カテゴリー: ほっかいど旅行記

  • 知床へ(14) 最果ての地で手に入れた赤い「とほ」の話

    ☆旅行日:2025-6-14

    (オロンコ岩の上から、ウトロの街。ど真ん中がゴジラ岩、左が北こぶしリゾート、丘の上がホテル街。)

    日が変わって土曜日。今日はメインに知床観光船の知床岬コースを据えたのでそれまではウトロの街歩きでもしようか、という事にしました。船の出航は10時過ぎだったのでそれまでは昔の記憶をたどって少し街歩きを・・・・。

    宿(知床第一ホテル)を出て船の時間まで1時間半あったのでどこに行こうかという事で、手っ取り早い「オロンコ岩登り」をすることにしました。実は何度もウトロの地は訪れているんだけどオロンコ岩には登ったことが無かったワタシ(笑)恥ずかしながら初登山をすることにしました。
    登るだけだったら10分~15分位?で登れるのですが崖に無理やり階段作った感があって結構怖い人には怖い。手すりはありますが足滑らせたら崖からナントカ感あって怖いです。ちなみに帰りに膝下あたりがつってしまいました(^^)

    (オロンコ岩の上で、ユリの花と知床連山。2025-6-14)

    高台から街全景を見下ろせるところはここくらいしか無いので一度は登っておいた方がいいのかな。ちなみに下の駐車場は長時間駐車でなければタダ。トイレもあります。オロンコ岩のトンネルを抜けてその先は有料駐車場なので、滞在時間に応じてうまく使い分ければOKかと思います。まあ道の駅に停めて街ブラしてもいいんだけど。

    お上りさん?を終えて、船のチェックインをして、それでもまだ時間があったのでセイコーマートで買い出しをして、写真のまん中にある通りを少し歩いてみることにしました。(船がお昼を跨ぐ航海なので、食糧持参の必要があったため買い出し。)

    昔このあたりには土産屋さんとか民芸屋さんが複数あったはずなんですが、ないですね。この通りにあったのは1軒と、昔からある民宿だけ。あとは観光船の事務所(待合所)とか、BBQ屋(休業中)とかになってる。まだ繁忙期でもないという事で人通りもなくて。昔来た時はこんな寂しい光景じゃなかったよなぁ、、、、、観光船の待合所とか何軒あるのですが、例の観光船事故の余波とかもあるのでしょう、廃れた寂しい通りでしたね。観光船の時間が近づくと乗用車だけが駐車場に向かって結構走って行って人は殆ど歩いていない。寂しい通りでした。

    昔は時間の有る旅人さんが土産屋民芸店に長時間居たりしてそれでも問題なくて、自分もそういう経験がありました。それが昔の北の旅の楽しみでしたね。いまはもうそんなこともなくなってしまったのでしょうが、そういう中から思いがけない展開とかあったりするもので・・・・

    ちなみに検索するとかなり古い記事の「ユーカラ民芸」が数件ヒットするだけ、下に書く「北大民芸」なんかは言葉のヒットすらしません。

    このまま時が経てば個人サイトだとホスティングの契約切れ、とか個人向け無料ブログサービスの終了とかで検索すらおぼつかなくなる、そんな話なのかな。そうなったら今度は物持ちのいい元旅人さんやどっかの民宿などを訪ね歩いて紙の資料のサルベージとかをしなきゃいけないだろな、、、、30年経てば昨日のように自分が思っていた記憶も記録もそんなもんです。

    「やばいよな、と思ったら再び旅に出ましょうね!」(笑)

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    (赤い「とほ」がウトロで手に入れた初めてのとほ。この時1冊150円。)

    さてこの回の本題です。

    これまでこのあたりで体験したこと等が自分の旅人生(旅人人生というにはおこがましいので一文字抜くね)において多大なる影響を及ぼしたことはここまでにあれこれと書きました。最後に書くのが上の「とほ」の話です。

    「とほ」そのものは辿っていくと1986年に初版が発行されて現在は隔年で縦長の本になってますが、昔は横長の写真のようなスタイルの冊子でした。100円、150円、200円までが横長だったかな。まだネットとかない時代はこの冊子はYHのハンドブックと合わせて重宝されて安宿旅行の必須アイテムのの一つでした。情報がネットに本格移行するまでが掲載宿数のピークで、増えすぎちゃって色々あって、広告を掲載するというスタイルから(あいまいな形をやめて)組織を作って、という経緯で現在に至っている、というのがストーリー的には正しいのかな、と思います。
    ちょうど自分が北の大地に通い始めたのは二輪で北海道ツーリングというのが大流行りで、このカテゴリーとは別にライダーハウスが雨後の筍のように出来ていった時代で安く旅をするには(情報を持っていれば)ネットとかが無くても何も困らなかった時代だったと思います。その手の宿には小さなメモ紙くらいの大きさのチラシが置いてあったり、宿に貼り紙広告があったりとか、談話室や部屋で交流すればすぐに自分の情報量が飛躍的に広がりましたから。

    自分が北の大地にひとりで行き始めた頃はこの「とほ」の事なんかまったく知らなくて、安く泊まるにはYHのハンドブックを見ながら基本のスケジュールを組んでいったものでした。まあユース民宿の類の安宿情報なんてどうやったら手に入るのだろうと言った時代、ネットワーク時代の幕開け寸前みたいな時期でしたか。

    その他、古い方だと80年代には「とらべるまんの北海道」90年代は初頭に「北海道が好き」とか道内出版のツーリング本(疾駆北駆す)とか、「北海道ユースホステルJOHO」とか、90年代の後半は「なまら蝦夷」とか、いろんなブックレットがあって、行けばそんな本とか情報が手に入れられて、行くごとに旅の厚みが増して~といういい時代だったかな、インターネットが出現するまでは。(そのブリッジの期間にパソコン通信(TTY)もありましたね。そんな時代も経験した館長です(笑))

    #その時代のそういう冊子はご丁寧に?我が家の本棚に飾ってありまして、いつでも見られる我が家だったりします(「とらべるまん」はさすがにないけど(笑))

    今時はネットでの情報収集が必要十分かそれ以上に入手出来て、予習が時には完璧にできる時代になってそれを実行するだけってのが現実かな。未知を知る旅ではなく「ただの演習旅行」って言った方がいいのかな。まあ自分の旅行もそうなっちゃってしまっているんだけど・・・・はい。

    (ウトロ「北大民芸」にて。1989-8-25)

    (同じく北大民芸にて。店主と、後ろは泊まった宿の仲間等々。1990-09-06)

    少し話がそれました、

    そんな中、89年に北海道に来て、この旅行記の6話目(http://www.stampnote.com/wp/odekake/2025/10/24/362/l)みたいな話があって、YHの泊まり歩きを始めて、ライダーハウスなるものを知り(本物のライダーハウスに泊まったのもウトロが初めて)、そして上の写真の北大民芸で「とほ」の冊子を薦められて入手したのがユース民宿(とほ宿)泊まり歩きのきっかけ、という話だったのでした。

    買ったのは91年版が最初だったから、この上の写真の次の年になるのかな。ほぼない記憶を昔の記録を繋ぎ合わせると、

    89年は店を訪れて、写真だけの記録がある。ネガに日付けが写し込んであったからそれが証拠。

    90年は岩尾別のYHに1泊泊まって、次の日はみんなで遊んで、グリーンハウスに泊まって、翌日北大民芸に昼くらいまでうだうだしていて、じゃがいも大量に煮るからデカい鍋1つ分洗って、店の車洗車して、最後にアイヌ衣装着てアイス買いに行ったら2K円貰ったとかハチャメチャな時間を過ごして、そのあと峠越えをして標津に行った記憶と記録が。

    91年はそのアイヌ衣装を着た写真を貼ったポストカードが年賀状で送られてきて、翌年も義理堅く社会人1年目の長期休暇で北海道に走りに行ってしまい、ウトロに来てしまい、年賀状ありがとうのあとに上の写真の赤い「とほ」が出て来た。

    というストーリーでした。手書きの原稿をそのまま刷った旅の情報誌ってのは今まで見たことが無かったので新鮮だったなぁ・・・・そして宿の選択肢がかなり広がったのでその後の旅のスタイルが大きく変わって行くようになったのよね。

    この上に書いた書いた1989、1990、1991年の一連の話が無かったら今頃どうなっていたのかって、全然違っていたと思う。

    (そして今までこの旅行記のシリーズで書いてきた既述のアレコレな話とかも・・・)

    それがこの知床地の果てウトロ界隈だったというのもこれまた偶然なのか何なのか。単なる偶然?必然?意味のある偶然の一致なのか。わからん。本当にわからんのです(笑)

    とほ宿を使い始めたのはその翌年の冬あたりからだったかな。いまは無き母子里一刻館(建物もない)、丹頂の家(だいぶ前にとほはやめた)、民宿びばうし(ここもかなり前に宿はやめて、もう建物もない)あたりから宿として泊まり始めたのは。

    けどまあYHであろうがユース民宿(とほ宿)であろうが、周遊回遊型で泊まっただけではなんかその先が広まらないよね、ということで旅のスタイルを変えなきゃなぁ、ということで2、3か所のそれ系の宿に何度も足を運ぶような感じで旅のスタイルを変えていった、というのが若い頃の自分の旅スタイル履歴、という事になります。そのあたりの思い出話なんかはまたの機会に書いてみたいなと思っています。

    ちょいと旅行記の話とはズレズレな話を長々と書いてしまいましたが、上の話はどうしても書いておかないと気持ちの整理がつかないのでこの項で書かせていただきました。

    廃れ切った通りを歩いていろんなことを考えて、思い出してしまいました。30年とか35年って長かったけど、こうして振り返って書き起こしてみると感慨深い物?を感じます。総括して何を最後に記せばいいのかわかんないんだかけど・・・・

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    さてさてこの後は知床観光船・知床岬コースに乗船します。船に乗るのはこれまた35年ぶりなのかな。以前はカムイワッカ折り返し便だったけど、今回は岬の突端まで行きます。嫁様の最大の希望「知床岬の先端が見たい」を叶えてあげないといけない。思い出に浸りに来た「だけ」の旅ではないのです表目標は完全遂行です。(笑)

    つづく。

  • 知床へ(13) 最果ての夕日は美しい

    (ウトロの市街地から幌別川の方に少し行ったところ 2025-6-13)

    知床観光の大きなセールスポイントは、自分は「夕日」だと思っています。

    タイトル通り「最果ての夕日は美しい」のです。最果ての旅気分に更にバイアスがかかって?クライマックス感最高なのです。

    上の写真は334号のウトロ市街地から幌別橋に向かう海岸線で見られる夕陽。一度現場で見た方がいいと思うオススメの夕日です。 

    自分も30年以上前に写真に収めた時以来すっとまた一度ナマで見てみたいと思っていた光景。
    僕の想い出は30年以上押し入れの奥にしまってあった同じ構図のコダクロームのマウントポジ1コマだけだったの。時々見返してまた見たいなぁと思っていて・・・・

    なので、勝手に悦に浸って(悦に入るが正しいか)ました(笑) コレも昔の想い出の復習になるのかな。また達成(笑)

    ちなみに35年位前はこの反対側の場所にライダーハウスの「ウトログリーンハウス」があって、700円で泊まれました。2回使いました。夕方チェックインして、この夕陽を見て、というシチュエーションでしたね・・・暮れていく夕日を見て見て女の子とロマンチックに・・・ではなく、泊っていたのは野郎ばかりでしたわ(w

    (知床五湖の高架木道から。 2025-6-13)

    お次は知床五湖の高架木道から。なんか作ったような写真ですが、、、、なかなか見たとおりにいじってもなりませんな<色(笑)

    幼い木の位置とかの構図はたまたまです。

    少し日が高いのですがここも綺麗ですよ。ただし夕方の営業終了時間と合うかどうかが悩ましい所(時間が来ると手前でゲートが閉まってしまいますのでトリコにならないように(笑))

    (334号のプユニ岬展望台の看板の近く 2025-6-14)

    ウトロ市街地を出て、幌別橋を通り、坂の途中に「プユニ岬展望台」という看板があります。車が停められます。木々の間から海に沈んでいく夕日が眺められます。このあたり地平レベルなら1枚目の所、海の見下ろしならここという事かな。季節によって木が茂って来ると見晴らしがよくないのは裏摩周あたりと同じかな。開けてるところを探せば見られます。走って来る車には注意が必要です。

    (カムイワッカ 道路の終点付近の振り返り。2025-6-13)

    最後は前のページに書いた「カムイワッカ湯の滝」の行き止まりから見た夕日です。

    沢の音と時期によってはセミの鳴き声しか聞こえない中で沈む夕日を眺めるなんて贅沢極まりないシチュエーションじゃないですか・・?(^^)

    ほぼこの時間は誰も居ないでしょう。逆に誰も居なくてクマがいつ出るかわかんないですからこのご時世だと肝試し要素があるかも知れません。(ちなみに帰り道で道路上にホカホカのクマの糞見ちゃったけど・・)

    駆け足旅行だとこういう贅沢を味わうのはまず無理で、フリープランで来なきゃいけませんね。

    絶対一回は体験して欲しいと思っています。

    ===

    以上、「最果ての夕日は美しい」コーナーを終わります。
    次回は普通に旅ログ調子に戻ります。

    つづく。

  • 知床へ(12) カムイワッカの滝(カムイワッカ湯の滝)

    ☆旅行日 2025-6-13

    知床五湖を後にして。(南国土佐じゃないですw)

    車も少なくなった駐車場を出て、すぐに左に折れてダートに入ります。いよいよダートです(笑)
    昔はいっぱいダートがあったよな、、、、札幌から三笠経由で富良野行くときも桂沢湖より先はダートだったし、三国峠も峠の前後は深い砂利ダートだった。みんな公共工事の餌食になって?舗装されてしまった。もっともレンタカー屋なんか貸した車でダートで走って欲しくないだろう。昨年釧路で車借りた時には「レンタカーで河川敷に入ってとかバーベキューとかやめてくれ」とか摩訶不思議な事まで書いてあったよな、、、、(謎

    まあそれはそれとして、北海道の砂利道を走ってみたいという欲求がある方はそれなりにいると思われます。自分もそうです。なので公共事業でどこまでもアスファルトを敷いてしまうのはちょいとセーブして頂けると幸いです(笑)

    ===(少し脱線)=====

    この記事群を書き始めてからちょっとして、嫁様の高校からの友達が我が家にやってきて。彼女若い頃は北の大地をオフ車でさすらっていたらしく、このあたりの話もよくわかるのだそう。

    「岩尾別とかウトロの話って、わかる?」と聞いたら「わかるよ」という話して、今回行った写真を見せながらしばし大盛り上がりをしてた。

    「自分行った時岩尾別のYHの坂ってさ、ダートだった?」「うんあれは25年位前の話かなぁ~」

    「私春に行った時は最終のバス終わっててさ、ウトロから岩尾別まで歩いて行ったよ、迎えが来たのは宿の手前だったわw」

    「泊まった時は私ひとりでさ、ヘルパーたちと朝まで宴会してたわw、羅臼岳の弾丸もやったわ」とか、あといろいろ。

    いろいろ撮った写真を見せてあげて、自分が行った時と変わってしまっていた光景を見て感慨にふけっていた様子(笑)

    (カムイワッカへ続くダート。昔のままです。2025-6-13)

    この写真を見せてさすらい心に火をつけてやろうかと思いましたが、仕事第一に走り続けている人生のようでそこまでには至らなかったようです(笑)

    (ちなみに当時のバイクは家の倉庫で保管してあるそうですけどね)

    ====(脱線 ここまで)====

    知床五湖からカムイワッカ湯の滝まではダートなので走って20分くらいかな。日も落ちかけで薄暗くなりつつありまして、対向車もなく、横断道路分岐にあった電光板「カムイワッカ方面通行可能」の表示がほんとか不安になって来る。さらにカーナビが手前で「通行止め」の表示を出してる。どっちが本当なの?まあとりあえず行ってみようか?ということでゆっくり走っていきます。

    恐る恐る車を進めていくと不安は杞憂で、終点まで行けました。ほっとしました(笑)

    (終点 カムイワッカ湯の滝入り口です)

    時間は夜の6時近く。こんな時間にここまで来る人はいないでしょう、我々だけで二人占め?のカムイワッカです。ちなみに行った時は立ち入り規制中でした。7月から2か月間くらいガイドツアー参加の条件で滝登り(沢登り)が出来るようになっているのですが・・・。

    まあ行っても土砂崩れかなんかで滝壺が埋まってしまい昔みたいなおおらかな滝つぼ体験は出来ないようですが・・・・昔自分が行った時はたしかバスローブだけで入っている若い女の子とか居たよな(^^; オンネトーの湯の滝でもそうだった。昔は良かった、ほんと(笑)

    聞こえるのは沢の音だけで、あとは何もなしの超贅沢な時間と空間です。35年位前に来た時はYHの仲間とわいわいがやがや、車もバイクもそこそこいた夏の時期だったっけ。それはそれで楽しかったけど、今回は何もない贅沢をひととき味わう、というシチュエーション。地の果てで何にもない体験をする。そんな贅沢を同行者と同様に味わってる。(うらやましい?(笑))

    (道路の端から。一番下の滝つぼ。ここは湯に浸かるにはたしかぬるすぎたよね(笑))

    昔来た時はこのを上の方までの方まで登って行って、海パンになって湯に浸かったりとかして遊んだっけ。あれは自分が20代前半の頃だった。ヤマトの沖田艦長ではありませんが「何もかもが懐かしい」とか名ゼリフが出てきそうです。

    このあたりだと岩尾別の露天、セセキ、相泊、熊の湯、してこのカムイワッカの湯の滝、みんな昔のうちに入った。入っておいてよかった。これ以上の野湯は経験していないし今時行くとヒグマの餌食になるからやめとけとか言われるのがオチかな。まあ何はともあれ現地にたどり着けて、再びこの光景を落ち着いてみられたということに感謝しないといけないです、はい。

    (カムイワッカのゲート。)

    カムイワッカのゲートです。立派なゲートが出来ていて、4か国語で立ち入り禁止の看板までありました。
    昔はこの先、知床大橋(※今の国道の知床大橋ではない)までは行くことが出来ました。自分も行ったことがありますし、昔の思い出というかその経験があった方は(それなりの年齢の方は)多いと思います。も一つ言えば大昔はウトロから旧の知床大橋まで1日1本の斜里バスの路線バスがあって昼頃にそれが走っていた覚えがあります。ちゃんと時刻表にも載ってた覚えがある。この先は申請をして(か、ここにある入山届を書いて投函して)硫黄山に登る目的でしか入れないようで。

    いまここに来るには、お盆以外はバスの手段が無く、車かバイクなどで来るしか手段もありません。まあ昔と条件はほとんど同じなんですけどね。ここが地の果てのどんづまり、終点です。女満別を降り立って120Kmの所です。この先旧の知床大橋からルシャまで道はありますが、一般人はここまで。名古屋からバスと飛行機、車を乗り継いでここまで約1400Kmくらいですか。前日の今頃は職場のソーコに汗かいて居たのでそのこのギャップはなんぞや、という話でもありますわ(笑)

    さてこれで今日の観光メニューはすべて終わりです。
    何がお題だったっけ。まずは網走駅前で昔の記憶の呼び起こし。鱒浦で点火して、北浜で思い出の振り返りをして、ウトロは昼飯だけで(すいません)、岩尾別でまた昔の振り返りをして、知床五湖をゆっくり歩いて、カムイワッカまで来て。事前に考えたストーリー通りでほぼ台本通りの一日が暮れました。

    まあ昔の学生時代とか長期休暇が取れた前の会社の時なんかはもっとユルユルなプランやノープランみたいな旅も出来たのですが、今の会社では3日休むのがやっと、ほんとにやっと。今回も1夜行2泊3日で無理矢理時間をつくって来ましたが、ここに降り立ってマジ良かったと思ってる。何もない所、観光アトラクション巡り旅行的には来れない場所なんで来られてよかったと思ってる。ひょっとしたら自分もそれなりの歳だしも、もう来れないかもしれないし。今日は十分なログとりと記憶の焼き付けまで出来たのでもう言うことは無いです(笑) 

    またいつの日か、ここに来られますように。

    さあこれからウトロまで戻ります。今回はウトロに連泊です。旅行会社のダイナミックパッケージで組んだので今回はホテル泊り。夕飯はオーダーしていないので7時くらいまでには入れればいっか、で来たし、のんびり街まで帰ります。

    つづく

  • 知床へ(11) 知床五湖(その2)

    (五湖(5番目の~))。

    ☆旅行日 2025-6-13

    さてさて散策路を反時計回りに歩いて行きます。最初に現れる湖は五湖、上の写真の様に湖面に逆さ知床連山、森が綺麗に見られます。この日は晴れたり薄曇りだったりとかで写真の出来栄えというか写り具合とか言うのもバラバラ(笑)。こればかりは仕方が無いなぁ、、、、というところかな。

    (三湖。一番右が羅臼岳で、一番右の低い所あたりが知床峠。)

    五つ湖があってそれぞれ違う光景があるので時間があれば5つ全部ゆっくり回ってみた方がいいです、正直な所。

    五つ回って写真映えするのは五湖と三湖かな。知床連山と森が逆さに映る絵が綺麗に撮れるのはこの2か所かなぁ・・・高架木道で見られる一湖は湖面にスイレンが繁殖してしまい、このような逆さ連山を写真に映し込むことは場合によっては難しくなってしまっているようです(定期的に除去はしているようですが、上の写真の様に写真にキレイに収めようとすると5つ巡って仕留めないといけなくなっています)。今回は訪れた時期も良かったのか、いい写真を仕留めることが出来たようです。

    ちなみに上の写真2枚はiPhoneで撮ったもの。 カメラとしてはK3-Mk3とiPhoneだったんだけど、携帯電話のカメラの方が後処理のアルゴリズムががよく結果としての写りが良くて、一眼レフは補正前提の素材撮りカメラになっちゃってる、はぁ・・・という話です。iPhoneは単焦点カメラを数個搭載してますが、一眼レフのオマケズームよりは単焦点のカメラレンズの方がいいに決まってます。物事の理屈ってのはそんなものです。
    このシリーズの記事は基本横700pixelで掲載していますが、素材撮りならそんなにいいカメラは必要がないです。いじりがいのある(許容量のある)程々のデジカメと、見た目良くするレタッチの簡単な技量だけかな。あと写真にあった文章を書ける文書作成能力とか、、、、(自分が一人前にあるとはとてもでないけど言えないですけど(笑))

    森をゆっくり歩きながら自分は絵になるものがないかなぁと探しながら歩いて行きます。ちょっと変わりものです、自分。

    日の光を見ると「逆光は勝利!」とかへんな気持ちにスイッチが入って上のような写真を撮ってしまう。

    今回も、うまく行ったようです(笑)

    自分、映像の場面転換に使えるような素材とか撮るの大好き。撮る画像的にメイン処はあまりセンスがないかも、の人。

    鉄道写真だと回送とか普通列車の撮影にはめっぽう強かったりする(謎)

    なんかおかしいんですよ、自分(笑)

    ここで記念写真を撮って、ゆっくりフィールドハウスまで歩いて解散となりました。時間も午後5時を少し過ぎていて観光客もだいぶ少なくなっていてます。

    ちなみに今年の年賀状の写真もここで撮って抑えるものは押さえておきましたよ(笑)

    ここまで来て時計を見たらもういい時間。食事付きでウトロに泊まろうとするとガイドツアーの予約時間はどうでしょう、午後2時発くらいまでになるのかな。羽田始発便で来て経験者がコレなので、初便以外のフライトや初めての訪問や地理(距離)感覚がない場合は観光として知床五湖をめぐるのは2日目以降に回した方がいいのかなという話かな。このあと書きますが観光船知床岬コースとかも2日目以降のメニューですね。

    (※足がない路線バス利用でウトロ方面に帰ろうとすると時間的にはさらに制限がかかります。詳しくは各自お調べください。)

    なので始発便でない女満別に入る知床観光を絡めた場合の道東旅行は初日は網走・小清水原生花園・天に続く道とかをトレースして奥地に入っていく、というのが無理のないプラン立てと言えるでしょう。(距離的には東京から熱海に行くのに下道走って朝から観光できますか?という無理難題がわかるスケールになると思います)

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    さてさて我々の旅は誰にも指図を受けない旅なので、このあと少し悩んだというか考えたあげく、カムイワッカに行くことにしました。

    奥の奥まではいかないと。自分は35年前の記憶の焼き直し、嫁様はがっつり観光の初日最後の一押し。距離にしたら片道10キロちょっとの話なので無理矢理最後の行先にねじ込みますよ。

    記事を書き始めて地の果てまでたどりつくまでに2か月もかけてしまいました(笑)。実際の旅行だと女満別に着いて8時間位しか立ってないんですけどね。決して尺延ばしでダラ書きしているのでも無くて、自分の気持ちの整理とかそんなことも含めて書いてたりする。まだこの先にも書きたいことが色々あるので、よろしければお付き合いの程を(^^)

    つづく。

  • 知床へ(10) 知床五湖(その1)

    (知床五湖の駐車場。2025-6-13)

    ☆旅行日 2025-6-13

    さてさて重い話とか思い出話を長々と書いてしまったので、また観光旅行記に戻りましょう。

    岩尾別の谷から少し走れば知床五湖です。手前でカムイワッカへの知床林道分岐がありますが、誘惑にかられず駐車場に向かいます(笑) ダートは条件反射みたいなものがありますが、我慢。(謎)
    駐車場のゲートで500円を払い、車を停めて身支度をしてフィールドハウスの受付に向かいます。空港からそのまま来たのでここからハイキング野郎に変身するのです(^^)


    繰り返しになりますが、知床五湖は確か自分3回目くらいかなぁと思うのですが35年位ブランクがあると昔のことなんか覚えていないです(笑) 多分1湖2湖しか行ったことがないと思うし、過去に行った時はあれこれ行きたかったのでじっくり回るようなことはしてなかったと思うので。

    駐車場の車の入りは半分位かな。相変わらずキャンピングカーが多い。あとレンタカーくらいかな。観光バスはこの時期この時間は1,2台くらいだった。

    見出し写真の様に知床連山にはまだ残雪。緑と残雪の組み合わせはやっぱり最高ですね。暑くもなく寒くもなくで多分やっぱり6月くらいはベストシーズンだと思います。(あんまし花の北海道というのは興味をそそられない自分なのです)

    (知床五湖フィールドハウス。ガイドツアーはこの中で受付。携帯基地局のアンテナは建物奥手の屋根に乗っかってるの、わかるかな?)

    昔はこんな立派な建物は無かったよなぁ、、、この建物と左には小さな売店、トイレがあります。携帯電話も基地局があり、スターリンクのアンテナもあったりします(^^; 携帯電話のアンテナは景観に配慮して低い位置にありましたね。自販機の中身は大半が(野生動物への配慮からか)殆ど水物でした。ガイドツアーへの持ち込み品は結構制限か配慮みたいなものがあるようでその辺は品ぞろえに関しては厳格さを理解する必要はあると思います。

    今回はガイドツアーに予約をしてゆっくりと5つの湖を歩いて回ることにしました。高架木道以外は時期によってフリーで入れたり、はたまたヒグマの活動期にはガイドツアーが入場の必須条件だったりしますのでHPなどでよく確認してからプラン作りをした方がいいと思います。今回の自分たちの旅行は今までの周遊型ではなくピン打ち企画だったのでここが本日のメイン、となります。

    (フィールドハウス内)

    自分達は予約をしてあったのでカウンターで手続きをしてチェックインをして、手前の椅子でガイドさんに声をかけてもらうのを待ちます。決済はガイドさんの端末で直接です。手持ちの携帯端末でクレカ決済なども使えるので何かと便利。こんな奥地でもクレジット決済が使えるのですから世の中便利になった物ですわ・・・

    予約だと五湖すべてを回るツアーはネットの手配で5000~5500円の値段になります(※参加したときの価格ですので実際には各自でご確認をお願いします)。靴は予約時のやり取りで事前手配なら価格に込みです。現地調達の人は少額(200円だったか)チャージだったような覚えが。レンタル長靴が要るか要らないかの話ですが、多少ぬかるんでいたりするところが天候次第であるので勧められたら貸してもらった方がいいと思います。(まあ道中ここだけのためにトレッキングシューズを持ってきたり道中ずっと履いてるとかいうのもこれまた考え物だとも思うし・・・?)

    ガイドツアーは五湖をすべて回るものは事前予約、2つ回るツアーは現地でも申し込みが出来たようです。自分たちは旅行予約を組んだ時(2か月くらい前)にオンライン予約をしてましたが、その段階でも程々埋まっていた感じでした。既述の通り時期によってはツアー参加でないとフルコースでは入れないこともあるので自由旅行をする際であっても押さえておきたいところは確実に押さえてからプラン作りをした方がいいかな、といったところです。

    ガイドツアーはまず8分の動画を見て熊に対する心構えなどのレクチャーを受けることが必須です。

    動画を見たらのタイミングで(上の写真の)「立入認定証」ってのが貰えます。

    この「立ち入り認定証」というのは調べると「自然公園法第24条4項に基づく立入認定証」のようですね。なかなか厳格な物のようです。(https://hourei.net/law/332AC0000000161

    裏面にガイドさんの名前、金額日時なども印刷されますので記念に取っておくと行ったぞ証明になるでしょう(笑)

    (ツアーに出発。10人参加者の最後部からの写真です)

    短い動画レクチャーをうけて反時計回りで五湖巡りに出発です。
    ツアーは10人ずつのグループです。3キロの道のりをおおよそ2時間半くらいかけて歩きます。所々で止まってレクチャー、写真タイムなどを取ってもらえますので歩く、聞く、写真を撮るのバランスは取れた構成になっています。レクチャーの内容は・・・この旅行の1週間後くらいにTVの「旅サラダ」でみた別のガイドさんが言ってたセリフもクリソツだったので多分お話内容や文言などは複数ガイド社どれも同じ何かな?ともあとで思ったりもします。

    今回はここまでとします。載せたい写真とかいっぱいあるのですがページ構成(写真と文章のバランスとか)考えると分割した方がいいかなと思うので続きは次回とします、すいません(笑)

    つづく

  • 知床へ(9)岩尾別にやって来た その2

    ☆旅行日 2025-6-13

    話の続きです。

    三つ目の思い出というか、岩尾別にタグが付いた話をします。
    ここからはこのページが絡んだ話になるので、できれば横に1ページ開くかタブを開けておいてください。
    (上のリンクをクリック)

    ======ここらは時間が3か月ほどバックします。=======

    今年の3月上旬の事、上のリンクのページの件で僕は関西某所を訪れていました。彼女(以下お星さまと書きます)の家でお星さまの過去のアルバムとかを見せて貰ってました。
    北の大地を旅していた時の写真がいっぱい出てきました。本来はそれは滅失してしまったとかきょうの会の前に伺っていて、だけど押し入れの奥に実はあって、行ったらテーブルの上にサルベージされたソレがあって。

    (本来はそのあたりの写真が無いのでもしあったらお星さまと皆さんが交流していた時の写真を持ってきてほしい、というリクエストだったんだけど(笑))

    その中で、今はお星さまな方が北海道を(多分一人で)旅している時の写真がそこそこの量出て来たのです。
    その日自分の旅仲間で来ていたのは僕ともう一人北海道のユースとか旅人宿なんかに詳しい人だけで、二人でアルバムを見ながら「ああここ」「こんな宿にも泊まって旅をしていたのか」というふうにアルバムを眺めていたんだけど、ある1枚をみてお互い「おっ!」という話になり。
    「これって羅臼岳の山頂だよね・・・・じゃあ、岩尾別(ユース)か?!」
    お互いの認識は一致しました(笑) 多分岩尾別YHの日帰り弾丸登山に参加して、その時の写真だろう、岩尾別かぁ!という会話になりました。それはふたりともここを通っていったからわかる話なので。(自分は体力のない人間だったので山には登ってません(笑))

    羅臼岳に旅人さんのような半軽装で登ろうとすると、当時は岩尾別ユースを早朝に出て、5時間位かけて?昼に山頂に到達してその後下りてきて連泊、というのがお決まりのコースだったと記憶しています。ユースの夜の会でもネイチャーウォッチングボートに行く人、羅臼岳ツアーに参加したい人、とか数を取っていた記憶がありましたし。正確な話は分からないけど多分そうだろうな、という話をきょう(今回の旅の前)の3か月ほど前に交わしていたのでした。

    そして僕は写真の日付けを見ていました。1994年の8月末頃の日付けが写し込まれている。

    ああそういう事か。なんか「記録と記憶が繋がった瞬間」を感じました。
    30年前に(3月に訪れた親御さんの)居宅で聞いて書き留めていた話、そして3月に偶然にも貰った一冊の本(親御さんの書いた薄い本)を頂いて、そこに書かれていたこと。

    (オブラートに包むむようにモノクロで。親御さんが書いたその薄い本。)

    彼女はいろいろ仕事等疲れ果てちゃって、仕事を辞めて旅に出て、南の島に行き、次は車で北の大地を回っていたようで。

    書物によるとそれ以前からユースの会員証を取ってその系の旅はしていたのかな、という感じの人だったよう。

    道東などを回って~岩尾別あたりを通って道内のとあるとほ宿に長期滞在していて、そこで自分達と面識を持ったというストーリー。それがその写真の僅か半月後(9月中旬)だったという話。(余談だけどヘルパーだと思っていたけど半ホスパー(お金を払って泊まっているのにヘルパーみたいな事をやっているホステラーとヘルパーの間になっている人を「ホスパー」と昔からいってる(笑))状態だったらしい。)

    他方、自分は2度目に訪れたウトロの街の某土産屋でちょっとお手伝いをして、そのギャラで「とほ」を貰ってそこでYH以外にもおんなじようなユース民宿があるのを初めて知り、その宿に泊まってお星さまの事を知ることになる。
    (その話はこの後に回を設けて書くことにします。)
    自分その頃はどこでも写真パチパチな人で(ネットも携帯電話もない時代、一眼レフカメラやっていたらそこそこ仲間内ではポジションがあった時代)、当然彼女も写真にそれなりにうつっていたんだけど、写真にしていみるとなんか違う感じを受けるな、と思って(そういうのは写真をやっていないと「なんか雰囲気違う」というのはわからないもの。彼女はそんな人。)

    その後2回くらいみんなで飲み会とかやってその人とはお互い「あ、あの時の〇〇さん!」という面識を持って。彼女の方が2回目にあった時僕のことをしっかり覚えていたような記憶がある。普通ヘルパーとかだと1日それなりの数の客が来るからたった1泊2泊した客の事なんて覚えてないだろう、けど違ってたみたい。そして住所交換して写真送ってあげた記憶があるの。

    その頃は男女の分け隔てなくみんな大人数で交流していたんだけど、その期間はわずか半年くらいであっけなく幕引きになってしまって。(くれぐれも僕の彼女でも何でもない人ですヨ)
    それだけの話なのですが・・・・・人としての印象と幕引きが強烈すぎたため、多分引きずっている、、、、はい。

    ========そして時間が戻ります・・・============

    (右が羅臼岳。元ユースの前から。2025-6-13)

    それから(岩尾別ではなく道内某所で出会った話から)30年経って、写真再発見みたいな上のような話になって(そんな話が出てきたか、という言い方が正しい?)、そしてきょう運良くこの地を訪れて約35年経ってそんな話をもって、ここ岩尾別に来てしまった・・・・。勝手に発生した思っている宿題の清算に来たような感じの自分。

    ここに来れたのはたまたま偶然というか別のファクタ(嫁様がどうしても知床!と数年言っていたので願いをかなえてあげた)があって来れた話なんだけど、それも奇遇というか意味のある偶然の何とかというか。

    ここでそのお星さまと出会ったわけではないのです。ただ自分の旅人生でタグが付いていてそのいくつかがここだったという話なのです。お星さまと共通のタグが付いていたうちのひとつはここ岩尾別だったという事。ただそれだけなんだけど。

    不思議なんだよね、この記事を書き始めて、これまでに書かれたこと、今ここにいる事のすべてこのあたりですべて交わってる。何かの不思議?偶然それとも事実?言葉で言えばシンクロニシティという単語で表せるのかな。

    そんなこんなの話で、話の棚卸は済んだのかな。書いて随分気が軽くなりました。30年経った話で区切りを付けようと思ったらまた違う話が出て来て、そして北の大地に来てもう一区切りつける話?になってしまった。

    この手の話はモヤモヤ燻っているよりは現地に行ってスッキリさせた方がいいのでしょう。誰にでもそういう話は(旅の思い出にかかわらず)あるものだと思います。年を重ねていくとこれからそういう焼き直し系の旅をしたり、そういう事をすることが多くなっていくのでしょう。それはそれでいいと思ってます。いつまでやれるのかはわからないけど・・・。

    さてさて。思い出話はここで終わり。上の写真の坂を上っていくと数分で知床五湖です。

    知床五湖は知床の旅のハイライトの一つ。自分も何回目だろう?片手に収まる回数だけど訪れるのは(くどいようだけど)35年位前の話です。どうなっているのかな。隣にはおはじめサンが乗っているのですが、あまり先輩ぶらずに抑え気味で?車を再び進めます。

    つづく。

  • 知床へ(8)岩尾別にやってきた その1

    (羅臼岳を見て、知床横断道路分岐。左に曲がればいよいよ地の果てへ。)

    ☆旅行日 2025-6-13

    写真の場所で国道を左に折れ、いよいよ知床の奥地へ。
    知床自然センター、昔来た時はこんな施設なんかなかったはず・・・・あれ、中にはモンベルの店まであるぞ。最近のモンベルは御在所岳の上にあったり浜小清水の道の駅にあったり・・・なんか違和感があるな(笑)。まあそれは横に置いといて、国道を折れて道道の坂を下っていきます。大昔来た時はここはダートだったような気がしたのですが、気のせいかな、もう覚えがない。なにせ来たのは35年ぶりで記憶があいまいで。


    ここまで来るともう人の住む場所ではありません、人の気配は助手席に乗ってる嫁様だけ。今回の目的はその助手席の方の旅欲求を満足させるためなんだけど、もうバレバレですが裏目的の要素たっぷりのシナリオで進行してる。(笑)

    消えそうな記憶の焼き直しをしようとしてる自分。「本来の目的<裏目的」にならないようにご機嫌を伺いつつ?、坂を下り切った所で車を停めました。

    (イワウベツ川に架かる橋と左は元岩尾別YH、奥の山は羅臼岳)

    (懐かしの元岩尾別ユースホステルです。建物は健在です。2025-6-13撮影)

    昔の記憶のまま、変わってない光景。あの昔みた橋と川と建物が見えて。

    ここは思い出の地、岩尾別。

    昔の思い出の焼き直しにはそうは時間は要らない、10分か15分ほど彼女には車の中で待って貰いました。

    ここにはいろいろな思い出などがあります。
    まず・・・・2つ前の記事で書いたヒッチハイカーの親子を300キロ連れて、想定外の旅の一日の終わりがここだったこと。こんな所にこんな宿があるのだなと初めて知ったこと。ひょっとしなくても自分が最初に見た「ユースホステル」というのがココだったことになる。当時は何もそんなこと思いもしなかったけど、場所としては強烈すぎるということか。電話はあるが電気もない(自家発電)ところ(電話は電話線に加圧があり古い電話機なら電気は要らない)、周りは熊が出るような所だし。

    北海道のこの手の強烈な場所と言ったら礼文島とここあたりが筆頭になると思うんだけど、自分も岩尾別泊の数日前は礼文島だった。その年は桃岩はがけ崩れで宿が開けなくて礼文YHだった。桃岩荘に行けたのはその5年後のに雪辱を晴らすべく、きょう助手席に乗せている当時独身の嫁様を引き連れて行った。あれは29年前の話だ。彼女の北海道初日の宿は桃岩荘だった。そして今日岩尾別の地までついてきてくれたのよ。なんか奇遇?必然?そんな気さえしちゃう。

    もとい。翌年(1990年)YHの会員証を取って北海道を一通り1か月かけて回って。その時はここに泊まらないと!という事でここには泊まった。その時が最初だったかな、宿で夜な夜な知り合って、翌日一緒に色々な所を回って、という事をしたのは。泊まって、知床五胡に行って、カムイワッカの滝登りをして、乙女の涙にも行って、岬の先まで肝試しで歩いて行って、最後ウトロのバスターミナルでバイバイしたの。男女2対2だったのでいい雰囲気だったのよね(笑)(その後は何ともなかったけど)最後は女の子がわんわん泣いちゃってちょっと来ることがありましたなぁ、、、みたいなの。そんな思い出がふたつめ。

    (1990-9-4撮影の、岩尾別ユース前の海岸の夕暮れ。写真が残ってましたので。今はここは入る事が難しいので、思い出のカットという事で。)

    ここ(YH)はチェックインしたら夕方に浜までみんなで歩いて行って海に沈む夕日を見に行ったり、夜は岩尾別温泉の無料の露天風呂にみんなで入りに行ったりとか、ここに泊まって早朝出発の羅臼岳弾丸日帰り登山とか、宿が取次でウトロ発のネイチャーウォッチングボート(昔ボンズホームがやっていたやつ。いまはやってないそうですが。) なんか旅友達が作れるかなみたいな仕掛けがあった所。否が応でも雰囲気盛り上がるかな?
    僕は何ともなかったけど、なんかいいことあった人はきっといるはず・・・いい思いをした方、機会がありましたらこっそり教えてください(^^)

    三つ目の思い出、というか想い出じゃないんだけど記しておきたい話があるのですが、それは次回にします。最近のTVの寸止めコマーシャルじゃありませんが、次回という事で(笑)

    つづく

  • 知床へ(7) いよいよ知床奥深くへ

    (北浜駅前。ここから斜里まで約30キロ、その先ウトロまで40キロもある。そういえば今回はホクレンスタンドには世話になりませんでした(笑) 後ろの山は斜里岳)

    ★旅行日 2025-6-13

    さてさて旅の話に戻ります。
    (上の写真の意味は特にありません(笑))

    北浜駅を後にして、244号線を東進します。
    昔何度も旅で通った道です。懐かしい道です。昔来ていた時はバイクといっぱいすれ違ったけど、今回は殆どいない。
    季節的に若いコが出歩けるシーズンでもないし、この時期に北の大地に繰り出している人ってわかってきている人か時間に余裕のある層だろうし。自分は前者のつもりで来てるけど(笑)
    まあシーズンではないからそうなのかも知れないけど二輪は殆どいません。たまにすれ違うバイクは大半が中型か大型のバイクで、大型の方が多かったような気もするかな。残ったファンが年月を重ねてそうなったのかな。別趣味のアマ無線とかも同じなんだけど、幅広い層を見ることが出来なくなってしまったのは昔からの趣味はおなじなんかなと。無線しかり、写真趣味もバイクとかも。
    今は相対的に若い子も少ないし、見え方がそう見えても仕方が無いのかな?ようわからん。多分10年もすれば北の大地をバイクでさすらう人はいなくなるかもしれないかも・・・?

    天気がいいので窓を開けてゆったり走ります。車が後ろに詰まったら左によって左ウィンカーで減速しそれらを通してゆっくり走ります。久しぶりに来た旅の人には多分その位がよかろうと?(笑)
    今時の車は燃費のパフォーマンスとか運転席のディスプレーに詳細に出ちゃうんでなんか気にして走っちゃう。それも影響してるのかな?
    昔最初に買った車が5MTのカリーナで、北海道を走り回った時にはリッター15以上は当たり前で走れて、リッター18(Km/L)とか叩き出したこともあった。今はATでもその位はHV車だったら町走りでも平気で出ちゃうだろうけど。(今回のレンタカーはヤリスクロスのATで純粋ガソリン車でしたが、トータルでは16ちょいだったか。昨年の釧路方面はルーミーATでHVではない、でもっといい燃費で走ったのだけれど、、、車体が大きいからそんなもんか。)

    道は網走から東に走れば~そこを右に曲がれば屈斜路湖摩周湖方面、次に右に曲がれば根室標津、まっすぐ行ったらウトロと天に続く道の起点(また後で書きます)となります。観光的には網走から原生花園~斜里あたりが賑やかで、だんだんと旅の目的地にしたがって人や車の流れが別れていって減っていく、最後はさすらい?そんなの。旅のプラン立てでトレースとかストーリー立ては幾らでも違ってくるので、そこいらは妄想は幾らでも出来そうかな。だから何度も来ちゃう。北の大地の旅の醍醐味と言いますかネ(笑)

    我々はひたすらまっすぐ走っていよいよ知床半島へ。ほぼ計画した時間通りのドライブ。
    334号を走る頃から窓を開けているとセミの鳴き声が聞こえてきます。エゾハルゼミです。どれだけいるのだろう、ヒグラシの鳴き声みたいな声がすごい。車の音以外はその音しかしない、不思議な体験。ヒグラシだとしたらあれ季節違うよな、、、あれっ?という本州人の錯覚です。
    この時期来るのは初めてだったし今までにない体験。これを聞けただけで半分ご馳走様、おみやげはいいや??みたいなの(笑)
    力強い新緑を眼で感じ、耳で普段聞くことのない音を感じて。また来たい、という動機づけをもらったような感じです。
    昨年はどうしても春に来たいという希望を叶えたんだけど、今年もまた夏前に来てしまった。昔シロクニ(C623ニセコ)を追いかけていた頃GWにも来た時があって、その時の春の芽吹きとか緑に変わって行く光景が忘れられなくてね。夏に人を見に来るよりははるかにマシだろうという的な判断もあったりするんだけど。
    昔通っていた頃は仕事の夏休みと年末年始の冬休みが主だったんだけど、それはそれでいろんな人と知り合えて、それがいまでも自分の財産になっているからいいのです。ただ今この年齢になって何を旅で享けたい(漢字あってる?)のかと言えば自然から感ずる何かなのだろうという気の方が勝るのだろう、というところ。
    (何言ってるのかようわからんけど(笑))
    あとまぁ今の仕事が夏と冬にピークがあって人様の休みのような時期に休みが取れない、5,6月と10,11月くらいが相対的にヒマなので(子供に手がかからなくなったし、今の部門だと休みがとりやすい、という背景もある)なんか上手く嵌まったのかな?いつまで来れるかわからないけど、できればお金と気力が続けば新緑の季節の北の大地の旅を重ねて行きたいと思ってたりします。

    ★ウトロの道の駅で昼食

    (道の駅うとろ・シリエトク)

    (道の駅の駐車場。キャンピングカー多し、、、、)

    そうこうしてほぼ予定通り、お昼前に今回の旅のベースのウトロの街に到着です。
    後の予定があるのでここでは昼ごはんタイムのみ。
    道の駅の駐車場はキャンピングカーがたくさん。この組み合わせは地の果てに行っても同じみたい。道の駅と観光の云々についてはまた改めていろいろ書いてみたいと思いますのでここではさらっと。

    昼ご飯はジビエカレーとジビエの味噌カツ丼。写真の通りです。(なんかそっけない書き方ですが、、、)
    なんか食べようとすると一人4ケタの昼ごはん(=外食)になってしまいます。
    二人で喰ったら3000円弱行ったのかな。一人3ケタで済まそうすると麺類か近所のコンビニ(セブンイレブンかセイコーマート)になってしまいます。それは現実で観光地だから仕方が無いのかと思いつつ、券売機で食券を買っていました(謎)
    選択肢がないんだよね<地の果てでは。
    海鮮丼は3000円を越える単価をつけてる。貧乏人には手が出ない。自分は相手にされていないのかなとも思ってしまった(語弊がある書き方でしたら関係者の皆様すいません(^^;) 勝手基準ですが「海鮮丼がいくらするかは観光食の単価バロメーター」と自分は見てるので条件反射的にうーん、となってしまいました。家から30分の四日市のまぐろレストランだとその半値で食べられるからあえてここで食べなくてもよい、という判断になってしまったです(重ね重ねすいません)。


    網走から100キロも離れると食糧事情は大分選択肢がなくなります。外食は世間の流れで高くなり重ねているとどんどんお金が出て行ってしまう(20年位前だったまぁ、当時まだ小さかった子供たちを北の大地に連れてきた時全部外食で通したらとんでもない財布勘定になってしまい反省案件のなってしまった?んだけど。)。旅の食も自分の旅行スタイルに合わせて色々と計画立てて準備しないと、というのは出る前にある程度は考えて出発はしましたが。。。。地の果てに行くにはそれなりの食糧を持って行くか、機会の半分は宿の食事にお世話になった方が無難かなぁ(ここだけでなく)、と思った次第です。

    昔は道の駅とかなくて、道も立ち寄り先もこんなに立派ではありませんでしたか。35年位経って大半が変わってるような感じがしました。今年で世界自然遺産になって20年らしいですが、それを境にして変わってしまったのかな。それはそれでよかったのかも知れませんが、必ずしも100%そうで良かったのかなとも思ったりもしましたか<心の中では。小奇麗でスマートで万人を受け入れなくてはいけなくなって変わって行ったのでしょうが、昔の素朴な頃?に何度か訪れた身としてはちょっと素直になれなかったのかも知れません。

    ぐたぐた書きましたがここからが知床観光のハイライト部分です。町内唯一の信号!を過ぎたらこの先信号機はありません(知床峠を越えて羅臼の街までありません)。民家が途切れて幌別橋を渡り高度を上げて行きます。テンションも勝手に上がります(笑) 岩尾別の分岐(知床自然センター)を折れて我々は山の奥深くへ入っていきます。

    この先は色々な想い出があるところなのでまた旅のトレースが止まりそうです(笑) 

    次に何が書かれているかは次回のお楽しみという事で(謎

    つづく。

  • 知床へ(6)北浜駅界隈のおはなし その2(回想編)

    (今回のお話のもとになるネガフィルムです。36年前のネガフィルム、ここから記憶を呼び起こして。)

    さてさて。ここらで一旦小休止します。
    今回は回想録を書きます。今回は昔の記憶、記録類も文字にして書き記して旅記録の棚卸しみたいなことも含めようと思って書いているので、宜しくお付き合いくださいませ。

    ==== Back to 36years ago ===

    1989年8月24日。
    自分はこの日、浜頓別から網走方面に車を走らせていました。

    大学の同級生2人と3人で半分ノープランの初の北海道車旅行の最中で、小樽上陸後札幌、オロロンラインを北上して稚内、宗谷岬、浜頓別の宿(北オホーツク荘)までは事前に予約手配をして、そのあとはさっくり予定だけ決めて、という旅をしていました。
    大学に入って1年目のバイト代は自動車免許代、2年目のバイト代は車を入手する資金に消え、3年目のバイト代はこの旅行にあてて、みたいな感じだったかな。小樽上陸後同行者が駅前で置き引きにあってしまい北海道上陸後いきなり無一文(本当!)、最初の行先はお金の下ろせる銀行ATM探し(当時はコンビニATMなんてなかったし提携先も今とは違って限られていて、確か北海道銀行の支店を探しながら車を走らせるのが最初のミッションだったと記憶している)なんていうトンでもストーリーから始まった旅で。

    (小樽駅前の交番で調書を取られ全員指紋まで取りました、指紋を警察に取られたのは生まれて初めて、最初で最後でありますように(謎))

    余談は良いとして。その日自分たち3人は宿を出た後車を走らせ国道238号を南に下り始めていました。
    程なくして枝幸か興部だったかの跨線橋に差し掛かった時(どこだったかは記憶があいまい、ストビューで確認しようとしたけど断念)、我々の方に手を振って来る二人の姿が見えて。
    止まってみたら、女性と小さな女の子。子連れのヒッチハイカー。
    リクエストが網走方面へ、という事だったので自分たちもそっちの行先だったので断る理由もないので乗せることにしました。その日からノープランのつもりだったんだけど、それ以上の展開?になってしまってました。大学生3人と既婚の女性と幼い子の5人乗りになって再び車(僕の車)は走り始めることになってしまいました。

    今思えば凄いことをしてしまったのかも知れないと思ってる。人生そんなことは初めてのことだったし。今ならヒッチは乗せるのにも(いろいろな意味で)かなり勇気のいる行為でこのことがその後の自分の旅人生に大きく影響してしまう事も知らずに、、、、(下記に書きます)

    車は網走方面に向かって淡々と走り、サロマ湖、能取岬、網走監獄あたりを観光して。当日はゲストの宿がまだ決まっていなかったので観光も端折って走ったかな。
    網走で宿の手配をしたいという事で市街地で少し車を停め、しばらく電話しているのを待って、「宿取れました」の返事だったか、どこなのかと聞いたら
    「岩尾別のユースホステル」
    という返事。
    (岩尾別ってどこだった?、ウトロの更に奥!)

    手前のYHとか当時いっぱいあったけどそこではなくて。相手も出来るだけ遠くに行こうとしたのか、それとも本当に手前の宿がダメだったのかは知らんけど<今思えば。自分たちもウトロあたりのライダーハウスで泊まれればいいや、と思っていたのでそのままみんなで、という事で都合ヒッチハイクの親子を300キロも乗せることになってしまいました。

    (これはその年の写真がななったのでその翌年行った時の写真。1990-9-4撮影。現在と変わっているのは「停車場」の看板、灯油タンク、オホーツク海に近い~の看板と後少々くらい。)

    さてここまで書いて、昼飯のことがないのにお気づきの方は居ますかな。観光だけで走ってきたので午後まで何も食べておらず、どこで昼ご飯を食べようかという事で自分が「北浜駅が喫茶店になっているのでご飯が食べられるのでそこまで行こう」ということで入ったのが北浜の「停車場」でした。
    当時まだ旅の記録とか取っていなかったので詳しい記録が無く、確か名物のラーメンをみんな食べて、写真の撮り合いっこをして、300キロ走って道中まともな一服をしたのが北浜駅だった、という記憶があります。何でそれ(駅舎が喫茶店)を知っていたのかなぁ、多分鉄道雑誌か旅行専門誌だったかで事前知識があったのはここだけだったのかな、たしか。ネットとか情報が簡単に手に入る時代ではなかったのでそんな知識程度しかなかったのだろうかと。

    (同じくこの記事の翌年の1990-9-4撮影の北浜駅舎内。今でもこの光景はあまり変わらないので、JR様のご厚意に感謝、という所でしょうか。いつまで続けられるかはわからないけど?)

    (同じく1990-9-4撮影の北浜駅。その頃のキハ54-500が今だ現役で走っている事に留意(^^;)

    北浜駅って一度来てみたかったんですよね、車なら自由も効くし、今回の事にかかわらす来ることは決めていたので。この年(89年)はちゃんとしたカメラ装備持っていなかったので翌年の写真を引っ張り出してきましたが、昔も今もあまり変わっていないのが全ページの写真と比較して頂ければお分かりいただけると思います。変わったのが「オホーツク海に一番近い駅」の看板と幌馬車の車輪の位置位かな。

    ここで小休止は自分の演出だったのですわ、半分(笑)。

    このあと3回位は来たのかな。知らんうちに展望台とか出来てしまってすっかり観光地?になってしまいましたが、あんまり変わってはいないのでよしとしましょうか(意味不)。

    車を走らせ、ウトロまで来て。最終のバスが行ってしまったのか、宿の迎えが合わなかったのか、なぜか結局5人乗ったままウトロから坂を上がって五湖への分岐から坂を下り(当時はまだ一部ダートだったような気がする)、岩尾別ユースの前まで行ってそこでミッションを終えたというか楽しい1日が終わった、という記憶があります。その頃はまだ今時の個人情報云々の話なんかなくて、みなさん住所交換を男女関係なくやってて、自分も写真送るんで、とかいってお互いの住所交換とかやって一日が終わった、我々3人はウトロまで引き上げてライダーハウス(グリーンハウス)で泊まった(車なのにライダーハウスに泊まったw)、という1日でした。

    ======

    上の出来事は時間にすれば7時間とか8時間くらいの話だったのですが、この日の出来事はそのあと旅人生に大きく影響してしまいます。

    まず。。。。。そんな人を乗せたという事で自由な旅やってる人というかそんな旅行スタイルがうらやましくなってしまいましたね。その年の旅は男3人でその後も道内いろいろな所を回ったのですが、かなり走って端折ったのと、やはり同行者がずっと同じの長期間旅行は無理があると悟ってそのあとは(今の嫁様と知り合うまでは)ほぼ一人旅のヒトになってしまったこと。それによっていろんな人と知り合えて結果今の自分があるという事。これは紛れもない事実であります。
    送って行った最終目的地がユースだったというのもありますか。当時はまだYHというものがあるというのは知っていたけれど、会員証を作って旅歩きというステップには至ってなかった頃。この旅行のあと翌春には当時名古屋伏見にあった愛知県青年会館に会員証作りに行って、一人旅泊まり歩きを始めたこと(夜行に乗って宿に泊まらず、というスタイルを減らしていったこと)、などなど。

    (翌年(1990年)春にはYHの会員証を作ってまずは九州、夏には北海道一周をYHを使ってやってしまう。とほ宿等はそのあと。)

    まあカッコよく言っちゃうと、あの日あの時自分が車のブレーキをあそこで踏まなければその後の旅人生のイロイロな事は起こりえなかったという話なんです。なので書き記しておきたかった、ということです。

    かの方とはその後10年以上年賀状のやり取りとか続いたのかな。今の嫁さまにもそんなことがあって、という事は話しましたが、許容はされている(笑)。自分舘が結婚してなんか小さな贈り物は送られてきた後にもうおしまい、ということで交流は途絶えてしまいましたが。今何されているんでしょうかね>お二人。もう36年も経っているので改めて何とかという話はこの場限りにしておきますが、人生ターニングポイントになったという感謝の意を込めて書き記しておきたいと思います。

    ======

    回想録はここまで。

    翌年とその翌年絡みの話もこの界隈にはあるのですが、それはこの後の記事に絡めて書きたいと思います。3年連続で立ち寄ったのでまだ話があるの(笑)。


    で。まだ空港から30キロちょっとしか走っていない!(笑) とりあえずここでミッション2つかクリアかな。
    このあと自分のミッションはまだまだあります。
    旅に戻ります。

    つづく。

  • 知床へ(5)北浜駅界隈のおはなし その1

    さてさて続きのお話です。各駅停車よりも遅い進行で盛ってますが、自己満足でやってますのでNCでお願いします(笑)

    ☆旅行日 2025-6-13

    ★鱒浦より知床連山を望む

    (今回借りたレンタカーと知床連山を望む。準新車で快適ドライブ)

    (カメラマークのあるパーキング。6月の平日なので車も少なくて。奥のレンタカーは欧米系外人さんの旅行者でした。)

    網走駅前を後にして、車を斜里方面へ。
    程なくして鱒浦漁港です。
    漁港の手前にカメラマークの看板の有るパーキングがあります。時間に少し余裕があったので立ち寄ることに。帰り(戻り)の道程を決めてなかったのでとりあえず寄る事にしました。天気がいいので知床連山、半島の先の方まで今日はクリアに見渡せます。海も凪でいう事がありません。10of10、満点の眺望です。

    この光景、実はこのあたり何度も訪れましたがじっくり見たことなかったんです、今回が初めてだったかも。磯の香りと遠くに臨む知床連山です。列車で来るとここはトンネルなので見えないのよね。
    景色の雄大さとかこれからそこ(地の果て)に行くんだというストーリー性と言いますか、そんなのがいいんですよね、知床探訪は。冬だったら流氷か。ガラッと変わるストーリ性だと国道42号の、鬼ケ城トンネルを抜けて七里御浜と熊野灘が目の前に飛び込んでくる、そんな感じの変わり方と同じくらい好きです。

    ★北浜駅の変わった所、変わらない所

    藻琴駅はグルメチェック?だけど横目に見て通過。ひとり旅なら車とめてぶらついても良かったけど同乗者にいきなりコッテリは良くないと思ったので見ただけで通過です。
    車なら鱒浦から10分もかからず北浜駅に到着です。
    何年ぶりに来たのだろう。20年は来ていなかったか。ほとんど変わってないようだったのでほっと一安心。

    駅に着いたらなんか車もないのに大勢の年配の人達の集団・・・程なく来た釧路行きに皆さん乗って行きましたが、どんな人たちの集団だったのかな。ツアーかな、旅のサークルかなんかかな。静寂とか最果てのローカル線を想像していたのですがちょっと拍子抜け。(笑)

    駅そのもは昔とほとんど変わっていませんでした。駅前の「オホーツク海に一番近い駅 海辺まで20m」の看板は新しいものに取り換えられていました。看板の横にあった幌馬車の車輪はそのままで、看板だけ右に移したのかな。輪っかはそのまま置かれていて昔の旅人さんの記憶が思い出されるきっかけをきっかけを残してくれたのかな、という風に想像・・・・。

    昔なかったもの。駅の網走側にあるログの展望台。ここに登ったら夏でも冬でも眺望が良く大満足であろうかと。
    まあ線路横切って海に出たりするのも安全上問題ありで、そのためにこしらえたんだろうけど)
    (ただし鉄オタのおっさんが三脚に長玉のデジイチを構えて場所取りをしていて。あんまり印象宜しくありませんね。来ても単行の気動車1両来るだけなのに、、、、手持ちでサクッと撮ればいいのに。)
    駅の中のびっしり貼られた名刺・きっぷ・定期券類は昔のまま。幸福駅みたいなみんな同じ紙にという事もなく、昔のままでした。

    駅の喫茶店は昼間3時間だけの営業になっていました。昨年行った川湯温泉駅(オーチャードグラス)も午後早々のオーダーストップでしたし、案外ここで食事を目論むのは予定カツカツだと難しいのかな<現状は。隣の浜小清水駅(浜小清水道の駅)で食事などは、というのが現実的なのだと思います。

    この駅、大昔からは数回訪れています。ちいとおセンチ?な想い出もあるのですが、それはまた後で書こうと思います(笑)
    駅ノートとかもあったけど「カキコしてさすらいの旅人去る」をするまでは時間が無かった(^^;
    またゆっくり来よう。ちょっとばかりは宿題は残しておかないとネ。自分も35年位前に来た時には定期券貼っていきましたが、あるはずもなく。(当然w)

    さて時間計算しながらこれからウトロまで突っ走ります。だいたい予定通り。ここから斜里まで約30キロ、斜里からウトロまで40キロ、計70キロ走ります。
    釧路行きDECMO(しれとこ摩周号)を見送り、再びレンタカーの人です。単行でさっき見た集団を乗せて立ち客いっぱい?で走り去っていきました。


    天気は良いし、車も平日かつまだオンシーズンではないから少ないし。もう走るだけで来てよかったモード?です。だいぶテンションが上がってきましたよ。

    =======

    さてさてこのまままっすぐ看板通りに行くと1時間で知床ウトロなのですが、ここで回想録を1本入れたいと思います。
    内容は、36年前のお話をします。

    つづく。