☆旅行日 :1990-8-24

さて旅は続きます。
念願のシロクニ乗車を終え、鰊御殿、手宮の鉄道記念館を見学し、銭湯で髪の毛綺麗にして(※)、その後は北一硝子を巡りました。前二者はその後も行っているので今回は省略します(というかちゃんとした記録がないな、、、、)
北一硝子ではなんかいっぱい買い物してる。この後も含めて何回か行って、買い物もいっぱいしたけどいま家に残っている物は1点しかないな、、、「ガラスは割れるもの、無くすもの。」そんなもんか(代わりに溜まっていくものはマグカップ。観光地のマグカップ集めの方が自分には合っているようです(笑))

(※)その時の記憶があいまいだったんだけど、記憶として市内の寿司屋のある近所だったのでAIに尋ねてみたら「瀧の湯」という銭湯だったようで。14年ほど前(2012年)に既に廃業してしまったらしいです。SL列車に乗って煤を洗い流す、という貴重な体験をしたのはこの時が最初で最後という話ね・・・・。

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次の旅行ミッションは「撮り鉄」。乗り鉄から撮る方に変身します。
一眼レフのキットを買い揃えて(この件は次回で書きます)初めての列車の旅先でのロケハン。自由旅行でのターゲットはいきなり大物、というセッティングです。自由旅行みたいなことを考えて結局あれこれてんこ盛りにしちゃってる自分。いまんも昔も変わらいないんですが、、、、(笑)

で、どこで撮ろうかと思って。当時の自分には名撮影地がどこなのかさっぱりわからず(例えば山線だったら羊蹄山バックの「北4線踏切」爆走する「蘭島~塩谷のストレート」、峠に向かって全力で駆け上がって来る「然別駅」などなど・・・しかしながら今だったら分かる場所も全然わからない。鉄道雑誌の手持ち数少ない載っているカットとか、そんなのと手持ちの地図しかない、そんな状況でしたか。(その後手持ちの情報量が増えていくに従って人並に北の大地でも線路端ロケハンをやっていくのですが、その時はホント情報なしのウブウブだったのです、誰もが通る道なんですけどね(笑))

で、結果的に選んだのは銀山~小沢のあたりにしようと思たのかな、多分その持ってきた15万分の1の地図帳と線路が接近している場所がその場所と判断したのだろう、とりあえず山線の小沢駅まで行って一夜を明かそうか、と決めて前日走ってきた5号線を戻る事にしました。

(ピンの場所が函館本線の小沢駅。左の岩内町が北海道上陸地点。)

(ここからが本題です(笑))

小沢駅に着きました。先客が3名ほどいました。「先客」というよりは駅寝のライダーかチャリダーだったか、この駅で一夜を明かす旅人さんだったのかな。多分そうだと思う。(記録が残っていないので)

なんでか知らないけど自分が持ってきたラジオをみんなで聞いていたのです。
今回の旅行で自分が持って行ったアイテムの中に大きなラジオがありました。車なのでそこそこの荷物は持っていけたのでかなり役に立ったのです。
持って行ったのはソニーのICF-6500。これがこの日の一夜を大きく変えてしまいます。(今回持って行ったこのラジオについてはまた後日の編でいろいろ書いて行く予定です。)

この日この夜、そこにいた私を含めた計4名は、ラジオで「中日対巨人」のナイター中継を聞いていました。どういうシチュエーションで聞いていたのかわからないけど、この下の画像の【赤丸】がこの回のタイトルの本題です。

(画像はgoogle geminiに書き出してもらった物)

この日の試合で中日は8回に宮本を打ち崩して勝利します。その時駅にいた4人が全員アンチ巨人だったのかはわからないけどラジオを聞いてみんな大喜びをします。

そしてそこに現れたのは駅の近くに住んでいたおじさん。詳しくは当時のノートの記録にないんだけど、その人もアンチ巨人だったのか嬉しくて・・・・なぜか今から酒盛りをやろう、うちに来なさい、とか言われて、その人のお宅に見知らぬ若者4人が連れていかれ、夜半まで酒と食べ物(簡単なオードブルとスイカだった)のもてなしを受けるというあらぬ展開を享受してしまって。なんか奥さん当惑していたのかなぁ、12時までねとかいう話で2時間か3時間宴会をしたのでした。
行き当たりばったりで上陸2日目でこんな展開。なかなかこんな体験は出来ないよね、、、ここ最近は駅寝とかいうカテゴリーは半分オミット(Omit)みたいな感じで「してはならないコト」の分類になっちゃいましたか。


その当時はまだ北海道なんかは有人駅でもそういう事には寛大で(夜行列車がまだ健在だったという背景もありますが)こういうシチュエーションはどこにでもあったのかも知れないですね。自分もそういう恩恵にあずかったことがほかの駅でもありましたね。ある北海道の駅なんか30年ほど経ってその駅に立ち寄ってみたら無人駅なのに数か所死角の無いように監視カメラが付いていて。もうそういう事をする事は出来ない過去の思い出になってしまいました・・・上記の話は30年以上前の、そろそろ年金ゾーンかなと思われる昔の北の旅人のよくあったなぁ~とか言う昔話だと思っておいて下さいね。

(翌日朝お別れ記念に撮った写真。一番右が館長です(笑) 1990-8-25 小沢駅)

翌日は列車のロケハンに合わせてお別れ。4人で写真を撮って。誰とかもうわからない(わかったという方はご一報ください、画像送ります(^_^;)格好からすると2人ライダーで1人チャリだったのかな。

旅の一夜は意外な展開でしたが、日が昇ればみんな自分の描いてる旅のストーリーに戻っていく、そんなさすらい?にこれからどっぷりと浸かっていくのです・・・。当時はさすらいみたいなな事にちょっと憧れていたけどいつしかそんな事もなくなったか。流離ってばかりいたら65になって年金ないから苦労するもんな、慌てても働き口もないよな、人生お先真っ暗か、結果流離わなくて正解だったという事か、ああ嫌な事考えちゃうわ、気に障った方、すいません(笑)

余談みたいな話ですが、ここ数年は昔の記憶に残ってる旅の思い出の場所の「焼き直し」みたいなことをやってるんだけど、ここもまたいつか行って見て、昔の思い出の振り返りと区切りみたいなことをやってみたいと考えているワタシ。20代の思い出って結構その後の人生に尾を引いてしまうことが多いんだけどここもそんなところになっているのかな。旅に出る気力の残っている間にはもう一度行かなきゃですネ。

さて・・この旅行。毎日違った人と交わっていくという経験を毎日していくという事は自分は初めてだったので嬉しくてたまらなく楽しくて。そんな日々が1か月ほど続いて行くのです。いまはもうそんなことはかなわない日々だけど・・。

日が上がり天気は晴れ。数日前日本海航路で台風どうしようとかやきもきしていたけど、不安解消の写真日和になってました。一眼レフを買って最初の鉄道写真のロケハン。
その話は次回という事で。

つづく。