館長のお出かけ日記

館長の旅行記とか遊びに行った時の記録を書いています。記事一覧はサイトの一番下からどうぞ。

  • 知床へ(8)岩尾別にやってきた その1

    (羅臼岳を見て、知床横断道路分岐。左に曲がればいよいよ地の果てへ。)

    ☆旅行日 2025-6-13

    写真の場所で国道を左に折れ、いよいよ知床の奥地へ。
    知床自然センター、昔来た時はこんな施設なんかなかったはず・・・・あれ、中にはモンベルの店まであるぞ。最近のモンベルは御在所岳の上にあったり浜小清水の道の駅にあったり・・・なんか違和感があるな(笑)。まあそれは横に置いといて、国道を折れて道道の坂を下っていきます。大昔来た時はここはダートだったような気がしたのですが、気のせいかな、もう覚えがない。なにせ来たのは35年ぶりで記憶があいまいで。


    ここまで来るともう人の住む場所ではありません、人の気配は助手席に乗ってる嫁様だけ。今回の目的はその助手席の方の旅欲求を満足させるためなんだけど、もうバレバレですが裏目的の要素たっぷりのシナリオで進行してる。(笑)

    消えそうな記憶の焼き直しをしようとしてる自分。「本来の目的<裏目的」にならないようにご機嫌を伺いつつ?、坂を下り切った所で車を停めました。

    (イワウベツ川に架かる橋と左は元岩尾別YH、奥の山は羅臼岳)

    (懐かしの元岩尾別ユースホステルです。建物は健在です。2025-6-13撮影)

    昔の記憶のまま、変わってない光景。あの昔みた橋と川と建物が見えて。

    ここは思い出の地、岩尾別。

    昔の思い出の焼き直しにはそうは時間は要らない、10分か15分ほど彼女には車の中で待って貰いました。

    ここにはいろいろな思い出などがあります。
    まず・・・・2つ前の記事で書いたヒッチハイカーの親子を300キロ連れて、想定外の旅の一日の終わりがここだったこと。こんな所にこんな宿があるのだなと初めて知ったこと。ひょっとしなくても自分が最初に見た「ユースホステル」というのがココだったことになる。当時は何もそんなこと思いもしなかったけど、場所としては強烈すぎるということか。電話はあるが電気もない(自家発電)ところ(電話は電話線に加圧があり古い電話機なら電気は要らない)、周りは熊が出るような所だし。

    北海道のこの手の強烈な場所と言ったら礼文島とここあたりが筆頭になると思うんだけど、自分も岩尾別泊の数日前は礼文島だった。その年は桃岩はがけ崩れで宿が開けなくて礼文YHだった。桃岩荘に行けたのはその5年後のに雪辱を晴らすべく、きょう助手席に乗せている当時独身の嫁様を引き連れて行った。あれは29年前の話だ。彼女の北海道初日の宿は桃岩荘だった。そして今日岩尾別の地までついてきてくれたのよ。なんか奇遇?必然?そんな気さえしちゃう。

    もとい。翌年(1990年)YHの会員証を取って北海道を一通り1か月かけて回って。その時はここに泊まらないと!という事でここには泊まった。その時が最初だったかな、宿で夜な夜な知り合って、翌日一緒に色々な所を回って、という事をしたのは。泊まって、知床五胡に行って、カムイワッカの滝登りをして、乙女の涙にも行って、岬の先まで肝試しで歩いて行って、最後ウトロのバスターミナルでバイバイしたの。男女2対2だったのでいい雰囲気だったのよね(笑)(その後は何ともなかったけど)最後は女の子がわんわん泣いちゃってちょっと来ることがありましたなぁ、、、みたいなの。そんな思い出がふたつめ。

    (1990-9-4撮影の、岩尾別ユース前の海岸の夕暮れ。写真が残ってましたので。今はここは入る事が難しいので、思い出のカットという事で。)

    ここ(YH)はチェックインしたら夕方に浜までみんなで歩いて行って海に沈む夕日を見に行ったり、夜は岩尾別温泉の無料の露天風呂にみんなで入りに行ったりとか、ここに泊まって早朝出発の羅臼岳弾丸日帰り登山とか、宿が取次でウトロ発のネイチャーウォッチングボート(昔ボンズホームがやっていたやつ。いまはやってないそうですが。) なんか旅友達が作れるかなみたいな仕掛けがあった所。否が応でも雰囲気盛り上がるかな?
    僕は何ともなかったけど、なんかいいことあった人はきっといるはず・・・いい思いをした方、機会がありましたらこっそり教えてください(^^)

    三つ目の思い出、というか想い出じゃないんだけど記しておきたい話があるのですが、それは次回にします。最近のTVの寸止めコマーシャルじゃありませんが、次回という事で(笑)

    つづく

  • 知床へ(7) いよいよ知床奥深くへ

    (北浜駅前。ここから斜里まで約30キロ、その先ウトロまで40キロもある。そういえば今回はホクレンスタンドには世話になりませんでした(笑) 後ろの山は斜里岳)

    ★旅行日 2025-6-13

    さてさて旅の話に戻ります。
    (上の写真の意味は特にありません(笑))

    北浜駅を後にして、244号線を東進します。
    昔何度も旅で通った道です。懐かしい道です。昔来ていた時はバイクといっぱいすれ違ったけど、今回は殆どいない。
    季節的に若いコが出歩けるシーズンでもないし、この時期に北の大地に繰り出している人ってわかってきている人か時間に余裕のある層だろうし。自分は前者のつもりで来てるけど(笑)
    まあシーズンではないからそうなのかも知れないけど二輪は殆どいません。たまにすれ違うバイクは大半が中型か大型のバイクで、大型の方が多かったような気もするかな。残ったファンが年月を重ねてそうなったのかな。別趣味のアマ無線とかも同じなんだけど、幅広い層を見ることが出来なくなってしまったのは昔からの趣味はおなじなんかなと。無線しかり、写真趣味もバイクとかも。
    今は相対的に若い子も少ないし、見え方がそう見えても仕方が無いのかな?ようわからん。多分10年もすれば北の大地をバイクでさすらう人はいなくなるかもしれないかも・・・?

    天気がいいので窓を開けてゆったり走ります。車が後ろに詰まったら左によって左ウィンカーで減速しそれらを通してゆっくり走ります。久しぶりに来た旅の人には多分その位がよかろうと?(笑)
    今時の車は燃費のパフォーマンスとか運転席のディスプレーに詳細に出ちゃうんでなんか気にして走っちゃう。それも影響してるのかな?
    昔最初に買った車が5MTのカリーナで、北海道を走り回った時にはリッター15以上は当たり前で走れて、リッター18(Km/L)とか叩き出したこともあった。今はATでもその位はHV車だったら町走りでも平気で出ちゃうだろうけど。(今回のレンタカーはヤリスクロスのATで純粋ガソリン車でしたが、トータルでは16ちょいだったか。昨年の釧路方面はルーミーATでHVではない、でもっといい燃費で走ったのだけれど、、、車体が大きいからそんなもんか。)

    道は網走から東に走れば~そこを右に曲がれば屈斜路湖摩周湖方面、次に右に曲がれば根室標津、まっすぐ行ったらウトロと天に続く道の起点(また後で書きます)となります。観光的には網走から原生花園~斜里あたりが賑やかで、だんだんと旅の目的地にしたがって人や車の流れが別れていって減っていく、最後はさすらい?そんなの。旅のプラン立てでトレースとかストーリー立ては幾らでも違ってくるので、そこいらは妄想は幾らでも出来そうかな。だから何度も来ちゃう。北の大地の旅の醍醐味と言いますかネ(笑)

    我々はひたすらまっすぐ走っていよいよ知床半島へ。ほぼ計画した時間通りのドライブ。
    334号を走る頃から窓を開けているとセミの鳴き声が聞こえてきます。エゾハルゼミです。どれだけいるのだろう、ヒグラシの鳴き声みたいな声がすごい。車の音以外はその音しかしない、不思議な体験。ヒグラシだとしたらあれ季節違うよな、、、あれっ?という本州人の錯覚です。
    この時期来るのは初めてだったし今までにない体験。これを聞けただけで半分ご馳走様、おみやげはいいや??みたいなの(笑)
    力強い新緑を眼で感じ、耳で普段聞くことのない音を感じて。また来たい、という動機づけをもらったような感じです。
    昨年はどうしても春に来たいという希望を叶えたんだけど、今年もまた夏前に来てしまった。昔シロクニ(C623ニセコ)を追いかけていた頃GWにも来た時があって、その時の春の芽吹きとか緑に変わって行く光景が忘れられなくてね。夏に人を見に来るよりははるかにマシだろうという的な判断もあったりするんだけど。
    昔通っていた頃は仕事の夏休みと年末年始の冬休みが主だったんだけど、それはそれでいろんな人と知り合えて、それがいまでも自分の財産になっているからいいのです。ただ今この年齢になって何を旅で享けたい(漢字あってる?)のかと言えば自然から感ずる何かなのだろうという気の方が勝るのだろう、というところ。
    (何言ってるのかようわからんけど(笑))
    あとまぁ今の仕事が夏と冬にピークがあって人様の休みのような時期に休みが取れない、5,6月と10,11月くらいが相対的にヒマなので(子供に手がかからなくなったし、今の部門だと休みがとりやすい、という背景もある)なんか上手く嵌まったのかな?いつまで来れるかわからないけど、できればお金と気力が続けば新緑の季節の北の大地の旅を重ねて行きたいと思ってたりします。

    ★ウトロの道の駅で昼食

    (道の駅うとろ・シリエトク)

    (道の駅の駐車場。キャンピングカー多し、、、、)

    そうこうしてほぼ予定通り、お昼前に今回の旅のベースのウトロの街に到着です。
    後の予定があるのでここでは昼ごはんタイムのみ。
    道の駅の駐車場はキャンピングカーがたくさん。この組み合わせは地の果てに行っても同じみたい。道の駅と観光の云々についてはまた改めていろいろ書いてみたいと思いますのでここではさらっと。

    昼ご飯はジビエカレーとジビエの味噌カツ丼。写真の通りです。(なんかそっけない書き方ですが、、、)
    なんか食べようとすると一人4ケタの昼ごはん(=外食)になってしまいます。
    二人で喰ったら3000円弱行ったのかな。一人3ケタで済まそうすると麺類か近所のコンビニ(セブンイレブンかセイコーマート)になってしまいます。それは現実で観光地だから仕方が無いのかと思いつつ、券売機で食券を買っていました(謎)
    選択肢がないんだよね<地の果てでは。
    海鮮丼は3000円を越える単価をつけてる。貧乏人には手が出ない。自分は相手にされていないのかなとも思ってしまった(語弊がある書き方でしたら関係者の皆様すいません(^^;) 勝手基準ですが「海鮮丼がいくらするかは観光食の単価バロメーター」と自分は見てるので条件反射的にうーん、となってしまいました。家から30分の四日市のまぐろレストランだとその半値で食べられるからあえてここで食べなくてもよい、という判断になってしまったです(重ね重ねすいません)。


    網走から100キロも離れると食糧事情は大分選択肢がなくなります。外食は世間の流れで高くなり重ねているとどんどんお金が出て行ってしまう(20年位前だったまぁ、当時まだ小さかった子供たちを北の大地に連れてきた時全部外食で通したらとんでもない財布勘定になってしまい反省案件のなってしまった?んだけど。)。旅の食も自分の旅行スタイルに合わせて色々と計画立てて準備しないと、というのは出る前にある程度は考えて出発はしましたが。。。。地の果てに行くにはそれなりの食糧を持って行くか、機会の半分は宿の食事にお世話になった方が無難かなぁ(ここだけでなく)、と思った次第です。

    昔は道の駅とかなくて、道も立ち寄り先もこんなに立派ではありませんでしたか。35年位経って大半が変わってるような感じがしました。今年で世界自然遺産になって20年らしいですが、それを境にして変わってしまったのかな。それはそれでよかったのかも知れませんが、必ずしも100%そうで良かったのかなとも思ったりもしましたか<心の中では。小奇麗でスマートで万人を受け入れなくてはいけなくなって変わって行ったのでしょうが、昔の素朴な頃?に何度か訪れた身としてはちょっと素直になれなかったのかも知れません。

    ぐたぐた書きましたがここからが知床観光のハイライト部分です。町内唯一の信号!を過ぎたらこの先信号機はありません(知床峠を越えて羅臼の街までありません)。民家が途切れて幌別橋を渡り高度を上げて行きます。テンションも勝手に上がります(笑) 岩尾別の分岐(知床自然センター)を折れて我々は山の奥深くへ入っていきます。

    この先は色々な想い出があるところなのでまた旅のトレースが止まりそうです(笑) 

    次に何が書かれているかは次回のお楽しみという事で(謎

    つづく。

  • 知床へ(6)北浜駅界隈のおはなし その2(回想編)

    (今回のお話のもとになるネガフィルムです。36年前のネガフィルム、ここから記憶を呼び起こして。)

    さてさて。ここらで一旦小休止します。
    今回は回想録を書きます。今回は昔の記憶、記録類も文字にして書き記して旅記録の棚卸しみたいなことも含めようと思って書いているので、宜しくお付き合いくださいませ。

    ==== Back to 36years ago ===

    1989年8月24日。
    自分はこの日、浜頓別から網走方面に車を走らせていました。

    大学の同級生2人と3人で半分ノープランの初の北海道車旅行の最中で、小樽上陸後札幌、オロロンラインを北上して稚内、宗谷岬、浜頓別の宿(北オホーツク荘)までは事前に予約手配をして、そのあとはさっくり予定だけ決めて、という旅をしていました。
    大学に入って1年目のバイト代は自動車免許代、2年目のバイト代は車を入手する資金に消え、3年目のバイト代はこの旅行にあてて、みたいな感じだったかな。小樽上陸後同行者が駅前で置き引きにあってしまい北海道上陸後いきなり無一文(本当!)、最初の行先はお金の下ろせる銀行ATM探し(当時はコンビニATMなんてなかったし提携先も今とは違って限られていて、確か北海道銀行の支店を探しながら車を走らせるのが最初のミッションだったと記憶している)なんていうトンでもストーリーから始まった旅で。

    (小樽駅前の交番で調書を取られ全員指紋まで取りました、指紋を警察に取られたのは生まれて初めて、最初で最後でありますように(謎))

    余談は良いとして。その日自分たち3人は宿を出た後車を走らせ国道238号を南に下り始めていました。
    程なくして枝幸か興部だったかの跨線橋に差し掛かった時(どこだったかは記憶があいまい、ストビューで確認しようとしたけど断念)、我々の方に手を振って来る二人の姿が見えて。
    止まってみたら、女性と小さな女の子。子連れのヒッチハイカー。
    リクエストが網走方面へ、という事だったので自分たちもそっちの行先だったので断る理由もないので乗せることにしました。その日からノープランのつもりだったんだけど、それ以上の展開?になってしまってました。大学生3人と既婚の女性と幼い子の5人乗りになって再び車(僕の車)は走り始めることになってしまいました。

    今思えば凄いことをしてしまったのかも知れないと思ってる。人生そんなことは初めてのことだったし。今ならヒッチは乗せるのにも(いろいろな意味で)かなり勇気のいる行為でこのことがその後の自分の旅人生に大きく影響してしまう事も知らずに、、、、(下記に書きます)

    車は網走方面に向かって淡々と走り、サロマ湖、能取岬、網走監獄あたりを観光して。当日はゲストの宿がまだ決まっていなかったので観光も端折って走ったかな。
    網走で宿の手配をしたいという事で市街地で少し車を停め、しばらく電話しているのを待って、「宿取れました」の返事だったか、どこなのかと聞いたら
    「岩尾別のユースホステル」
    という返事。
    (岩尾別ってどこだった?、ウトロの更に奥!)

    手前のYHとか当時いっぱいあったけどそこではなくて。相手も出来るだけ遠くに行こうとしたのか、それとも本当に手前の宿がダメだったのかは知らんけど<今思えば。自分たちもウトロあたりのライダーハウスで泊まれればいいや、と思っていたのでそのままみんなで、という事で都合ヒッチハイクの親子を300キロも乗せることになってしまいました。

    (これはその年の写真がななったのでその翌年行った時の写真。1990-9-4撮影。現在と変わっているのは「停車場」の看板、灯油タンク、オホーツク海に近い~の看板と後少々くらい。)

    さてここまで書いて、昼飯のことがないのにお気づきの方は居ますかな。観光だけで走ってきたので午後まで何も食べておらず、どこで昼ご飯を食べようかという事で自分が「北浜駅が喫茶店になっているのでご飯が食べられるのでそこまで行こう」ということで入ったのが北浜の「停車場」でした。
    当時まだ旅の記録とか取っていなかったので詳しい記録が無く、確か名物のラーメンをみんな食べて、写真の撮り合いっこをして、300キロ走って道中まともな一服をしたのが北浜駅だった、という記憶があります。何でそれ(駅舎が喫茶店)を知っていたのかなぁ、多分鉄道雑誌か旅行専門誌だったかで事前知識があったのはここだけだったのかな、たしか。ネットとか情報が簡単に手に入る時代ではなかったのでそんな知識程度しかなかったのだろうかと。

    (同じくこの記事の翌年の1990-9-4撮影の北浜駅舎内。今でもこの光景はあまり変わらないので、JR様のご厚意に感謝、という所でしょうか。いつまで続けられるかはわからないけど?)

    (同じく1990-9-4撮影の北浜駅。その頃のキハ54-500が今だ現役で走っている事に留意(^^;)

    北浜駅って一度来てみたかったんですよね、車なら自由も効くし、今回の事にかかわらす来ることは決めていたので。この年(89年)はちゃんとしたカメラ装備持っていなかったので翌年の写真を引っ張り出してきましたが、昔も今もあまり変わっていないのが全ページの写真と比較して頂ければお分かりいただけると思います。変わったのが「オホーツク海に一番近い駅」の看板と幌馬車の車輪の位置位かな。

    ここで小休止は自分の演出だったのですわ、半分(笑)。

    このあと3回位は来たのかな。知らんうちに展望台とか出来てしまってすっかり観光地?になってしまいましたが、あんまり変わってはいないのでよしとしましょうか(意味不)。

    車を走らせ、ウトロまで来て。最終のバスが行ってしまったのか、宿の迎えが合わなかったのか、なぜか結局5人乗ったままウトロから坂を上がって五湖への分岐から坂を下り(当時はまだ一部ダートだったような気がする)、岩尾別ユースの前まで行ってそこでミッションを終えたというか楽しい1日が終わった、という記憶があります。その頃はまだ今時の個人情報云々の話なんかなくて、みなさん住所交換を男女関係なくやってて、自分も写真送るんで、とかいってお互いの住所交換とかやって一日が終わった、我々3人はウトロまで引き上げてライダーハウス(グリーンハウス)で泊まった(車なのにライダーハウスに泊まったw)、という1日でした。

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    上の出来事は時間にすれば7時間とか8時間くらいの話だったのですが、この日の出来事はそのあと旅人生に大きく影響してしまいます。

    まず。。。。。そんな人を乗せたという事で自由な旅やってる人というかそんな旅行スタイルがうらやましくなってしまいましたね。その年の旅は男3人でその後も道内いろいろな所を回ったのですが、かなり走って端折ったのと、やはり同行者がずっと同じの長期間旅行は無理があると悟ってそのあとは(今の嫁様と知り合うまでは)ほぼ一人旅のヒトになってしまったこと。それによっていろんな人と知り合えて結果今の自分があるという事。これは紛れもない事実であります。
    送って行った最終目的地がユースだったというのもありますか。当時はまだYHというものがあるというのは知っていたけれど、会員証を作って旅歩きというステップには至ってなかった頃。この旅行のあと翌春には当時名古屋伏見にあった愛知県青年会館に会員証作りに行って、一人旅泊まり歩きを始めたこと(夜行に乗って宿に泊まらず、というスタイルを減らしていったこと)、などなど。

    (翌年(1990年)春にはYHの会員証を作ってまずは九州、夏には北海道一周をYHを使ってやってしまう。とほ宿等はそのあと。)

    まあカッコよく言っちゃうと、あの日あの時自分が車のブレーキをあそこで踏まなければその後の旅人生のイロイロな事は起こりえなかったという話なんです。なので書き記しておきたかった、ということです。

    かの方とはその後10年以上年賀状のやり取りとか続いたのかな。今の嫁さまにもそんなことがあって、という事は話しましたが、許容はされている(笑)。自分舘が結婚してなんか小さな贈り物は送られてきた後にもうおしまい、ということで交流は途絶えてしまいましたが。今何されているんでしょうかね>お二人。もう36年も経っているので改めて何とかという話はこの場限りにしておきますが、人生ターニングポイントになったという感謝の意を込めて書き記しておきたいと思います。

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    回想録はここまで。

    翌年とその翌年絡みの話もこの界隈にはあるのですが、それはこの後の記事に絡めて書きたいと思います。3年連続で立ち寄ったのでまだ話があるの(笑)。


    で。まだ空港から30キロちょっとしか走っていない!(笑) とりあえずここでミッション2つかクリアかな。
    このあと自分のミッションはまだまだあります。
    旅に戻ります。

    つづく。

  • 知床へ(5)北浜駅界隈のおはなし その1

    さてさて続きのお話です。各駅停車よりも遅い進行で盛ってますが、自己満足でやってますのでNCでお願いします(笑)

    ☆旅行日 2025-6-13

    ★鱒浦より知床連山を望む

    (今回借りたレンタカーと知床連山を望む。準新車で快適ドライブ)

    (カメラマークのあるパーキング。6月の平日なので車も少なくて。奥のレンタカーは欧米系外人さんの旅行者でした。)

    網走駅前を後にして、車を斜里方面へ。
    程なくして鱒浦漁港です。
    漁港の手前にカメラマークの看板の有るパーキングがあります。時間に少し余裕があったので立ち寄ることに。帰り(戻り)の道程を決めてなかったのでとりあえず寄る事にしました。天気がいいので知床連山、半島の先の方まで今日はクリアに見渡せます。海も凪でいう事がありません。10of10、満点の眺望です。

    この光景、実はこのあたり何度も訪れましたがじっくり見たことなかったんです、今回が初めてだったかも。磯の香りと遠くに臨む知床連山です。列車で来るとここはトンネルなので見えないのよね。
    景色の雄大さとかこれからそこ(地の果て)に行くんだというストーリー性と言いますか、そんなのがいいんですよね、知床探訪は。冬だったら流氷か。ガラッと変わるストーリ性だと国道42号の、鬼ケ城トンネルを抜けて七里御浜と熊野灘が目の前に飛び込んでくる、そんな感じの変わり方と同じくらい好きです。

    ★北浜駅の変わった所、変わらない所

    藻琴駅はグルメチェック?だけど横目に見て通過。ひとり旅なら車とめてぶらついても良かったけど同乗者にいきなりコッテリは良くないと思ったので見ただけで通過です。
    車なら鱒浦から10分もかからず北浜駅に到着です。
    何年ぶりに来たのだろう。20年は来ていなかったか。ほとんど変わってないようだったのでほっと一安心。

    駅に着いたらなんか車もないのに大勢の年配の人達の集団・・・程なく来た釧路行きに皆さん乗って行きましたが、どんな人たちの集団だったのかな。ツアーかな、旅のサークルかなんかかな。静寂とか最果てのローカル線を想像していたのですがちょっと拍子抜け。(笑)

    駅そのもは昔とほとんど変わっていませんでした。駅前の「オホーツク海に一番近い駅 海辺まで20m」の看板は新しいものに取り換えられていました。看板の横にあった幌馬車の車輪はそのままで、看板だけ右に移したのかな。輪っかはそのまま置かれていて昔の旅人さんの記憶が思い出されるきっかけをきっかけを残してくれたのかな、という風に想像・・・・。

    昔なかったもの。駅の網走側にあるログの展望台。ここに登ったら夏でも冬でも眺望が良く大満足であろうかと。
    まあ線路横切って海に出たりするのも安全上問題ありで、そのためにこしらえたんだろうけど)
    (ただし鉄オタのおっさんが三脚に長玉のデジイチを構えて場所取りをしていて。あんまり印象宜しくありませんね。来ても単行の気動車1両来るだけなのに、、、、手持ちでサクッと撮ればいいのに。)
    駅の中のびっしり貼られた名刺・きっぷ・定期券類は昔のまま。幸福駅みたいなみんな同じ紙にという事もなく、昔のままでした。

    駅の喫茶店は昼間3時間だけの営業になっていました。昨年行った川湯温泉駅(オーチャードグラス)も午後早々のオーダーストップでしたし、案外ここで食事を目論むのは予定カツカツだと難しいのかな<現状は。隣の浜小清水駅(浜小清水道の駅)で食事などは、というのが現実的なのだと思います。

    この駅、大昔からは数回訪れています。ちいとおセンチ?な想い出もあるのですが、それはまた後で書こうと思います(笑)
    駅ノートとかもあったけど「カキコしてさすらいの旅人去る」をするまでは時間が無かった(^^;
    またゆっくり来よう。ちょっとばかりは宿題は残しておかないとネ。自分も35年位前に来た時には定期券貼っていきましたが、あるはずもなく。(当然w)

    さて時間計算しながらこれからウトロまで突っ走ります。だいたい予定通り。ここから斜里まで約30キロ、斜里からウトロまで40キロ、計70キロ走ります。
    釧路行きDECMO(しれとこ摩周号)を見送り、再びレンタカーの人です。単行でさっき見た集団を乗せて立ち客いっぱい?で走り去っていきました。


    天気は良いし、車も平日かつまだオンシーズンではないから少ないし。もう走るだけで来てよかったモード?です。だいぶテンションが上がってきましたよ。

    =======

    さてさてこのまままっすぐ看板通りに行くと1時間で知床ウトロなのですが、ここで回想録を1本入れたいと思います。
    内容は、36年前のお話をします。

    つづく。

  • 知床へ(4) 網走界隈のおはなし

    ★旅行日 2025-6-13

    さて我々は旅の人になりました。

    羽田を離陸した女満別行きJL565便は一路北へ。

    左側窓側2席を取って窓側は嫁様。彼女は眼下に見える景色を眺めて、僕はフライトレーダーの画面も見ながらビューポイントが来たら解説して。そんなヒコーキの人をしてました。今日は天気も良く、襟裳岬も地図通りの形が良く見えました。白糠あたりまで海で、そのあと北に向かって高度を下げて女満別まで・・・・

    (今どきのヒコーキは空の上からwifi/インターネットが出来て、ソーシャルメディアで遊びながら空の旅が楽しめちゃう。時代は変わりました、、、、)

    窓の下には雌阿寒岳と阿寒富士、翼の下にはオンネトー、みたいな所です。反対側は摩周湖、屈斜路湖とか津別峠、美幌峠みたいなところ。昨年は良く走りましたよ、このあたり。

    早いものでもう1年も経ってしまいました。昨年も今年もいい天気。この旅までの1年間の運を今吐き出しているのか、これからの運を使い果たしてしまったのか、どっちなのかな?? 今が良ければそれでよし。(笑)

    まあ何はともあれまた来れました、1年間無事に過ごせました、ああ良かった(謎)あと残りの人生何回来れるかわからないし、これからの人生の事とかいろいろ考えちゃいました。子供の手も離れつつあるし、お金と体力と時間の都合が付けば年1回くらいの北海道旅行は楽しみたいねぇ、という思いでいっぱいです。今まで来た時の思い出を焼き直して、新たなる知見で上書きして、区切りにする、そんなことを始めてみたくなった自分です。。。。

    9時前に無事着陸。女満別空港の文字を見てああ来ましたな、の実感が湧いてきます。
    しかし道東、やっぱり寒いね。飛行機降りてブリッジまで来たらTシャツだと肌寒いです。荷物を受け取って早速トイレに行って着替えをしました。Tシャツ1枚から長袖にシャツ、に変身です。変身したら自分たち二人だけで、係員のお姉さんにニッコリとされてしまって(笑)

    よく「北海道には何を着て行ったらいいの?」と聞かれることが多いのですが、もう単純に「夏までは1か月前の服装を1セット」という返事をしています。基本的にはそれで充分です。暑ければTシャツでいいし、寒ければ軽く羽織る、これで充分だと思います(夏季に関しては)。昨年は5月に行ったのですが道東釧路界隈でも想定外の暑さで半分冬装備でハメられたのですが今回は想定内で収めることが出来ました。今回は知床半島訪問という事で天気がさらに気まぐれな所なので気を遣いましたが道中天候も大ブレすることなく必要以上の杞憂はいらなかったです。

    空港からはレンタカーです。迎えが来るまで少し時間があったのでロビーをウロウロしてましたが、乗ってきた飛行機のかなりの部分、実の所企業の団体さんが乗っていて一般客はそんなにいなかったみたい。みなさん観光バスに乗ってあとはパラパラ?みたいな感じで。

    昨年釧路に着いた時は羽田からのANA便とJAL便がほぼ同時に着いてレンタカーを借りるのも30分以上待たされたのですが、今回の女満別は乗った便だけ、レンタカー屋まですぐの送迎、すぐ手続きで、どうでしょう10分15分位の待ち時間でした。あっけかなったです。レンタカーの手続きもWebで完結しているので面倒な話も説明も殆どなしでした。

    今回の車はヤリスクロス。営業所の人曰く「今年入れた新車です、まだ4000キロしか走ってません、良かったですね!」のお言葉(笑) 確かにそうだ、新車の臭いがプンプンする。まだ10回も貸し出していないのでしょう。外装確認も簡単ですぐ行ってらっしゃーい、でした。言われたのは「鹿と警察には気を付けて」だそうで。

    今日の旅程はウトロまでの100キロをいかに(昼までに)順調に走るかという事。

    出発前に周到なシミュレーションをしてきたのですが、車借りる手続きがあっけなく終わってしまったので逆に時間に余裕が出来てしまいました(30分くらいですが、距離にすれば40~50Kmくらいのアドバンテージ)。

    ★網走れもん亭、の跡地の話

    空港を出て、少し走って、国道39号に出ます。幅の広い道と初夏の緑、窓を開けて少しゆっくり目に走ります。せっかく来たのですから少しゆっくり走って網走に向かいます。もう何度も来てますが自分は道内ゆっくり走って満足感、のカメさんドライバー。

    きょうは知床五胡のガイドツアー午後2時半というのに申し込んであるので昼にウトロに着いて、ご飯を食べてそれから奥地へという予定。斜里を11時に通過すればOKなので、そこまでは時計見ながらのドライブです。

    (れもん亭(檸檬亭)のあったところ。建物そのものがない。「あんじろ」の建物はまだあり。右奥が網走駅 2025-6-13撮影。)

    女満別からの道を238号の分岐で右に折れ、網走市街に向かいます。程なくして右手に網走駅が見えます。

    駅を過ぎてすぐで車を路肩に停めました。そういや網走には昔「れもん亭」があったよな、、、いまどうなってるのかが見たい。

    確か駅の至近だったので、ということで駅まで車を止めてみました。

    春ころだったかな、X(Twitter)自分の凄い昔のカキコにレスをつけてきた人がいて。

    少しやり取りをしたんだけど、その中で「れもん亭の跡地はすでに更地になっている」という事(やりとり)があって。かなり前にお店は畳んでニセコに引っ越しをされて。宿とカレー屋(でよかったのかな、「アワグラス」というところを開店して、さっきWebで見たら店は畳んでいる、という話。)その(網走の)跡地はどうなっているのかSNS(ソーシャルメディア)だけではわからないので、一度この目で見ておきたかった、という話です。

    至近の「あんじろ」はまだ建物がありましたが、れもん亭のあったところは更地になっているようです。

    (まだ建物があって、営業していた頃(2枚とも)1999-2-17撮影)

    ああ懐かしい。あれは自分たちが新婚旅行で冬の北海道を走りまくった時に撮った写真です。その時は網走に宿を取って(あら鷲、昨年か一昨年あたりだったかに閉館してしまった)、宿に入る前に行ったの。当時まだパソコン通信(NIFTY)があって、電子会議室でで行くのを予告して行った、という昔の記録(ノート)があって。ああ懐かしいなぁ、それ以来か、と思って来てみたらそのには何もなかった、という話です。

    さすがに30年も経つとあれこれ思った以上に変わってしまっています。心構えとしてはありましたが、当時(25年ほど前)辿った経路では、札幌のホテル(ロテル・ド・ロテル)は解体になったらしい、北母子里のとほ宿(母子里一刻館)も閉鎖して解体更地、網走のあら鷲も閉館、れもん亭もない、まあそんな感じで、残っている物の方が少なく(ついでに言うなら勤めていた自分の会社もない(爆))、何事もほどほどな感覚で振り返っておかないと振り返り様がないという事になってしまいますネ。。。

    今回はギリギリ振り返れたのだろう、そう解釈しましょうか。とりあえずこの目で出来たので十分。

    何もない所に突っ立ってても仕方が無いし、この先予定もありますし、少し停まっただけで車を動かしました。

    時計を見たらまだ9時50分。空港降りて1時間!ミッション1個クリア、です(笑)

    この後はまだまだミッション山ほどあります。ウトロまであと80キロはあります。頑張って走ります。

    つづく。

  • 知床へ(3) 目指せ女満別

    ★旅行日 2025年6月12.13日

    ここからが本編です。

    知床への入り口は女満別空港一択です。先ずは我が家から1300キロ先の女満別へアプローチです。
    今回の旅は知床ウトロステイ(2泊)です。夜行2泊3日で目一杯時間を使う計画にしました。
    前記事でも書きましたが、知床を目一杯楽しむには羽田からの始発便でいきなり入ってしまうか、少し時間に余裕があるなら札幌発の夜行都市間バスで朝一番にウトロまで入ってしまうとか(このバス千歳空港に寄ってくれれば最終日を絡めてかなり使い勝手が良くなると思うのですが、、、)、まあ色々考えてしまうのですが、今回は前者しか選択肢がないので

    名古屋-(あおぞらライナー)-羽田空港-女満別空港/レンタカー借りて120キロ走る-ウトロに昼前に入る

    という行程にしました。

    昔だと大垣夜行/MLながらで品川で降りてモノレールの始発便で、という事をやったりもしていたのですが、夜行列車がない今となっては(遠方から午前中に道内などの地方空港に入るには)この選択肢しか羽田早朝便を生かす手段がありません。
    (その他、ファンタジア号(JR東海バス)で横浜から京急を使う手もありますが、羽田のターミナルに付けてくれるのはコレが一番、という話) 木曜日便なら平日価格で乗れてしまうし(昔の大垣夜行+普通グリーン券よりも安い)、まあ遠方目的地への生命線、といった位置づけになるでしょうかネ(笑)

    ★実準備は1週間前から

    旅行の準備は1週間前から始めました。仕事が現在肉体労働系で、平日は帰ったらもうだらけて飯食って寝てしまうのでパッキングは衣類以外は1週間前から開始しました。とはいってもカメラといつもの旅用品以外は不要なので、要りそうなものを出して、やっぱ要らんなというものを削っていくスタイル(笑)
    昨年の釧路方面行は2人で1個のキャリーにしたので最初からパンパンで結構しんどい思い(要は荷物持ち)をしたので、今回の旅行は各自1個ずつ、にしてもらいました。(今回は無線用品を少し持って行こうと思っていたので、それもある)

    今回は時間が有給1日+週末、という時間しか取れなかったので最初と最後はガチ組みにして、真ん中はサックリ、というプラン立てです。天気気まぐれな所なので旅程の入替え、雨プランなどをいろいろ考えました。まあ何度か行ったことがある場所なので一人ならテキトー、といったところなのですが、今回は嫁様の知床行きたい願望を満足させなければいけない、というミッションが大前提にあるのでかなり緻密なシミュレーションをしました。念密かつフレキシブルに、という話ですネ(^^)

    ======
    さて前説が長くなりました、ここからが本番です(^^;

    (近鉄弥富駅。子供に送って貰って、とりあえず電車に乗る。ダイヤ大幅乱れ、、大丈夫?)

    6月13日、木曜日。
    仕事もほどほどに切り上げ、夕飯もフロも済ませ、子供たちにお願い事を頼んで、さあ出るかという頃になんかやばい事。
    近鉄名古屋線の人身事故が夜ありまして。たしか富洲原あたりだったかで。
    うちの場合は家の前に近鉄名古屋線と関西線の駅があり、どっちかに乗ればいいのです。両方合わせれば1時間に5本6本の電車が毎時やってきます。どうしようかなー、関西線でいいかなー、と思ったのですがやはりあおぞらライナーの乗り場はミッドランドスクエアの前なので近鉄がいいなと思って近鉄にしたんだけど、、、、
    なかなかダイヤが元に戻らない。上の子供が近鉄の弥冨まで送ってあげる、急行に乗れば?と言って乗せてくれたんだけど乗るべき急行が車に乗ってる間に先に行ってしまったりしてだんだん焦りモード、、、、、
    それでも安全パイモードにはしてあったのでとりあえず弥冨で来た普通電車に乗り、蟹江で急行に乗り換えてバスの発車には間に合いました。最初からちょっと焦りました(笑)

    (ダイヤが大幅に乱れていて、普通の運転士、追い抜きダイヤかわからない状態。列車無線で普通の八田退避を確認して、見送って、次に来た急行に乗ってセーフ、という話でした)

    さてバスに乗りましょう。
    夜11時半のミッドランドスクエア前は、あおぞらライナーとミルキーウェイ号のバスが連続で来るのでかなりにぎやかです。(両方合わせて)5便くらい?夜行バスが来るので結構人が居ます。
    #よくよく考えるとこの両者、JRドリーム号、名鉄/京王、ウィラー等、両手では数えられない夜行バスが東名間を走っているわけです。あえてJRがムーンライトナントカを経費をかけて走らせる必要性はない、という話なのも頷けます。青春18きっぷユーザー被害者の会?みたいな話は現実を見ていない絵空事なんだろうなぁ、とも思ったりもします。

    我々の乗るバスは23:55発。直前到着、荷物を床下に入れて、座席に座って椅子を倒してハイ就寝です。昨年の釧路行きの際には椅子を倒したら後ろの兄ちゃんに椅子を蹴っ飛ばされて倒すな!みたいなことをされて睡眠不十分な状態で横浜の朝を迎えたのですが、今回はなんと後も横も客いない!快眠で朝まで乗り通す事が出来ました。

    #備考ですが、ドリーム号等には睡眠用にブランケットがありますが、あおぞらライナーにはフランケットの類がありません。冷暖房を考慮すると、なにか上に羽織るものを持って行った方が無難だと思います。夜行2階建てバス(スカニアIntercityDD)などはエアコンダクトが低く風が当たりやすいので人によってはブランケットがないと夜行辛い思いをするかも知れません。あおぞらライナーは三菱エアロ~の3列でした。あとバスのUSBコンセントは案外アテにならなくて、挿したけど通電しないという目にあう事があります。USBソケットの配線のはんだ剥がれとか、乗って見ないと100Vの後付けかUSB-Aかわからないとか。モバイル電源環境は複数の手段を持って行った方が確実です(^^)) 

    (別に青木バスの宣伝をしているわけではないが(笑) 羽田第3ターミナルのバス降り場)

    ほどほど寝まして、5時にYCATでそこそこ下ろして、あとは国道1号をゆっくり走って羽田空港へ5時半着。
    同じことを考えていた人は我々夫婦以外に一人だけ(笑)→案外マニアックなことをやっているのかな<自分たち。

    バス降り場ではガードマンさんが降車人数の確認と羽田空港温泉の割引券を配ってごセールスをしています。4200円が半額!とか書いてあったけど半額でも高すぎまっせ!(笑) 

    (羽田第3ターミナルのローソン。ちなみに今回の荷物は左のカート1コとデイパック。随分軽装?でしょ(笑))

    羽田に着いて、乗る飛行機は6時50分発。羽田の早朝の給食事情は飛行機の時間とにらめっこなんですね。レストランが開くのを待ってはいられないので今回は第3ターミナルのローソンです。ここで朝食の調達と、知床にたどり着くまでの食糧を調達します。着いてからコンビニ寄っているとダラダラしてしまうので、ここで食料を調達してパッキングの中に押し込みます。

    朝の羽田空港は凄い人ですね、、、、第3ターミナルは国に帰る外国人旅客でいっぱい。国内線も地方に向かう旅客で空いてるチェックイン/荷物預けをしないとモタモタしていたらあっという間に搭乗時刻になっちゃいます。事前の準備をしてたあったので問題はなかったんだけど。

    さてやっとのことでここまで来ました。女満別行きJL565便のゲートです。本日は満席。急いで乗っても同じなので早よ乗りたい人はお先にどーぞ、の我々です(笑)

    ここまでが長かった。苦節なんとか?ではなく、高揚感です。前日まで仕事ヘロヘロ感でいっぱいだったのでやっとここで現実離れの旅の人になれます。乗ってしまえばこっちのもの?あとは嫁様のエスコートとなんちゃって旅人人生の復習旅行のはじまりであります。

    つづく。

  • 知床へ(2) プロローグその2

    2回目です。

    ★費用のお話

    旅行記なのですが最初にお金の話をします。お金の話はついて回ってしまうし、記録として残しておいたほうがいいと思って(笑)

    知床に行くと決めたのは大体2か月前だったので予約活動はすんなりと進みました。
    本来なら完全自前手配で行きたいと思ったのですが、そんなうまい話は現状の生活ではかなわない。

    時間的制約とかコスパとかを考えて今回は旅行会社のダイナミックパッケージ(HIS)をベースにして、そこに肉付けというスタイルにしました。仕事環境的にもこのくらいが限界なので仕方がない。

    今どきはこういうのが主流で、往復航空券と最低限1泊うちが仕入れたホテルに泊まってくれ、が基本か。昔は全部自分で手配したものですがネ(笑)

    費用は条件を入れると画面に出てくる。安全パイで帰ってこられる時間設定と滞在時間確保の計算をあれこれ考えるんだけど・・・・(なにせ欠航とかトラブルがあると職場に迷惑が掛かってしまうので現状それだけは考慮しないといけませんし。)

    結局昨年の釧路インアウトと同じく、名古屋から羽田まで夜行バスで行って、羽田からの始発の便で北海道に入りそこから活動、帰りはリスクヘッジで最終便の1本前で東京に帰ってくる、そんなスタイルになってしまってました。(こうしないと、北へ向かう場合名古屋発の飛行機に乗った場合札幌便以外の行き先はほとんど1日目が移動だけで終わってしまうところがほとんど)

    そういうプランを組んで旅行サイトで1泊朝食付(これが結果よろしくない事になってしまうんだけど、それは後述)で2泊と組んだら結果出てきた金額が2人で18万。一人当たり9万円。ここにレンタカーを別途3日間予約して2万ちょっと。ここに東京までバス代が2人で12000円位(帰りは新幹線も羽田乗り継ぎ常滑までも同じ金額だったので帰着地は常滑空港にしました)したので合計20万円台前半になってしまいました。夏休みシーズンじゃなかったのでこの金額だったのでしょうが、夏休み期間になるとさぞかし高そう、、、、かな?(んまあ夏休み期間は必ずしも北の大地は天気がいいとは限らないので、ということで勝手に納得。)

    だいたいなのですがなんだかんだで名古屋から札幌周辺に旅行すると2泊3日で1人10万円。これが札幌以外の地方空港へ飛ぶと(2泊3日で一人当たり)5万追加、という計算になると思います。やり方次第で多少は安くできるのでしょうが同行者がいる場合は相手から不平不満が出ないようにするにはそんな金額の予算建てで臨むのがよさげ、ということになると思います。

    そんなお金の話になのですが、今は二人とも働いているので毎月1人1万円相当を貯金すれば実行可能。けどこの先年金暮らしになったらそんな旅行を毎年するのは無理だろうし、そう考えると気ままな個人旅行を毎年楽しめるのはあと何回?という話になってしまいますね、、、、

    けどどうだろう、昔夏休み、年末年始に1週間くらい北海道に何度か通っていたころ(20代半ば)は、総費用で20万円位かけていた記憶記録があります。往復飛行機、足はレンタカー、手段は変わんない。そう考えると日割りしたらあんまり変わんないのかな?

    残りの人生とお金の話、そしていつ過去の思い出を振り返って、この目で感じて区切りみたいのをつけるべきか、そんなことを考える年齢になってる自分です、はい。

    ======

    前説はここまで。

    次回から旅日記本編に入っていきます。期待しないでお待ちください(笑)

  • 知床へ(1) プロローグその1

    さて次の旅行記は、初夏に地の果て知床へ行ったお話です。

    ★「ひょんなことから」と後から湧いてきた「理由付け」

    一昨年函館、昨年は釧路道東まわり、と10年以上のブランクを空けての北海道旅行を再開してきました。

     自分もそろそろ人生も過去の振り返りとかそんなことが出来る年になってきましてね。旅の目的も出会いとか新たなる知見とかそういうものからなんか昔のことを思い出してみたい、思い出探訪とかそういう事をしたい方向に向かいつつあるのかなと思うようになりまして。

    そんな意味合いで色んな行きたいところとかあるんです。年齢を重ねて、思い出の場所にいって、気持ちの整理というか区切りをつけてくる。そんなことを本能的にやり始めたのかな、、、という自分。たまたまそれが北海道という所だったのかな。
    多感な頃に通った場所がそこだったので、振り返りの場所もそこ。まあそんなもんなんでしょう、人それぞれかな(笑)

    で。今年の年1回の大きな旅行は「知床」にしました。
    理由は、昨年うちの嫁様が職場旅行の企画で10月の知床3泊4日、というのがあったようで、迷わず飛びついていろいろと準備をしていたんです。(まあ10月になんもないウトロ界隈にほぼ無知識の女子軍団を現地3泊で押し込んでしまう?出入り業者も業者だなぁと自分としては半分疑問視な感もぬぐえなかったんだけど(笑))

    ところが一緒に行くことにしていた職場同僚が新型コロナ陽性になってしまって泣く泣くキャンセルすることになってしまって。
    (幸いにもお金は感染本人じゃなかったけどお金は100%戻ってきたらしいですが)
    春ころだったかなぁ、まだ(彼女が)悶々としていたので「私プロデュースで行きますか?」の一声に乗ってくれたので、夏前に行く、というプランを決行することにしました。
    夏は会社の繁忙期だし、後ろに延ばすとどうなってるかわからない現場仕事だし、彼女の職場も若い子にに長期休暇を取らせてやると取れるところは案外限られてしまうらしく。

    北海道旅行というのは観光のベストシーズンは緑が映えて客も少ない、気候の安定している夏前が一番いいと思っているのでそこしかないよね、という自然の成り行きで6月、ということにしました。

    彼女にとっては念願の初しれとこ。自分にとっては20代前半以来の現地滞在(10数年前に通過したことはあるけど、あくまで通過)となる旅行計画です。昨年の釧路方面は嫁様の勤続表彰のゲタがあったけど、今回はしっかり旅行貯金を毎月積み上げていたので問題もなく。4月ころに大まかな手配はしてあとは細かい所を詰めて行きましょう、という事にしました。

    (知床あたりに35年ほど前に行った時の写真を引っ張り出してきました。マウントの書き込みを見ると1990年9月とある。)

    さて、表題のこと。「後から湧いてきた理由付け」というのは、
    「35年も行っていないので昔の旅の思い出の場所はあちらこちらどうなっているのか、という事を再確認して見たいという」思いが徐々に湧いてきましてね。網走界隈は25年、知床ウトロ界隈は35年位訪ねてないのです。(行ってたのは記録を辿ると1989.90.91年あたりとある)

    このあたり、実は自分の「なんちゃって旅人人生最大のハイライト」的な部分もありまして、その過去の思い出の部分が年月を重ねてどうなってしまっているのか今回の旅で確かめてみたい、という気持ちが段々と湧いてきました。

    ※このあと自分は富良野方面に数年通う事になるのですが、そのプロセスの中に知床でのきっかけ、みたいなものがあるのです。それはこのあと書いて行きます。

    (当時付けていた旅日記というかノート。付け始めて2冊目。ここに35年位前の旅行の記録があります。時は過ぎ、35年経って11冊目になりました(笑))


    この界隈、何個か今でも忘れられい思い出があるのですが(それはこの後続きを書いて行く中で明らかにします)さすがに35年も経つと色々な事が変わっていて、頭の中も記憶があいまいになっていたりして。下手をすると数年分記憶がこんがらがって脳内物語を作ってしまっているかもしれない。旅ノートはつけているんだけど当時の記憶などは素手の忘却の彼方に行ってしまっていて、やはり現地に行って焼き直しというか記憶の再確認をしたい、という自分としての目的が湧いてきました。
    予約活動をして2か月くらい旅の人になるまで時間があったので、その間過去の思い出とか今確かめておきたいことを考えながら気持ちを温めることにしました・・・・・

    #旅の記録というのはつまらんことでも些細な事でもあとで思い出すときに貴重な資料になります。こうして記事にもすることが出来るので紙の記録は作っておきましょう(^_^)

    つづく。

  • 2024 熊野花火大会 その4

    ★山奥でエンジンがかからない!ピンチ!

    さて木本中学の駐車場を抜けてどこまで走ろうかと思ったのですが、ほとんどの車が尾鷲熊野道路に曲がってしまう中、我々は佐田坂方面へ42号の坂を上っていきます。翌日の事を考えて時間調整で道の駅で仮眠をすることにしました。前日もあんまり寝てないし、とりあえず寝るという選択をしました。

    坂を上った所にある道の駅熊野きのくにで仮眠を取ることにして、車を寝るモードにして朝まで寝ました。

    ここでトラブルです。

    エンジンがかかりません。確かに車はワイヤレスキーを認識しているのですが、エンジンがかかりません。何度やってもかかりません。

    そんなときのために予備電池は持っていたのですが替えてもなかなかかかりません。もうJAFを呼ぼうかと諦めかけていたところで、やっとかかりました。
    かなりあせりました。よくエンジンのタコを見ていると、なかなか回転数が上がらず音がパスパスモードです。

    いままでも近所のガソリンスタンドでキーレスで扉の開け閉め、ロックが出来ないとかトラブルはあったのですが、こんなに焦ったのは初めてでした。
    恐らく前日にエンジンかけっぱなしで一日車の中で涼んでいたのがたたったのか、それとも車を止めた場所とワイヤレスキーのロケ的相性の問題だったのかわからないのですが、、、、そのあと尾鷲のマクドナルドでは全く問題が無かったのでなにがしかの相性かそれとも車本体がへばっていたのか気になるところです。

    熊野の山の中で大焦りした後は山越えをして、尾鷲の街に下りてきて朝マックです(笑) ゆっくり食事をして、42号をゆっくり走って、紀伊長島の古里温泉に入ります。開店前についてしまったので車の整理をしてひと風呂浴びます。
    皆さんやはり終わったら高速でとっとと帰ってしまうんですね。下道はガラガラだし温泉も我々のほかにもう花火帰りの1組だけ。ゆっくり前日の汗を流して次の目的地です。

    しかし高速が通ってしまった後は42号線もゴーストロードみたいで。ただでさえ人口減ってるのに太い道ばっかり増やしてどーすんのかな?という感じです。自分の小さい頃は(こちらの方に数年住んでいたのですが)もっと車は走っていたし活気があったのですが、、、。まあのんびり走れるようになったのでそれはそれで今の自分には合っているんですけどね。

    昼飯どうしようかな。。。。と思って、今回は紀伊長島のココ(城のこし)にしました。少し前にソーシャルメディアで見つけたのでここをマークしてのランチです。

    なかなかでしょ?(笑) 結構な量の食事量で満腹です(^^) 同行者二人も満足でこの作戦はバッチリ成功です。

    荷坂峠を越えて42号を下り出すと右側に見えてくるのがここ。大内山ミルク村です。こちらの方に来れば必ず寄ります。

    ここに寄るか、阿曽温泉に寄るかあとなんかどっかに寄ってダラダラ帰るのが自分には合っていますので(笑)

    道の駅とかでも食べられるのですが、やっぱ工場に一番近いのがいいです(笑)

    =====

    そんなこんなで2024熊野大花火のページ群はこれで終わりです。長々とお付き合いいただきましてありがとうございました。

    おしまい

  • 2024 熊野花火大会 その3

    さてここからが本番です(笑)

    やっとのことで19時半、花火本格スタートです。今回は隣に下の子供がいるのでカメコが二人並んで撮っている、の図です。後ろの人に邪魔にならないように気を配りながらケーブルレリーズ(スイッチ)をパシャパシャと、、、、しかし砂利浜なので三脚がうまく座りません。縦横カメラポジションも近すぎてうまく決まりませんし、なにせ目の前近すぎて予備で持ってきた超広角ズーム(シグマの10-20mm)でないとうまく撮れない、、、、近すぎるのも問題です(笑)

    事前の下調べが不十分?だったのであれこれレンズ付け替えながらやっているとあっという間に時間が過ぎて行って、取れ高率が恐ろしいくらい低いロケハンです。これだったら動画にして切り取りでもした方がいいんじゃないの?というレベルです(笑)

    あと花火なんてバルブで運次第みたいなところもあるので(構図が決まれば後はレタッチでなんとでもいじればいいんですが、なんか今回は(写真ロケハンは3回目なんですが)イマイチな花火見物&ロケハンです。食い物もろくに食えてないし、砂利浜に重い荷物はこんでしまってハマるし、クーラーボックス壊してしまうし、、、、、(泣

    今回のベストショットは、コレ。色がいいですね。昔こんな花火なかったよなぁ、、、紫色だけのこんなの。花火の数も構図も露光量もこれが一番でした。

    ちなみに海上自爆3尺玉は露光オーバーで復旧不能。失敗作でした。鈴鹿の花火大会でもやってくれるので、次回そっちでリベンジしようかなぁ、、、、、。

    花火は9時をかなりすぎてから終わりました。途中なんですが、ドローンを飛ばして進行一時停止というのが数回ありまして、警告の場内放送が何回もありました。言う事聞かない客が居たのかな、、、、津波避難の放送(花火大会の前に宮崎で地震があったため)とこのドローンの話とかもあって進行がズルズル後ろにずれていってしまったのかな、という風に感じました。

    まあ自分たちは夜中12時まで駐車場から出られないので急ぐ旅でもないし、食料なども準備していたのでゆっくり出て行きます。前のページでも書きましたが木本中学の駐車場は有馬交差点からも出られるので木本高校からよりは早く42号に出られます。

    今回は日曜日に余裕の時間を持たせてあるので、途中仮眠して尾鷲のマクドナルドで朝マック、ゆっくり走って紀伊長島の古里温泉でひと風呂浴びて~という予定でゆっくり帰ることにします。