年以上前の記録なんか正確には出て来ないか、時の流れで消失してしまい探す当てが無くなってしまい検索不能という答えなのだろうと思います。

さてそのライダーハウス竜宮閣に泊まろうと決めたのですが、駐車場に入ろうとした時なんと「脱輪」してしまいます。痛恨のエラーです。北海道初日で昨年と同じくやらかしてしまいました。カーライフ歴間もなく40年になろうとしている館長ですが、脱輪なんぞというエラーをやらかしたのは人生で2回だけ、この後和歌山の旧野上電気鉄道をロケハンしに行った時やらかしてJAFを呼んだ時とこの時だっただけ。(JAFを使ったのもその野鉄のとき1回だけです)
幸いにも中からライダー諸氏が出て来てくれてすぐ元に戻りましたが大変恥ずかしい思いをしてしまった苦い思い出です。


ライダーハウスですから少額のお金を払うか、何某か食事をするとかそんなのが条件。今回はホッケ定食を頼んで、それで泊めて貰います。
(余談ですがホッケってのはスーパーに行けば年中我が家近辺でも安く売っている。わざわざ特別に食うほどの物でもないんだけど、当時の自分のの頭にはホッケもじゃがいもも特別な食べ物だと映っていたみたい(笑))
結構バイクが一杯止まっていたとノートには書いてある。そんなに止まっていたらだれかなんかネットの記録に記していて、なんか情報が引っかかるのかなと思っていたけど、全然情報はサルベージには至らなかった、そんなもんか。90年代のソーシャルサービス、掲示板BBSやパソコン通信の時代のそれにはあったのかもしてないけどそういうサービスにはたどり着くことはほぼ不可能に近いしね。

風化していく当時の記録を少しでも残しておきたいと持ってこのサイトを始めましたがそんなことを思いながらこの先書き物を作っていくのかなと思うとなんか一抹の寂しさを感じてしまう物があります。

なんかわかってる人がどこかに居たら~自分の記録や記憶と誰かのソレが繋がって過去の思い出が出来るだけ蘇ればいいな、というかすかな願いも込めて書いてます、書いて行きます。ホスティングの維持が出来る限りはWebコンテンツとしては残しておくつもりです、はい(笑)

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今回の話はここまで。
明日は今回の旅の最大ミッション「C62ニセコ号」に乗ります。

前々年に奇跡の復活を遂げて、鉄道雑誌でしか見ることのできなかった大型蒸機牽引の列車に乗る夢が実現します。ネタ的にはまだ情報記録類がいろいろ見られますが、自分の思い出みたいなのを次回から書いて行きます。

(つづく)