(当日の行程)

 (この日の行程)自宅9:30~東名阪で清洲東まで~(41号線をひたすら走る)~高山14:30~富山17:00~上越(直江津港)20:30。走行約410Km。

☆旅行日:1990-8-22

1990年8月22日。いよいよ北へ旅立ちます。

愛車にあれこれ荷物を積み込み僕は「直江津港」を目指しました。

今回は4度目の北海道、決断しました「初めての長期の北海道一人旅」です。

前回までの経験と、あれこれしたい事を叶えるには同伴者は不要でした。旅行の予定は最初一週間位はザックリ立てたのですがそれ以後は成り行きいい加減を決め込んでいたし、貧乏旅行を決め込んでいたし、思う所の欲求についてくる人なんているわけなかったし(w

色々渡道の手段を検討したのですが、今回は前年の敦賀発をやめて新規就航して間も無い東日本フェリーの「直江津〜岩内」という航路を選択し、自宅(三重の北)から長駆上越直江津までいきなり走って行くことにしたのです。

理由は大きく言うと二つありました。

まず航送料金が敦賀からの新日本海フェリーに比べて格段に安かった事、確か新日本海の新潟発と同じだった事。もうひとつは敦賀発が3日目着なのに対して直江津発はほぼ日着の時間の速さ(夜半に出て当日の午後6時半に着くことが出来た)、これに下道自走のガス代を加えても敦賀から乗るよりは自分としてもメリットがあったからでした。あと敦賀からだと関西からの乗船客と予約の取合いに参加しないといけないと言う事もありましたか。ちなみに名古屋港から苫小牧まで太平洋フェリーって言うのありましたが、当時から自家用車の航送料金が片道5万円をたしか超えていたので自分の資金事情には合わず時間もなかったので範疇にはなかったです。太平洋フェリーは未だ利用経験がないのですが、時間の取れる余裕のある老後が来る確率は、、、生きてる限り多分ないのかな?(笑)
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余談はさておき。この日は直前に中国地方に台風14号が上陸し、この日の早い時間に日本海に抜けてたいたという状況下。船出るのかなぁ・・・・??と思いつつ家を出ました。直江津に着いたら本日欠航とかだったらシャレならないし。翌々日にどうしても叶えたい「第1ミッション」があったのでマジ心配モードの出発です。
走ったルートは上の画像のトレースで、楠からひたすら41号を北上。下呂も高山も通過。ノートの記録では猪谷あたりまで台風の吹き返しの風が強かったとある。途中のコンビニ食料とか洗剤とかを買いながら走り、富山から8号線に入り、親不知を抜けて黙々と走る。この車でそれまで一番遠くへ行ったのは紀伊半島一周とかだったかな、一晩で半島一周とかやったの(笑)。それ以上の冒険は初めてで。得体の知れない欲求とそれを実現させたい気持ちがあれば怖いものなし、初めての本格的冒険旅行ですから!(笑)
けどなんか富山から魚津を抜け、8号下道の難所の親不知あたりを通るのはめちゃ怖くて寂しい思いをしたのはいまでも記憶に焼き付いている。くねくねした連続する暗い洞門、交通量の少なさ、どんどん暗くなる夕暮れ時、、、、、難所を抜け上越の光が見えた時めっちゃ安心した覚えが今でも残っていますよ(笑)

☆「へるめす」に乗って北の大地へ

私を愛車に連れて行ってもらうのは新造船の「へるめす」。前月に航路開設された「直江津~岩内/室蘭航路」の東日本フェリーの最新鋭の船。

いきなりのピカピカのフェリー乗船です。どうしてそんな情報を掴んだのだろう・・・多分新聞広告だったかを見たのだろう、その頃はインターネットなんてなかったから、船車券の類は旅行会社あたりで手配して貰ってたっけ。敦賀舞鶴の争奪戦で詰みたくはなかったので安全パイをした、という見方もあるか。(笑) いきなりのワンチャンスが目の前に現れたので、まよわず乗船券を手配してもらいました。

「へるめす」はこの後1994年と95年に各1回、室蘭航路(室蘭~直江津)で使わせてもらった。まだ敦賀からの急行フェリーが実現してなかった時代で、本当に重宝した。コスパも時間設定も自分にぴったりで、直江津~名古屋の自走も全然苦にならなかった。これが無ければ北の大地に自分の車を持って行って、大きな写真機材も持って行くこともなかったはず。1998年にへるめすは当該社から引退売却されたそうですが、このルートが無ければ自分が鉄道写真にしこたまのめり込む事もなかったので思い出深いのです・・・・はい。

(直江津港で出航を待つ「へるめす」。1990-8-22)

手続きは出航まで3時間半位あったから結構余裕をかましたかな。けどまあ前述の通り台風を追いかけるような形だったけど無事船は港に来ていて(台風を理由に来ていなかったらこれまた詰んでいた話、、、)、大きな船を見て「これから行くんだ~」という気分に多分なっていたのでしょう(詳しくは書き留めていなかったので、想像(笑))

ちなみに上の写真は当時残した旅行写真の第1枚目。ネガの先頭に記録してありました。
物持ち良く、36年前のネガでしたが多少のレタッチで見事に蘇ってきましたよ!フジのリアラでしたが、36年前の写真とは思えない色の再現保存性です。
デジタルデータの36年後は媒体が正確に読めるかも多分わからないと思う。この後の記事ではこの手の写真をどんどん出していきますので、お楽しみに!

乗船券もしっかり残ってますよ(笑)(※スタンプは数年後に乗った時に採取したものです)


上述の文章とこの画像通り、当時の挑戦を挑んだ新日本海フェリーの新潟~北海道の航送料金と同一価格でした。切符サカエチカの名鉄観光で発券してもらったっけ。なにせ今時のインターネット予約とかなんかは全くない時代で、この手の切符は旅行代理店で手配(400円位余分に取られたか)してもらうのが一般的でしたね。

乗船手続きは出航まで3時間半位あったから結構余裕をかましたかな。けどまあ前述の通り台風を追いかけるような形だったけど無事船は港に来ていて(台風を理由に来ていなかったらこれまた詰んでいた話、、、)、大きな船を見て「これから行くんだ~」という気分に多分なっていたのでしょう(詳しくは書き留めていなかったので、想像(笑))

さていよいよ出航。当時の記録を見ると、船はガラガラだったと記録されてます。ネットに出てる記事とかも見てみましたが航路実績としては宜しくなかったのかな。航路としては10年持たなかったっけ。今だと敦賀から新日本海に乗ると日着で夜の8時くらいに小樽に着いてしまうけど(繰り返しになりますが)このアクセスラインは僕にとっては北の大地のあれこれを叶えてくれた生命線でした。いまはもうない、そして蘇ることのない思い出になってしまいました・・・・。

次回はいよいよ上陸です。

つづく