カテゴリー: ほっかいど旅行記

  • 知床へ(24) エピローグの回

    さてさてこれで終わり、のエピローグ章です。

    ☆書き留めたかった事

    今回の旅行記。純粋に旅のログとして書いて行こうと思ったのですが、構成か構想を考えて行くうちに今色々な事を書き留めておかないと大切な記憶とか記録が自分の中で正しく残らないと意識する様になりました。
    そう言えばこの辺りには自分のその後の人生に大きな影響を与えたものがいっぱいある、それを妄想や想像で曲がった事実にしてしまわない様に記録として残しておかないといけないな、と強く思う様になりました。
    普段この手の物書きは写真と事実のベタ書きで終わってしまうのですが自然と昔の旅ノート、古いネガとかそんなのをサルベージして肉をつけて行く、そんな事をやってました。
    必然的に構想は膨らんでだった2泊3日+1夜行の旅行は半年に渡り週一の物書きをする事になってしまいまして(笑)

    この辺りで体験、経験したことは後の自分の人生に結構影響を与えていたりします。その振り返りは一度どこかできちんと書き記しておかないとちいとまずいかな、という気持ちが強くなって途中から旅行記だけど「?」みたいなこともいろいろ書いてしまいまして(笑)それはそれで構成で必要な部分だったと(最後になって)思ってます。まあ個人ブログで好き勝手に書けるし、商業的な制約も何もないし、書きたい放題で書いちゃいました(笑)

    ☆時の流れを意識しての書き留め

    この辺りをまともに旅行するのは30年以上ぶりだったのかな。20年ほど前に一度かすめた事はあるのですがいろいろまわったのは超久しぶりでした。

    30年以上経てば世の中大半の事は変わっています。そして頭の中の昔の想い出はどんどん消えていき、下手をすると新しいストーリーに変わってしまっていたりする。なので一度自分の記憶を棚卸をして再確認をしないと、という思いが以前から強く会ったのも事実です。

    今回書いて行ったネタでも、30年位前の話になると検索エンジンにもひっからない事がいっぱいありました。そういう事は自分の昔の旅ノート(旅日記の類)などから記録を引っ張り出して、現地に行って「は~なるほどなぁ、そういう風になってしまったのか」とか「あの時の記憶はそんな風に頭の中では塗り変わっていて人の記憶って結構いい加減だなぁ」みたいなこともいっぱい。(真面目な話、昔の青春時代の旅の思い出がどれだけ検索エンジンなどで引っかかるか試してみてください。思った以上に引っかからないこと請け合いです。)
    たまに旅で知り合った友達と合ったり交流することもありますが、30年前の旅日記で書き記したことと今話した会話がこんなに違うの??ということもありますからね・・・・

    色んなことを30年のスパンで振り返ると結構感慨深いものがあります。これまで旅の記録はノートにいっぱいつけていたのですが、そのことは今になって結構効いています。今回の旅行(の計画と実行)と旅行記の作成にもだいぶ効用がありましたよ。旅行にはノート1冊(できれば白無地)を携行すると、後々いい効果とかお役立ちがあること請け合いです。データベースを積み上げると後に効果は大きくなって現れたり役に立ったりしますから。

    記録とか記憶は出来れば文字にして残しておいた方がいいです。脳内では脳内変換が高い確率でかかる事があるでしょう。思った事は自分の手で文字にして紙に残すことが最善です。(ネットサービスでもそういう物がはあるらしいですが、電磁媒体やサービスはいつコケるかわからないですし。)

    ☆肩の荷を下ろした気分

    3昨年の函館、2年前の道東徘徊、そしてこの昨年の知床と、過去の振り返りと記憶の焼き直し、新しい知見などなど、一通り経験してだいぶ楽になりましたね。思った事吐き出して肩の荷が下りたような感覚がしてます。

    ここ1、2年はそういう人生棚卸みたいなことをすることが結構あり、吐き出して再確認してなんかやっと前向きになれたかな、という感じがします。

    なんか半年かけて色んなことを書いて行って半分燃え尽きた感じ(笑) 自己大満足気分です(謎

    自分の人生どうでしょう、健康人生はあと10~15年で、自分の意志で自分で動いて旅行とかできるのはその位だと思っています。いずれ車も運転できなくなるだろうし、歳喰ったらレンタカーとか貸してくれなくなるんじゃないのかな、と心配もしてる(大いにありうる話・・・?)それまでに北の大地を旅したり車で走ったりどれだけできるかなぁ、と考えたりもしてます。

    今回の知床以外にもいろんなところの振り返り再訪とかしてみたいところまだまだあります。それなりのエピソードも書けるような気がするので、次回の超大旅行記を期待しないで待っていてください(笑)

    文章は個人情報的にはオブラートに包んで書いたつもりで、商業施設のアレコレにななるべく触れずに書いたつもりですので、その辺はご承知置き下さい。(特に飲食、宿泊施設などはあれこれ書くとあとからいらんご意見を言って来る所もあり、面倒くさいのよ(笑))昔のパソ通・インターネット黎明期からオンラインはやってる人間なんですが、もう限られた人の情報共有とか共助の時代は終わっていて、昔の感覚で書いて行くとろくなことがないのも事実だし(苦笑)


    最後を最初に見てしまった人は、最初から読んで行ってください、よろしくね(^^)

    (第1回)←ここをクリック

    以上、2025年知床旅行記はおしまいです。最後まで御覧いただき、ありがとうございました。

    (2026.2.27/By stampnote/Kori)

    ~Fin~

  • 知床へ(23) オーヴェールの丘~いよいよお別れ

    (オーヴェールの丘と3日間お世話になったヤリスクロス。最後に天気は晴れました。キメ写真(笑))

    ☆旅行日 2025-6-15

    長々と9月末から書き綴ってきた知床旅行記も本文の最終回となりました。

    浜小清水を出て、濤沸湖・原生花園を通ってどう女満別へ行こうかと考えたのですが、そのまま39号を走っても芸がないので北浜あたりで内陸の方に曲がりました。行ったことがない「オーヴェールの丘」という所に立ち寄るところにします。

    少し下調べをしてマークしていたのですが、なにやら有名映画監督・黒澤明の作品(「夢」)のロケ地らしい。
    詳しくは検索して映画のシーンや動画などをチェックしてもらえればいいと思いますのでここでは割愛。

    自分もチェックしてみましたが、映画上数分の場面に使われている場所ですね。ゴッホの絵とオーバーラップさせられる場所がココなのだとか。

    (気になってというか復習の意味で映画を見ました。2時間の映画でしたが全編見たら自分にはちいいと重すぎた<黒沢監督の「夢」)

    映画そのものはもう35年ほど前の作品なので今はもう静かなのかな。同じような丘でも美瑛辺りは芋洗いと化してしまっているようですが、ここらあたりまでは足は伸びてこないのかな。美瑛富良野みたいに後からエピソードが追加されることもなく、来るのにもひと手間かかるしお金もかかるし、足もなけりゃ来れないし。それでいいのだと思います、ここは農地だしね(笑)

    自分たちが行った時は1台車がとまっていただけ、我々が来たらそそくさと行ってしまって我々だけの時間でした・・・

    ちなみに上の写真、人によってはWindowsXPの初期壁紙に見えるのだとか、、、、そういわれれば・・・?(^_^)

    (現地看板。上の写真の反対側ですが、晴れたら斜里岳が遠方に望めるのだとか・・)

    場所的には畑のまん中の交差点みたいなところで、看板や地図のマーキングがないとわからないところ。このあたりの作例(写真)を見ていくと、写真左のアップダウンと遠方に晴れた見える斜里岳とかを収めた写真とかが出てくるのですがきょうは知床方面は曇っていて山が望めなかったです。また次の機会にゆっくり時間をとってロケハンしたり丘めぐりをしたいと思います、はい。

    (最後にメルヘンの丘に立ち寄り。木の数は9本が正解のようです。)

    オーヴェールの丘から39号に向かってユルく走って、最後は「メルヘンの丘」。丘と言っても国道沿いの小さな駐車スペースなんですが。運がいいと女満別空港に下りていく飛行機とかがバックに見られるみたいで。

    木は9本立ってますが、観光写真だと右から7本ですね。ちなみに8本目の所はよく見るとアマチュア無線のタワーが3本立ってますよ。この写真だとわかりませんが、現地に行って確認してみてください(笑)

    ====

    最後に道の駅のに寄って、ガソリン満タンにしてレンタカーを返して楽しいドライブは終わり。

    今回はヤリスクロスのガソリン車でしたが、満タン法で16Km/Lくらい走りましたか。AT車だった割にはまずまずかな。昔若い頃に自分の車を持って行って5MTのカリーナで北の大地を走りまくった時の燃費と同じくらい。前年釧路起点で阿寒摩周をルーミーで走った時の燃費が20台前半(25くらいあったか?)だったと思うので今の車は燃費良くなったなぁ、と思う次第です、はい。

    (いよいよお別れ。羽田行きJAL便の到着です。真ん中の黒は窓枠です。)

    (最終の千歳乗り継ぎでも名古屋へは帰れたのですが、リスクは取りたくないのでひと便前で帰ります。)

    このあとは羽田まで戻って、乗り継ぎで常滑まで行って、名鉄で名古屋~近鉄で自宅まで戻りました。羽田で待ち時間2時間位あったのかなぁ、、、、新幹線で帰っても良かったんだけど、飛行機で帰っても時間もコストも同じだったので今回は初めて羽田~名古屋とか言う短距離便に乗りました。殆ど乗継の人だったのでしょうが満席で飛んでました。結構需要があるのだなと思った次第。名鉄も名古屋まで通勤電車並の混雑で、立ちんぼで最後が一番疲れました(笑) 昨年は釧路からの飛行機が遅れた上にエアコン故障で蒸し風呂、千歳でマイクロで搭乗口横付けとか波乱がありましたが今回は何事もなく飛んでくれました。

    本当なら女満別夕方の便でも帰って来れたのですが翌日からがっつり仕事だったのでリスクのある行動は取れません。過去に千歳からの最終便で機材故障でエライ目に遭ったことがありまして・・・・社会人としてはリスク管理はしないといけないので。変な賭けをするのは仕事が上がってからにします(笑)

    =======

    旅行記としてはここまでが本文となります。

    だいぶ長々と書いてしまいました。旅行に行ったのが昨年(2025年)の6月で、書こうと思ったのは夏終わり位だったのですが、旅行から帰ってきてから秋口位まで仕事の人の状況が非常に不安定になってしまい身動き不能。文章を書き始めるまでにしなきゃいかん話が積み上がってしまい、結果書き始めが9月下旬になってしまいました。まさか終わりが5か月後になるとは思ってなかったです(笑) 書き始めてあれこれ考えて、どうしても書き記しておきたいことが色々出てきちゃってなんか壮大な書き物になってしまいましたわ、、、けど書き始めたら色々書きたい事が湧いてきてこんな時期になっちゃいました。まあ個人的に書いている書き物なので好き勝手にやれるし実際やっちゃってるし(笑)

    最後にまとめのページを書きますので「つづく」ということで(^^)

    次が最終回です。

  • 知床へ(22) 浜小清水と「STBのすすめ」の本の話

    (浜小清水駅/道の駅はなやかと、遠くに知床半島の山々。直下はキャンプ場。)

    ☆旅行日:2025-6-15

    天に続く道からまっすぐ走れば国道に出て、道なりに走って原生花園と~なります、元来た道を戻っていきます。

    だいぶ戻ってきてしまった。旅としてはもうエピローグの行程。どこで昼ご飯を食べて空港に行こうかなぁと思って走っていて行く時に通った駅の喫茶店に寄っても、と考えたのですが店自体にキャパが無く待ち時間を喰ってしまってはと考えたので道の駅に寄ることにしました。(昨年の川湯温泉駅の昼食でもかなり待ったのでそのリスクは避けたかったのです)

    ココの話・・・・昔のことは覚えていないです(笑) 昔素朴な駅だったはずですが、30年以上経って再び立ち寄ったそこは道の駅に変わってしまっていましたよ・・・道の駅が主で、駅はその中にこじんまりとあるだけ。道の駅の駅ですね(謎

    横の展望台(フレトイ展望台)も登れるけど施設は閉まっていて。風強いし晴れてないので寒いし、とりあえず360度景色は見ました、で降りてきてしまった(笑)

    (釧網本線も新車に替わってました)

    釧網線も車両を入れ替えて貰ってピカピカになってました。電気式ディーゼル車になってました。(あ、昨年川湯温泉で見かけたから初めてではないか(^^;)キハ40もいなくなり(30年以上前のキハ54-500はいまだ健在だけど)、トロッコ列車も機関車客車も耐用年数がもう限界という事で引退。
    列車の本数は運用は最小限かつキャパ一杯(車両数と人員ですね)なのはいわずもがなで、列車は鹿対策で遅れが半分前提みたいなものだし。(※実際に駅の時刻表にはそれらしきお断りが書いてあるし、実際遅れて走ってる)

    自分が昔北海道行ってた頃はリゾートトレインとか走っていたな・・・釧網線だとニセコエクスプレスを使ったやつだったか。全日空のビックスニーカートレインで、バスと列車があったか(JALにも同じような物があって、お互い競い合っていた時代、懐かしい?)。あんな時代が再び来れば価値のタシにもなるのでしょうが、旅のスタイルも変わってしまい、難しいのかな。

    この先鉄路はどうなっていくのかな、生きているうちに何かなければいいんだけど、というところかな。難しい話です。

    (駅というというよりは道の駅で、駅はオマケですね、、、(笑))

    昔、90年代位には釧網線は「オホーツクグルメライン」とかいって旅行雑誌がこのあたりの駅喫茶店群を媒体で取り上げていたものでした。自分が知ったのもそれがきっかけでした。けどみなさん訪れるのは車ですね、現実は。自分も最初の頃は鉄道利用で行っていたけど程なくして冬でも車、になっちゃった。時間がない生活の中で旅をしようと思うとそうなっちゃうのは必然の流れかな。

    この浜小清水も駅はオマケのような存在ですね。(と言っては失礼なのかもしれませんが・・・)

    セイコーマートにラーメン屋、物販施設に隣にはモンベルもあったりする。キャンプ場も線路の向かい側にあるし、現在の旅行スタイルからすれば必要十分な施設ですね・・・時代の流れからしたら仕方がないか・・・はい。

    ☆「STBのすすめ」の本の話

    (浜小清水駅にあった喫茶店「汽車ポッポ」で入手できた「STBのすすめ」)

    (館長の本棚にほぼ新品で保存中です、現物は上田まほろばYHで入手したもの)

    ここに1冊の昔の書籍の画像を上げたいと思います。

    「STBのすすめ」

    (STB=ステビー。ステーション・ビバーク、の略。ケーブルテレビとかに関連したセットトップボックスの事ではない。)

    この本の事を知ったのは1990年の夏休みに北海道に出かけ、浜小清水の駅にあった喫茶「汽車ポッポ」で見かけたことがきっかけ。その頃の旅ノートを見返してみると、すでに釧網線の駅グルメ未踏はは浜小清水の喫茶店を残すのみとなっていて立ち寄らないとと思っていたのかで訪れたのだと思う。

    (ちなみに現在藻琴駅はすでに閉店、北浜はお昼だけの営業、川湯温泉も同様の形態になってしまっている)

    そしてこの本の存在を見つけてしまうわけだけどその時は在庫が切れていて購入機会を逃してしまい、その後数年後にやっと手に入れられたのです(長野の上田まほろばYHに泊まる機会があってそこで偶然その改訂版があってすぐさま購入して信州土産にして持って帰ってきた(買った)のです。(なので画像の本は北海道で買った物ではないので、念のため。))

    見かけてから購入までに6年もかかっちゃってる。汽車ポッポで見た時は改訂全国版じゃなかったらしくて、その長野で入手した時は全国版になって1500円になっていましたか。後日入手で結果オーライだったんだけどネ(笑) もう版元もなく(京都のどらねこ工房、というところ)、手に入れるには古本を探すかフリマ系をこまめにチェックするしかない本です。

    この本はいわゆる当時発刊時点で駅ネがどこで出来るかという事を書物としてまとめた本。見たことで自分もその後何回かSTBをしたことがあります。詳しくは書かないでおこうかな。今時のインターネットは「過去の事」と書いても文章をよく読んでない人が見たことを切り取っちゃって「今の本当のこと」だと思って現地現場でクレームを入れちゃうとかいう話が実際にあるので具体的には書かないでおきます。(まあ30年も前の情報本なので役には立たないんですが、時系列時間の流れがわからない人や分別の付かない人が世の中一定数居るのも事実なので。)

    この手の入手しにくい本は情報の伝達速度の遅い昔だったからこそ書物として成立していたのだと思うので、今時の、そのことは明日は多数の人が知っている、そしてそのあとの宜しくない展開が待っていそうな可能性のある世の中では出せないと思います。まあSTBという行為を肯定する世の中ではないのは十分承知しているのですが、その頃は大っぴらではないけど北の大地ではその位は許容してもらえる寛大さがあったのは確かです。そこまでで文字列にするのは止めておきます。(笑)

    あと、駅ネに関するネガティブ系の物の見方は道の駅での車中泊で恩義のナントカ礼儀のなんかをしない人たちと根本は同じなのだと思ってしまうのです。最低限買い物くらいはして、ごみも出さず、宴会もせず、騒ぎもせずだったら誰も文句は言わんわな・・・けど世の中には分別の付かない人は一定数少しだけど居て、母数が多ければそれだけそのの数も増える。どんなことのトラブルもおなじかぁ・・・とも思ったり。

    で、浜小清水の駅ってググってみたら1999年に取り壊しになって道の駅が主の施設になってる。あとから調べてみると汽車ポッポは中にテナント?として入っていたようだったけど当日は良く道の駅の中を見てなくて施設の外にあるラーメン屋で昼食をとってしまっていました。惜しいことをしたみたい(笑)

    #なんかうすら覚えなんだけど、本当に欲しかったのは当時旅雑誌なんかにも取り上げられていた「全国駅前銭湯情報」という似通った本で、結局は入手できずにそちらの本は購入保留になってます(フリマサイトあたりでは入手可能らしいですが、いまはそんなに入手欲求はない(笑)(版元も別なんですが。なんかうすら覚えの話ばっかですいません(^^;)

    話がかなり脱線してしまった。けど文字列として書かずにはいられない書き留めておきたい話だったのでご容赦の程を(笑)

    いろいろ書きましたが、隣の北浜も、浜小清水も、その先の知床の山奥であった事もそこであったことがその後の旅の仕方とか色々な事に影響を与えていたりします。このあたりを何回か徘徊か通過してその後道央某所に数年通っていたりするのですが、今思えばこのあたりの色々が無かったらそこには及んでいないのは明白な事実か。振り返ってその事実は大切に持っていなければと思ったりもしています。

    ====

    昼飯は二人でラーメンを食し、道の駅の儀式はソフトクリーム。

    なんか昨年も摩周の道の駅でやっていたよな<コレ(笑) 二人でやるんですよ、夫婦円満の形(謎

    ヒトリではできないもんね(^^;

    さあもう少し走りましょう。

    ここからは左手に湯沸湖、右に原生花園とか見ながらのドライブ。原生花園とか言っても花には少し早かったのでなんも咲いてない。花ならウトロのオロンコ岩でみたから充分です(笑) 自然の中を走るドライブはここが最後なのでゆっくり走りながら女満別へと走ります。帰りは結局網走市街をパスすることにして内陸部経由で走ることにして女満別へと向かいます。

    つづく。

  • 知床へ(21) 天に続く道

    (起点から圧縮気味で。)

    ☆旅行日 2025-6-15

    オシンコシンの滝から車を斜里方面へ走らせまして。徐々に人の棲む気配の有る光景に変わってきます。まっすぐ走れば斜里市街地ですが、まだ行ったことのない俗称「天に続く道」のスタート地点に立ち寄ってみます。
    ウトロから来れば1回左に曲がるだけ、曲がって程なく目的地に着けます。3枚目の写真の坂を下り切った所が曲がって登っていく所です。

    この場所、幾度となくこの辺り訪れたのですが実はまだ行ったことが無くて。

    昔は穴場的場所だったのでしょう、自分が認知するのは大分旅をし出してあとの事でしたネ。エサヌカ線みたいにバイクとかで走っていれば情報も手に入れられてもっと昔に見つけて走っていたのかも知れませんが。とりあえず今回は時間もあまりないのでキメの写真だけ抑えてという事にしておきました。朝夕とか風景写真の映える時間帯に来ればもっといい写真が撮れたのだとは思うのですが(笑) とりあえず素材になるような写真を撮っておしまいとしました。

    ちなみにここ・・・木の上に電線あるんですね。工夫して撮らないと電線写り込みます。消しゴムマジックの世話になるか、自分で消すか、撮り方を工夫するかの3択になります(笑)

    (しゃがんで撮ればいいのか、立って撮ればいいのか、それは各自でお考えを?(笑))

    (現地は農地の中なので、なんもないです。)


    現地は車がどうでしょう・・・10台くらい停められるスペースがあるくらいかな。農地の中ですから他に何もなく、トイレも何もない。それくらいの方がいいですね、なんでも観光地整備するべきかと言えばそうでもないとも思うので(笑)

    自分が行った時は車がパラパラだけ・・・と思いきや、着いてから暫くすると中国系と思われるマイクロバス貸切御一行様が来て展開開始・・・・皆さんやることが違いますね。てっきり美瑛富良野あたりがいろいろあってこのあたりは~と思ったらマイクロバス運転手付きでドーンとやって来るんだ、こんな北海道の果てまで、と目が点になってしまいました(;・∀・)

    (左に振り向けば海に続く道です。交差点は国道(334号)です。)

    ちなみにこの場所、90度右に向いたらこんな光景です。海に向かって続く道です。自分はこの光景もオススメだと思っています(笑)

    ☆天に続く道展望台というところ

    坂を下ってひと山目の所に、民有地にログの展望台があります。Googlemapとかにも記載がありますしレビューもありますが、上のような光景で(すいません写真は合成してくっつけました(^^;)隣にカフェもありまして。

    実の所上げた写真だいぶいじってます。旅行現地3日目ですがいちばん風が強く、たまに雨パラっときたかな、という天気でした。道東/知床の天気は気まぐれ、の言葉通り、風も強く日差しもイマイチの最終日でした。

    時間があれば上の写真の駐車場みたいな場所でヒルネでもしてぼけーっとしていられたらサイコーなんでしょうが今回はかなわず。雄大な景色と風でさわさわすつ木々の音だけを聞いているとか、そんな何もしない贅沢を味わいたい、、、、(なんかこの旅行記で何度も言ってますが、そうなんです(笑))

    ダウンヒルをしたらこのまま国道に合流。時間を見ながら後4時間位どうしようかなぁと考えつつ車を網走に向かって走らせていきます。

    お名残り惜しいというかなんかここまで来ると達成感の方が強いと言いますか、そんな感じ。あとは昼ご飯をどこで食べてどう時間調整して女満別までたどり着くかみたいになっちゃってます(笑)

    とりあえずお腹空いたのでくいっぱぐれの無いように浜小清水の道の駅でお昼ごはんにします。

    つづく。

  • 知床へ(20) オシンコシンの滝

    (観光定番写真でしょうか?(笑) オシンコシンの滝の一番前まで来ましたよ)

    ☆旅行日 2025-6-15

    旅行記は20回目になりました。いつ終わるの?
    決めてないです(笑)

    ここからは女満別空港まで元来た道を戻っていきます。楽しかった時間はあっという間ですネ。けどここまで(尺延ばしと言われようが)いっぱい物書き出来たのは充実した旅が出来たという事でしょう、きっと(笑)

    いっぱい書いたのでだいぶいろいろな事が整理がついたというか肩の荷が下りたと言いますか。
    想い出の場所に一度行って気持ちの整理を付けるのは大事な事なのかもしれませんね・・・(笑)

    ホテルを出たのは午前8時半。いつも旅行だと宿のチェックアウトはいつも遅くてダラダラなわが夫婦だけど、今回は気合が入ってる。飛行機は午後3時過ぎ、レンタカーを返すのは午後2時だったのであと6時間か。有効に使わないといけない。もう少し見ておきたいところを何か所か思いながら車を走らせます。

    行きのウトロへの乗り込みで飛ばしたオシンコシンの滝に少し立ち寄ることにしました。自分は何度か立ち寄ったことあるけど同行者は初めてなので、ということで。

    国道沿いで名瀑を見られるところといったら・・・・案外少ないですね。知床でもここくらいか。他の滝の類は観光船に乗らないと見られないので、、、

    自家用車は結構いっぱいいますが朝が早い(9時半くらい)と団体さんはいません。水量はこんなくらい?多すぎるとしぶきを浴びて濡れちゃうし、少ないと迫力もないし。結構植生も勢いが良くて近くに行かないと全体が良く見えなかったです。刈り込むわけにもいかないし?ですね。

    ちなみにツアースケジュールで「=オシンコシンの滝(車窓)=」とかたまに見ますけど、これだと車窓からは見えませんね(^^;

    6月でコレなので、8月あたりだったら道路からはほとんど見えないのではないかと。ちゃんと降りて見せてもらうようにしましょう(笑)

    (滝の上からのウトロ方面の俯瞰です)

    時間があれば滝の上まで行って見ましょう。地図を見ると滝の上を通る道があります。現調しましたがこの道、ウトロ側から滝までしか行くことが出来ません(斜里側は通行止めで入る事が出来ません(2025‐6月現在))。

    トンネルをウトロ側に抜け、山側に旧道の登り口があり、そこから坂を上っていきます。(上の写真の山肌を登っていく道がソレです)

    緑が生い茂ってなかなか見晴らしが開けないのですが、頂上の手前に上の写真のような開ける所がありました。海岸線と沿って走る国道と、知床の海の決め構図?の光景がこれです。車かバイクか自転車(きつそう(笑))でないと来れないところ。(バスだと2時間に1本くらいだから往復歩きだときついと思う)

    写真の通り波も穏やかだったので完全ご褒美写真ですね。よく「なんとかブルー」とかいう海の売り文句がありますが、そんな言葉に逢うかもしれない透明感でした(^^)

    (単に緑と青の写真なのですが・・・上の写真を振り返れば、こんな光景。)

    ☆自分なりの穴場とか・・・・

    ここも多分下調べして来ないと上2枚のような写真は物に出来ないかな~ということで自分なりの穴場。(ちょっと右側にハレーションみたいなのがありますが、それは愛嬌という事で(笑)) 

    喧騒みたいなものもなくて、セミの鳴き声と風に木々がさわさわみたいな音、緑と青と白い雲とか、済んだ海の青とか。自分にとってはそんな中にいて、それで満足かな。人気観光地でなくてもいいんです、こういう体験が出来れば十分なんです、はい(笑)喧騒のない朝なんて今の居所だと正月3が日位しかないし。

    昨年の旅行もそうだった、屈斜路湖の近くの宿で、起きて部屋の外に出てみたら鳥のさえずりしか音が聞こえてこない。去年のソレも、今回のここもそんな感じで。それって贅沢な時間なんですよね、わかるかなぁ・・・・(笑)

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    ここからは徐々に人の営みがあるエリアに戻っていきます。

    時計とにらめっこしながら立ち寄り場所を考えつつ、次は天に届く道の起点に行ってみる事にします。

    つづく。

  • 知床へ(19) 知床とお別れ

    (ウトロの街のまん中、右にセブンイレブン、左にセイコーマート。ホテル街へはセブンの店の上にある道を登る。この時は通行止めで迂回路でした。)

    ☆旅行日 2026-6/14.15

    さてさて観光メニューもほぼ終わり。街に戻って来ました。街から奥への観光ミッションは計画通り終了。計画から外したところはまた次回。って、健康寿命のうちにこの地に戻ってこられるのかな?? 宝くじでも当たってお金の心配がなくなり、時間も取れれば来られるだろう、その確率を考えるのは野暮かもしれないけど、また来るつもりではいる・・・・(笑)

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    ☆地の果てでもコンビニ

    ホテルは1泊朝食でオーダーしていたので夕食はどこか街のどこかで~とタカをくくっていたのですが、遊び疲れて時間が無くて、結局地の果てでもコンビニインフラにお世話になってしまいました・・・・。
    地の果ては食の事情があまり良くないとかかなり前の項で書いたと思うのですが、泊まったホテルは山の上で、その(ホテル街の)周りには食べに出られるところがない・・・フロントで冷たい謹告を受け。。。。

    1日目は嵌まってしまいホテルで1種類だけ売っていたカップ焼きそばと手持ち少量の食糧で夜をしのいでしまって。まあお腹は満たしたのでヨシとして、2日目は上の写真のセブンイレブンに全面的に頼ってしまいました、、、、
    写真左のセイコーマートでも良かったんですが、物量と品ぞ揃えに関してはセブンにはやはり叶わない、、、のかな。夕方に店に入っても車のナンバーとか見れば同じことを考えているような人たちでセブンの駐車場はいっぱいでした(笑)

    両方入りましたが、どちらを選ぶかは人それぞれという事で。(最初から1泊2食で頼んでいれば問題なかったのですが、頼んでなかったから見られた光景とか感動とか(美しい夕日、知床峠、カムイワッカへの知床林道探検・・・)もあったので、その辺は両天秤にかけてからプラン組み、というところかな?同行者のあるなし、天気、事前準備、観光への欲求度合いとか・・・・

    (ホテルのバイキング。)

    ホテルは第一ホテル(知床第一ホテル)に泊まりました。ホテルの朝食1回目が6時45分、次が8時半。後者では多分ホテルを出るのが10時だろう(ダラダラ旅のわが夫婦のいつものパターン(笑))ということで1回目にしたんだけど、団体さんとバッティングなんですね(多分ホテルどこでも?)。1回目に済ませたら観光船に乗れる。というのは船乗り場に行ってなるほどね、というのは(観光船の項で)書いた通り。
    朝食がバイキングなのは大きなホテルの定番で、複数人で行ったら最大公約数的食事スタイルかな(笑)

    レストラン内の給仕の人は外国人の研修生と思われる人もいる。ルームサービス(リネン掃除系)も簡略化のお願いモードだった。季節波動の大きな所なのとどこでも人材確保が大変なのだろうなぁ、と思いつつホテル内は過ごしてました。

    ホテルの部屋は予約時指定できませんだったけど部屋は皆海に向いていていたし、特に重視もしていなかったので問題なしでした。温泉大浴場露天も入れたし。

    山に上がったホテル群のレストランなので、オホーツク海を高い目線で眺めながらの優雅な朝食です。
    しかしながら外を眺めれば木々が大きく枝葉が揺れる程の風。天気は快晴だけど昨日乗った観光船類はすべて欠航。隣のテーブルのお客さんは観光船業者から欠航でキャンセルになりますすいません、の電話できょうどうしよう??と困惑している様子。

    さらっと雨の日プランや第2プランとかストーリーを用意出来れば問題ないんだけど、それは過去の経験値とか情報の使いこなしかほかの人のアドバイスをスムーズに受けられるとか、そんな話かな・・・?

    自分たちは運が良かったと心の中で思いつつ、優雅な朝食を頂いていたのでした・・・・。

    (ホテルのフロント。写真の通り最初の船は出たけど、あとはこの日は全滅でした、、、)

    ☆お土産考

    旅のお土産・・・今回は実は殆ど自分は何も買わずに帰ってきてしまいました。嫁様は職場土産とかいっぱい買ってましたが、自分は職場には旅行に行くとか一切言わない人なのでその系の物は無し。

    (長期旅行とかだったら考慮しますが、ショートの休みの場合は何も言わない人です)

    今回は大きなホテルだったので大きな売店があり、それなりの物は買えました。道の駅でもそれなりに品ぞろえがあるので概ねアイテム的には揃うものだと思います。団体さんは道の駅には寄らないし、個人客は道の駅などか。棲み分け上手く出来てるのでしょう、きっと。

    しかしながら(総じて)むか~し旅していた頃とはその手のアイテムの流通とか変わってしまって、なんでも自分の地元(名古屋周辺)で手に入るようになってしまいました。特に食品に関しては自分も自宅から30分か1時間かければ名古屋駅前のどさんこプラザや北海道うまいもの館が複数あって、北海道の定番系のモノから道内ローカル系のものまで手に入ってしまう。通販も手軽にできる時代だし・・・。

    最近はどこの酒売り場でも少し探せばサッポロクラシックが売っていたり、ロイズが移動販売車が家の近所に来たり、年中物産展は近所のどこかでやっていたり。。。こうなっちゃうと旅に出てなんか思い出のモノを買って帰ろうと考えても今じゃなくてもいいか、なんかここじゃないと買えない物はないかなぁ、、、、と思っちゃうんですよね。そうなると何を買って帰ろうか、、、と思ったら自分はキーホルダー1個とステッカー1枚しか買ってなかったの。なんか寂しい冷え冷えな事を書いてしましたが、自分の最大のお持ち帰りはいっぱい撮った写真と(これまでに書いた)焼き直した記憶とか、そんな物だったのかな。それはそれでいい経験をしたという事で話を締めたいと思います、はい。

    食べ物に関しては好き好みがあるので、どうしても我が家の場合は白い恋人、ロイズ、マルセイになってしまいます。今夜はジンギスカンでも、、、と言っても自分以外はラムはいやだと。最大公約数ってそんな物でして、、、、(汗

    (斜里バスウトロターミナルと、旧の国道の通り。)

    ☆ウトロバスターミナルの想い出。

    荷物をまとめてホテルをチェックアウトします。もう少し記憶の引っかかった部分とかほぐしたい所もあったけど、女満別の飛行機の時間が決まっていますので街を離れることにします。ここからも距離と時間と出来る事を考えながら進まないといけません。
    ホテル街のある坂を下りてきて、また5分か10分くらい同行者には待っててもらう事にして、斜里バスのウトロターミナルを訪ねました。

    国道が付け替わってしまい、車の通りが全くありません。道の駅がある通りには何軒か店があったりアウトドア系の事務所があったりと表の顔があるのですがこちらは裏道になってしまったため無い物ものがさらに無い?ので寂しい限りです。どこでもそう、高速が出来た、新道が出来た、道の駅が出来た、で昔からあるものは高い確率で廃れます。ここでも営業を止めてしまった飲食店とかその類が視界に入ってきましたが、、、、、引け目の写真以上の話は書かないようにしますか。

    岩尾別と北浜駅の項でも書いたのですが、ここは2度目にウトロに来た時だったかな、その前日に岩尾別(YH)に泊まったコたちと翌日1日遊んで、最後に夕方に彼女たちを見送って別れた場所なんです。最後に女の子泣いちゃって、バスが発車してもバスの後ろから見えなくなるまで手を振ってくれたコたち。そんな思い出があったのが35年位前にあった場所。あああんな事があったなぁ~と感慨深い事があった場所です。その後は年賀状1回やりがあってそれで終わっちゃったコ達だけど、多分絶対そんな感慨深い事は相手の女性軍の皆様方に置かれましては今は心の片隅にも思っていないでしょうが(爆)、まあ男ってのはそんな未練がましい?生き物なんですよ、はいはい。(笑)

    けど現地に行って一度復習して、それでスッキリしたかな、という感じ。1990年8月末のある日の出来事、これで記憶の整理整頓完了、という話でした(笑)

    この後小さな町だけど車で一周して、相方に「もう十分ですか?」と念押ししてOKを貰って、元来た道をたどって空港へと向かいます。時間的に組めるのはオシンコシンの滝と天に続く道あたりかな。

    もう少し続けますね。

  • 知床へ(18) 知床峠

    (知床峠と羅臼岳。残雪まだまだ、の図。夕方です。)

    ☆旅行日 2025-6-14

    さてここが今日のハイライト第2弾。知床峠です。知床岬を極めて知床峠で今日の観光は締めです。

    自然センター駐車場からは車で行けばそんなに遠くない。峠道を詰めても車なら15分か20分もかからない。急ぐ車は先に行かせてゆっくり登っていくくらいがいいです。最果てのクライマックス感は十分です。今回で3回目か4回目くらいかな、だいぶブランクが空いたのですがこうスカッと晴れた知床峠は初めてなのか2回目なのか。記憶の焼き直しには十分すぎる天候です。(ちなみに前回はガスで視界ゼロでした(笑))

    バスでもウトロからだったら2往復位行けるチャンスがあるみたい。ウトロからだと片道800円位だし、足が無くても晴れててチャンスあったら行くべきの所かな(夏季に限る)。

    現地に着いたのは夕方5時くらいだったのですが、それなりにレンタカー組の人はいました。外国人のレンタカー組も居ましたね。中国系の人多人数グループとかもいてなかなか写真(人物入りの年賀状素材)を撮ろうと思ってもどいてくれなくて結構難儀しましたが、、、、こういうときBY系(中国系)の人たちはみんな順番待ってるのに周りに配慮がない、、、東南アジア系や欧州系の人だと譲り合いとか雰囲気でわかってくれて問題ないのですが、、。地の果てでもこうなのですが、サナエちゃんのあれで多少は変わるのかな、こういう困ったシーンとかは。

    (地の果てにあるトイレの一つです(笑))

    グチの一つも垂れてみましたが、そんなのを差し引いてもこの場所は訪れて欲しい所かな。人里は前にも後ろにも20キロ以上走らないとないし、天候にも必ずしも恵まれる場所でもないし。

    トイレの画像を上げましたが、人里への距離とトイレへの距離は同じです。ウトロへは自然センターが閉まっていたらウトロの道の駅までトイレは無し!ちなみに知床岬で通じた携帯電話は知床峠では圏外でした(ソフトバンク)。非常時のリスクはちょっと覚えておいた方がいいです。

    ちなみにラジオに関しては地の果てまで行ってもローカル局が良く聞こえます。カムイワッカの奥地に行っても網走のFM放送は海を隔て向かい側みたいな感じなので非常によく入感します。山の上ならなおさら。寂しかったらポータブルラジオの1台でも持って行って鳴らしておきましょう。非常時も役に立ちますし。

    (羅臼がわというか知床岬方面に向かって、の図。)

    この日は北方領土は見えませんでした。まあ観光船の知床岬で国後島は拝めたのでヨシとします。

    ☆知床峠で無線をした話。

    ここで家から持ってきたアマチュア無線のハンディ機を取り出して、15分位無線をさせてもらいました(嫁様に待って貰いました)。

    その時の話とかは別の無線ブログに書いておきましたので、そちらをご覧いただければ幸いです。
    (「DXing日記」→https://jq2oul.hatenablog.com/entry/2025/07/01/074651

    で・・・・この旅行の際、自分達がほかの人と話をした機会ってどのくらいあったのかな、と考えてみました。人の話を聞いたのは知床五胡のガイドさんだけ。事務的な簡単なやり取りはレンタカーと空港と飲食ホテル位。

    あとは殆ど人と話を交わすことなく旅が終わってしまったと思われます。会話と言える話をしたのはこの知床峠でCQを出したら中標津の無線局さんが応答をして10分くらい話をした、というのだけ。

    はぁこんなもんなのかな、と思ってしまいました。昔だったらYHやドミトリー系、北海道だったらライダーハウスとかその系、土産屋で長居とかいろいろ他人様と交流する機会もあったのですが、今回はホテル付パックにしちゃったし昔のお土産屋さんなんてすでになかったし、なんか旅には満足したけど穴も開いていたのかな、という感もあとからしました。

    昔の身が軽かったころののような旅は今後することがあるのかな、と思ってしまってもいます。まあ嫁様が一緒にいてくれるのでそれはそれでいいのですが、残りの健康人生の事を考えると昔のような流離うような旅は今後出来るのかなとも思っています。難しい話です(謎

    =====

    峠にいたのは正味1時間位かな。土産屋やキッチンカーがいる場所でもないし、同行者もいる事だし、山を下りることとします。ウトロの街へは30分くらいです。帰りもゆっくり走って、夕陽を見て、写真を撮って、コンビニによって食糧調達をして(パッケージを1泊朝食にしたので)宿に帰ります。
    帰りの夕日も天候に恵まれて印象的でしたよ。既に上げてしまったので公開済みのページに夕日の写真は上げてありますので、併せてご覧くださいませませ(^^)

    (「(13)最果ての夕日は美しい」です)

    (知床へ(13) 最果ての夕日は美しい – すたんぷのーと・館長のお出かけ日記)

    観光的な要素に関してはあとは翌朝の帰り道に空港まで寄っていく所3、4か所くらいかな。地の果ての話はここで終わりになります。
    もう1~2日あったら行きたいところは何か所かあって。岩尾別温泉の露天とか、熊の湯とか、羅臼がわのアレコレとか、その他いろいろ。けど明日の午後の便で羽田に帰ってしまうのでこれで地の果ての観光的要素の話は終わりになります。

    結構長く書きました。ダラ書き。まあ頼まれて書く原稿でもないし、自分で管理している個人サイトだし、今までの事の肩の荷を下ろすような感じで書いてる。書き続けて(課題解決もしてきたので)だいぶ気分が楽になったような気もします、はい。

    この後はもう少し思い出話とか書いて、帰り道のトレース系の文を書いて行きます。

    つづく。

  • 知床へ(17) フレぺの滝(乙女の涙)

    (フレぺの滝展望台から。滝と、宇登呂灯台と知床連山、の図)

    ☆旅行日 2025-6-14

    旅の日程も半分以上消化しました。観光ハイライト的な物はあとは2、3か所でおわり。裏目的?な部分もほぼミッションコンプリで、あとは締めにかかるところ。この旅行記もあと数本で締めますので、もうしばらくお付き合いの程を(笑)

    ====

    観光船を下りたのが2時過ぎ。あと4、5時間はいろいろと見て回る時間がありそう。という事でこの後はフレぺの滝(乙女の涙)と知床峠まで足を延ばします。明日はもう朝にはウトロの街を出てしまうので今日が実質知床観光の最終日です。

    この地に居られるのも明日の朝までなので出来るだけ多くのなんとか、という感じですね。けどまあ連れられて行くパックでもなく自分で決めたスタイルの旅なので多少も無理でもやっちゃいます(笑)

    短い旅なので自由気まま、というわけにはいかなくて。限られた時間のなかでどうするか台本(ストーリー)をセッティングするのですが、今回はトラブルみたいなこともなく凄く上手く行ってる。運がいいのかな?

    もとい。

    観光船を下りて昨日走った道を登ってフレぺの滝(乙女の涙)へ向かいます。
    昔フレぺの滝なんて言ったかなぁ、乙女の涙、男の涙としか名前の覚えがない。今は探さないと「乙女の涙」とかいうワードが出てこない。(昔旅人さんだった)嫁様の知人に聞いてもそうだった。なんでかな?

    岬へは直接車では行けないので知床自然センターの駐車場に車をとめます。自然センターの中にはなぜかモンベルの店舗がある。どのような商売展開の意図でこんな山奥に店を構えてるのかは知らないけど・・・・?(笑) 地元でもそうだよな、御在所岳の山の上に店があったりとかするし。(以前の項でも書いたけど)ようわからんです。

    で、ここ発のガイドツアーとか別(観光)スポットもあるようですが、今回は岬巡りだけとします。

    自分達が行った時にはヒグマの活動期という事でストレートには森の中を行けなくて、駐車場から国道を歩いて戻って別ルートから入るような規制がかかっていました。なので数百メートルの回り道をすることになってました。(大体6月から7月の上旬までみたい)


    知床観光は十分に楽しもうとすると歩かないといけません。知床五湖の五湖巡りも、カムイワッカの滝登りも、ここフレぺの滝も、歩かないといけません。なんで普段歩かない人には結構きついかな?(笑)「1キロ以上歩くよ!」「え~・・・」とう方は無理かな?(笑) 多少のスタミナと精神的余裕は必要だと思います(^_^)

    (滝の展望台へ向かう散策路。写真は海側から。奥が駐車場/国道方面です。)

    遠回りだったので1キロ半くらい歩いたのかな。インバウンドの影響もあるのか、案外こんな山奥でも外国人の人が歩いているのが目につきます。知床観光船の船上(団体さんの乗らない岬コース)もそうでした。ただまあ中国人が団体でいるというわけではなく個人旅行の人が旅を楽しんでいる、という光景かな。何事もほどほどがいいです(謎

    (写真左に写っているのが展望台。昔はその先の突端まで行けましたが・・・今は行けません。)

    駐車場から迂回路使って1.5キロくらい歩くと展望台で、ページ一番上の写真のような光景になります。展望デッキは高めに作ってあるのですが、完全に滝の下まではクリアには見られません。
    昔はこの上の写真の突端まで行けて、肝試し!みたいなことが出来たと記憶しています。行けばそれはそれでそれなりの光景を見ることはできるのですが現在は手前に柵があって立ち入ることはできません、念のため。落ちたら崖下まで一直線で滑落ですので肝試しはやってはいけませんヨ。(もっとも高い柵があって入れないようにはなってますが。)

    ちなみに展望デッキのまわり、柵の外側の崖には鹿がたくさんいます。逃げもしません(柵があるので安心してるのかな?)なので観光船に乗って「鹿が見えます~」とかいう案内で遠くの鹿さんの写真を撮って追いかけるようなことはしなくていいです。道路で車をとめて鹿やキツネを追いかけるようなこともしなくていいです、はい。

    ☆全景を見るには海から

    ちなみにこの写真はここに来る前に観光船の帰りに撮ったもの。全景をクリアに見るには船に乗らないと見られません、なのでそんな写真を上げておきます・・・・。右側の小高い所がこの写真の上の写真の突端部になるのですが、落ちてもこれだと誰も気づきませんし、泳がないと帰れませんネ(^^; (ここの写真の左側に位置する)男の涙も今は陸側からは近寄れないそうで、船に乗って海から眺める、という形です。

    (当然なのですが、お金かかっちゃいますネ(笑))

    センターに車をとめて乙女の涙まで行って見て帰って来るのはどうでしょう、1時間半もあればいいのかな。観光ツアーだとすっ飛ばす場所ですが、景色もいいし、時間を取って一見の価値はあると思います。時間は限られても心にはゆとりは持てますので、大丈夫です。

    ======

    さてこの後は陸上の観光ハイライトの一つ、知床峠です。何回か行ってるけど、やはり峠の上まで登るというのは高揚感があります。前回(20年位前)はガスで視界ゼロでしたが、今日は雲一つなく目の前に羅臼岳が見えます。峠もクリア。否が応でもテンションが上がります。きょうは知床岬到達とか、知床峠のてっぺんとか、「クライマックス感」がテーマだったのかな?(笑)


    寸止めですが、この後は次回という事で(笑)

    つづく。

  • 知床へ(16) 観光船で知床岬へ(その2)

    (ついに到達、知床岬の突端であります)

    ☆旅行日 2025-6-14

    9月から旅行記を書き始めたのですが年を越してしまいました(笑)

    もうしばらくお付き合いの程を。

    ウトロの港を出航してお昼前に知床岬へ到達します。ここでお写真タイムという事で暫く留まってもらえます。
    遂に来ました知床岬。宗谷岬もスコトン岬も襟裳岬も納沙布岬も行きましたが、ここだけは船に乗らないと来れない所なので感慨ひとしお?であります。

    昔ここに来るのに歩いて行ったとか言う人の話は複数聞いたことがありますが、自分はそこまでの根性はないな(笑)

    (ここまで来るともらえる視察証明書・・・・)

    船内でこの到達証明書(というか視察証明書)ってのがもらえます。日付がないから自分で書け、ってことか(^^; ネタ的には自慢できますね。

    いやあこれで嫁様の願望はかなえましたよ。礼文島のスコトン岬も、納沙布岬の笹川さんの展望台も連れて行きましたよ。長い人生岬巡り、よく自分についてきてくれましたわ(笑)

    (鹿捕獲のための罠だそうです)

    岬のすぐ近くで写真を撮っていたんだけど、「おやっ?」という構造物を見つけてしまいました。何なのかなと思って船員さんに聞いてみたら「鹿のわな」という返事。あとから調べてみましたがやっぱりそうだったようで、エゾシカを捕獲するための構造物なのだそう。エゾシカが増えすぎてあれこれやってるのは調べりゃわかる話なのですが、人の立ち入りが厳しく規制されているこんなところにこんなものがあるなんて意外な話でした。多分こんなものをナマで見られるのは関係者以外では観光船の乗客位なもので、ほとんどの人は見ることはないと思われますので載せてみた次第です。
    まあこんなところにそんなものを作らないといかんほど増えすぎちゃっているのが現実なのかもしれませんが・・・

    そういえば行ったころには「知床の海でも携帯電話を使えるように基地局をどこかに作れないか?みたいな話がニュース記事界隈に出ていましたね。この記事を書いている時点では自然保護関係者の反対とかで進展がないようですが、漁と観光シーズン位は何らかの臨時の小規模の基地局とか出来ないのかなぁ、とかも思った次第。人の手が既に入っている場所に間借りとか相乗りとかでね。まあいろいろな力関係とか力学があって難しいのかも知れないけれど。山岳の夏季臨時基地局なんてのはすでに実用化されているのでなんか話の落としどころってのはないかなぁ、とも思っています。スターリンクの活用とか、他社では数年後にはスターリンクとは別の低軌道衛星が同様のサービスを実用化の計画で国内では楽天モバイルが参画しているそうなのでまた数年後には話が大きく変わっているのかも知れません。

    けどまあ人(観光客あたり)が携帯電話を地の果てでも使いたいというのは1年で数か月(多分、半年もない)しかないわけで、課題問題としてはフレームのすごく片隅みたいな問題なのでしょう。それよりもレジャー活動の安全性の担保を持って~という話なのかも知れませんね。
    外野素人レベルの書き物としてはこのあたりで留めておきましょうか。

    (カムイワッカの滝と、硫黄山)

    帰りはゆっくり船を走らせているようで、体感ですが時間調整気味にウトロまで戻っていました。乗客の皆さん帰りは達成感ひとしおなのか外に出て自然観察鑑賞会をやっている人は少なくなります。中にはソファーで寝ている人もいました(笑) 

    写真のカムイワッカの滝も近くまで寄ってもらえます。前日はここからは見えないけど林道に入って湯の滝鑑賞会が出来ましたし、きょうは海から上から下までばっちりな光景を拝むことができました。満点観光です。写真を撮るなら帰りの方が外に出ている人が少ないのでゆっくり撮ることが出来ますね、なんでも同じパターンか?(笑)

    小型船ででないとイルカなんぞは見られないと思われますが、帰りの船では結構イルカの泳いでいる光景を眺めることができましたし、最後は岩尾別川の河口でクマの親子を発見することができて大型船にもかかわらず結構陸の方まで船を近づけて貰えました。シカに関しても見つけられたようですが陸に上がってフレペの滝付近に行けばいっぱいみられるので船からシカを探す必要性はなさそうですよ(笑)

    #海洋哺乳類生物系(イルカなど泳ぐ系)だったら多分沖縄とか小笠原あたりに行った方がいいんじゃないのかなと個人的には思います。小笠原だったら運が良ければ一緒に泳げるし、沖縄近隣離島だとアクセスは知床よりはいいと思うし。個人的な考えですが。

    (帰ってきました、往復4時間の航海お疲れさまでした)

    その他いろいろな見どころとかあるのですが、尺伸ばしもほどほどにしておいた方がいいと思うので?、その辺はその他の人のサイトやネットの資料をご参照ください(笑)

    14時過ぎにウトロの港に無事到着です。入れ替わりに同社の小型船「おーろら3」が出ていきます。こちらもみなさんライフジャケット着用になってるのが写真でもお判りいただけると思います。

    で、なんか。。。帰ってきた時点が一番天気がいいじゃないですか、快晴で。そんなもんかあるあるかわかんないけど、おさまりのいい写真きれいな写真だけは撮れました、ということか?(笑)

    ということで今日の観光メインの「知床岬を観る」は無事コンプリとなりました。ちなみに翌日は朝起きた時点で強風で観光船は小型大型とも全便欠航となっていて、一日違いで成果雲泥の差、となってました。運がよかったのかな。来る前から雨の日プランとか代替シナリオを考えたりとかしていたのですが、今のところは杞憂で終わっています。

    今日はまだまだ時間があります、この後はフレペの岬(乙女の涙)、知床峠へというプランニング。夕方まで時間目いっぱい遊びます。

    つづく。

  • 知床へ(15) 観光船で知床岬へ(その1)

    (やってきました観光船「おーろら」。初便の硫黄山折り返し便の次が我らの便です。)

    ☆旅行日 2025-6-14

    今回のお題は「知床観光船知床岬コース」です。

    オロンコ岩の岩登りで時間調整をして、観光船の待合所でチェックインをします。

    天候は曇りで、たまにパラパラ雨?みたいな天気。けど風が無く海はベタ凪で運航は全く問題なさそう。予約はオンラインでしましたがお客さんの数は予約しなくても大丈夫なくらいでした(6月半ばの話です)。

    (ちなみに決済は現地決済でWeb予約は枠確保のみです)

    (観光船「おーろら」の受付&待合所。)

    乗船券は今はサーマルペーパーなんですね、、、昔は印刷の券片が残って旅の想い出にもなったのですが、いまは(航空券なんかも同じですが)ただのサーマル紙ですな・・・まあそれでも取っておけば旅の想い出、ということで。

    運航ダイヤは我々の乗る便の前に朝早い時間に硫黄山折り返しがあって。ホテルに泊まって判ったのですが、宿の朝ごはんの時間って観光船に乗るためにホテルの朝食の初回の時間は早いんですね・・・・早飯を喰って、観光船に乗って遊覧して、そして観光バスに乗って各地に旅立ってゆく、というルーチンなのを初めて知ります。我々が乗り場に来る前にすでに観光バスがとまっていて、降りてくる乗客を待ってました。

    (ゴジラ岩観光の「カムイワッカ88」号。小型船はライフジャケット着用です。)

    我々が乗り込むとのほぼ同じ時間に小型船のゴジラ岩観光の船が出航していきました。 同じような時間に出て行くのですが、色々調べていくと単独では(安全の確保のため)観光船は運航はしないようなスタイルになっているようですね。数年前の事故の影響もあるのでしょう、小型船の部類の船は全員ライフジャケット着用で、運行前に拡声器を使って安全運航のためのレクチャーをやっているのが結構距離のある我々の船まではっきり聞こえていました。我々の大型観光船は安全性の担保があるという事なのでしょう、特に何もありませんでした。 

    船に乗り込みいよいよ出航。天候は朝のオロンコ岩登りの頃は曇天でなんかパラパラきた?みたいな天気だったんだけけど、港を出たら薄曇りに変わったりとか晴れたりとか、結構目まぐるしく変わります。ここが道東観光地の果ての服装準備の泣き所で、今回も薄手のジャンパーを持って乗船をしましたが、結果正解だったようです。

    (行きの乗客の皆さん。外に出て岬まで写真パチパチが続きます。)

    行きはみなさん案内音声があるので外に出てお写真タイムです。船員さんは見張りをしながら、双眼鏡でイルカとか鹿とか熊とか居ないか先回りで探して~見つけ次第放送で乗客に知らせてくれるスタイル。小型船は陸地に近づいてくれるとか言うのはセールポイントにあるのですが、実際には海岸には定置網が仕掛けてある場所が結構多く、どこでも岸に近づいてくれるというわけではなさそう。観光よりも漁業者の生活の方が優先なのは言うまでもない話で、ほどほどの距離で海を行く大型船の方が自分には合っていると感じた次第です。(あと天候気候の安定性に欠ける場所柄もありますし・・・・)

    (硫黄山を遠目に眺めて、いよいよ知床岬へ・・・)

    上の写真はルシャ湾に差し掛かった所。遠くには硫黄山。このあたりから気候が変わってきました。このあたりが知床半島で一番標高の低い所で、風の通り道になるため風が強くなり、少し寒くなります。ジャンパーを持ってきて良かったの話です。この先は小型船だと運航期間も短く設定されていたり、運航条件(風速、波高)がかの事件後厳しくなったので岬まで行こうとすると大型船の選択が適切、という事が多くなるのでないかと思います。運行情報はホテルのフロントとか道の駅に掲示してあったり、オシンコシンの売店にも貼ってありましたね。

    このあたり。かの小型遊覧船の遭難時、携帯電話が通じるだの通じないだのとマスコミなどが騒ぎ立てましたが、自分の持っていた携帯電話は知床岬の突端付近まで4Gで問題なく通信が出来ました(ソフトバンク)。船の外のデッキにいたので海面から高さもあったし見通しも良かったし。

    知床五湖まで携帯の基地局が来ていたり、海上伝搬で電波が遠くまで行き届いて居たりとか見通しが効いているせいもあるのでしょう。ただまあ遭難事故のあった崖下のような(超短波では)見通しの効かない場所、小型船においては海面から携帯電話のような機器でアンテナ内蔵で給電点が低い条件ならそりゃ届かんわな、という話だろうと(電波伝搬に知識があれば)容易に想像は出来ると思います。また違法ですが簡単に高出力の出せるアマ無線機を搭載してそれを担保にしていたという安易な考え方に至っていたというのもわからんわけではないのですが、長年やってる無線愛好家としては全くの迷惑な話でね。

    人災という部分が大きいのですが、保安機器を装備して、ちゃんとマリンVHF等を搭載して適切に運用していれば、というタラレバを思いながらこのあたりを通り過ぎて行ったのでした。

    ここまで来て時間はウトロから1時間15分位かな。ここから30分弱で知床岬です。ルシャまでは通行止めだけど林道が来ていて、コロナ禍の頃のテレビの再放送(NHK)で、ユネスコの関係者が番屋の傍らの橋を撤去しろだのなんだろとイチャモンをつけていた場面が流されていたのを今でも思い出します。結果としていまでも残っているんですが、ユネスコの言ってる通りに何でも従っちゃうのもなぁ、とか思い出しながら現地を通過して見てました(そんなことをいまだに覚えている自分もなんか変?(笑))。

    つづく。