館長のお出かけ日記

館長の旅行記とか遊びに行った時の記録を書いています。記事一覧はサイトの一番下からどうぞ。

  • 知床へ(18) 知床峠

    (知床峠と羅臼岳。残雪まだまだ、の図。夕方です。)

    ☆旅行日 2025-6-14

    さてここが今日のハイライト第2弾。知床峠です。知床岬を極めて知床峠で今日の観光は締めです。

    自然センター駐車場からは車で行けばそんなに遠くない。峠道を詰めても車なら15分か20分もかからない。急ぐ車は先に行かせてゆっくり登っていくくらいがいいです。最果てのクライマックス感は十分です。今回で3回目か4回目くらいかな、だいぶブランクが空いたのですがこうスカッと晴れた知床峠は初めてなのか2回目なのか。記憶の焼き直しには十分すぎる天候です。(ちなみに前回はガスで視界ゼロでした(笑))

    バスでもウトロからだったら2往復位行けるチャンスがあるみたい。ウトロからだと片道800円位だし、足が無くても晴れててチャンスあったら行くべきの所かな(夏季に限る)。

    現地に着いたのは夕方5時くらいだったのですが、それなりにレンタカー組の人はいました。外国人のレンタカー組も居ましたね。中国系の人多人数グループとかもいてなかなか写真(人物入りの年賀状素材)を撮ろうと思ってもどいてくれなくて結構難儀しましたが、、、、こういうときBY系(中国系)の人たちはみんな順番待ってるのに周りに配慮がない、、、東南アジア系や欧州系の人だと譲り合いとか雰囲気でわかってくれて問題ないのですが、、。地の果てでもこうなのですが、サナエちゃんのあれで多少は変わるのかな、こういう困ったシーンとかは。

    (地の果てにあるトイレの一つです(笑))

    グチの一つも垂れてみましたが、そんなのを差し引いてもこの場所は訪れて欲しい所かな。人里は前にも後ろにも20キロ以上走らないとないし、天候にも必ずしも恵まれる場所でもないし。

    トイレの画像を上げましたが、人里への距離とトイレへの距離は同じです。ウトロへは自然センターが閉まっていたらウトロの道の駅までトイレは無し!ちなみに知床岬で通じた携帯電話は知床峠では圏外でした(ソフトバンク)。非常時のリスクはちょっと覚えておいた方がいいです。

    ちなみにラジオに関しては地の果てまで行ってもローカル局が良く聞こえます。カムイワッカの奥地に行っても網走のFM放送は海を隔て向かい側みたいな感じなので非常によく入感します。山の上ならなおさら。寂しかったらポータブルラジオの1台でも持って行って鳴らしておきましょう。非常時も役に立ちますし。

    (羅臼がわというか知床岬方面に向かって、の図。)

    この日は北方領土は見えませんでした。まあ観光船の知床岬で国後島は拝めたのでヨシとします。

    ☆知床峠で無線をした話。

    ここで家から持ってきたアマチュア無線のハンディ機を取り出して、15分位無線をさせてもらいました(嫁様に待って貰いました)。

    その時の話とかは別の無線ブログに書いておきましたので、そちらをご覧いただければ幸いです。
    (「DXing日記」→https://jq2oul.hatenablog.com/entry/2025/07/01/074651

    で・・・・この旅行の際、自分達がほかの人と話をした機会ってどのくらいあったのかな、と考えてみました。人の話を聞いたのは知床五胡のガイドさんだけ。事務的な簡単なやり取りはレンタカーと空港と飲食ホテル位。

    あとは殆ど人と話を交わすことなく旅が終わってしまったと思われます。会話と言える話をしたのはこの知床峠でCQを出したら中標津の無線局さんが応答をして10分くらい話をした、というのだけ。

    はぁこんなもんなのかな、と思ってしまいました。昔だったらYHやドミトリー系、北海道だったらライダーハウスとかその系、土産屋で長居とかいろいろ他人様と交流する機会もあったのですが、今回はホテル付パックにしちゃったし昔のお土産屋さんなんてすでになかったし、なんか旅には満足したけど穴も開いていたのかな、という感もあとからしました。

    昔の身が軽かったころののような旅は今後することがあるのかな、と思ってしまってもいます。まあ嫁様が一緒にいてくれるのでそれはそれでいいのですが、残りの健康人生の事を考えると昔のような流離うような旅は今後出来るのかなとも思っています。難しい話です(謎

    =====

    峠にいたのは正味1時間位かな。土産屋やキッチンカーがいる場所でもないし、同行者もいる事だし、山を下りることとします。ウトロの街へは30分くらいです。帰りもゆっくり走って、夕陽を見て、写真を撮って、コンビニによって食糧調達をして(パッケージを1泊朝食にしたので)宿に帰ります。
    帰りの夕日も天候に恵まれて印象的でしたよ。既に上げてしまったので公開済みのページに夕日の写真は上げてありますので、併せてご覧くださいませませ(^^)

    (「(13)最果ての夕日は美しい」です)

    (知床へ(13) 最果ての夕日は美しい – すたんぷのーと・館長のお出かけ日記)

    観光的な要素に関してはあとは翌朝の帰り道に空港まで寄っていく所3、4か所くらいかな。地の果ての話はここで終わりになります。
    もう1~2日あったら行きたいところは何か所かあって。岩尾別温泉の露天とか、熊の湯とか、羅臼がわのアレコレとか、その他いろいろ。けど明日の午後の便で羽田に帰ってしまうのでこれで地の果ての観光的要素の話は終わりになります。

    結構長く書きました。ダラ書き。まあ頼まれて書く原稿でもないし、自分で管理している個人サイトだし、今までの事の肩の荷を下ろすような感じで書いてる。書き続けて(課題解決もしてきたので)だいぶ気分が楽になったような気もします、はい。

    この後はもう少し思い出話とか書いて、帰り道のトレース系の文を書いて行きます。

    つづく。

  • 知床へ(17) フレぺの滝(乙女の涙)

    (フレぺの滝展望台から。滝と、宇登呂灯台と知床連山、の図)

    ☆旅行日 2025-6-14

    旅の日程も半分以上消化しました。観光ハイライト的な物はあとは2、3か所でおわり。裏目的?な部分もほぼミッションコンプリで、あとは締めにかかるところ。この旅行記もあと数本で締めますので、もうしばらくお付き合いの程を(笑)

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    観光船を下りたのが2時過ぎ。あと4、5時間はいろいろと見て回る時間がありそう。という事でこの後はフレぺの滝(乙女の涙)と知床峠まで足を延ばします。明日はもう朝にはウトロの街を出てしまうので今日が実質知床観光の最終日です。

    この地に居られるのも明日の朝までなので出来るだけ多くのなんとか、という感じですね。けどまあ連れられて行くパックでもなく自分で決めたスタイルの旅なので多少も無理でもやっちゃいます(笑)

    短い旅なので自由気まま、というわけにはいかなくて。限られた時間のなかでどうするか台本(ストーリー)をセッティングするのですが、今回はトラブルみたいなこともなく凄く上手く行ってる。運がいいのかな?

    もとい。

    観光船を下りて昨日走った道を登ってフレぺの滝(乙女の涙)へ向かいます。
    昔フレぺの滝なんて言ったかなぁ、乙女の涙、男の涙としか名前の覚えがない。今は探さないと「乙女の涙」とかいうワードが出てこない。(昔旅人さんだった)嫁様の知人に聞いてもそうだった。なんでかな?

    岬へは直接車では行けないので知床自然センターの駐車場に車をとめます。自然センターの中にはなぜかモンベルの店舗がある。どのような商売展開の意図でこんな山奥に店を構えてるのかは知らないけど・・・・?(笑) 地元でもそうだよな、御在所岳の山の上に店があったりとかするし。(以前の項でも書いたけど)ようわからんです。

    で、ここ発のガイドツアーとか別(観光)スポットもあるようですが、今回は岬巡りだけとします。

    自分達が行った時にはヒグマの活動期という事でストレートには森の中を行けなくて、駐車場から国道を歩いて戻って別ルートから入るような規制がかかっていました。なので数百メートルの回り道をすることになってました。(大体6月から7月の上旬までみたい)


    知床観光は十分に楽しもうとすると歩かないといけません。知床五湖の五湖巡りも、カムイワッカの滝登りも、ここフレぺの滝も、歩かないといけません。なんで普段歩かない人には結構きついかな?(笑)「1キロ以上歩くよ!」「え~・・・」とう方は無理かな?(笑) 多少のスタミナと精神的余裕は必要だと思います(^_^)

    (滝の展望台へ向かう散策路。写真は海側から。奥が駐車場/国道方面です。)

    遠回りだったので1キロ半くらい歩いたのかな。インバウンドの影響もあるのか、案外こんな山奥でも外国人の人が歩いているのが目につきます。知床観光船の船上(団体さんの乗らない岬コース)もそうでした。ただまあ中国人が団体でいるというわけではなく個人旅行の人が旅を楽しんでいる、という光景かな。何事もほどほどがいいです(謎

    (写真左に写っているのが展望台。昔はその先の突端まで行けましたが・・・今は行けません。)

    駐車場から迂回路使って1.5キロくらい歩くと展望台で、ページ一番上の写真のような光景になります。展望デッキは高めに作ってあるのですが、完全に滝の下まではクリアには見られません。
    昔はこの上の写真の突端まで行けて、肝試し!みたいなことが出来たと記憶しています。行けばそれはそれでそれなりの光景を見ることはできるのですが現在は手前に柵があって立ち入ることはできません、念のため。落ちたら崖下まで一直線で滑落ですので肝試しはやってはいけませんヨ。(もっとも高い柵があって入れないようにはなってますが。)

    ちなみに展望デッキのまわり、柵の外側の崖には鹿がたくさんいます。逃げもしません(柵があるので安心してるのかな?)なので観光船に乗って「鹿が見えます~」とかいう案内で遠くの鹿さんの写真を撮って追いかけるようなことはしなくていいです。道路で車をとめて鹿やキツネを追いかけるようなこともしなくていいです、はい。

    ☆全景を見るには海から

    ちなみにこの写真はここに来る前に観光船の帰りに撮ったもの。全景をクリアに見るには船に乗らないと見られません、なのでそんな写真を上げておきます・・・・。右側の小高い所がこの写真の上の写真の突端部になるのですが、落ちてもこれだと誰も気づきませんし、泳がないと帰れませんネ(^^; (ここの写真の左側に位置する)男の涙も今は陸側からは近寄れないそうで、船に乗って海から眺める、という形です。

    (当然なのですが、お金かかっちゃいますネ(笑))

    センターに車をとめて乙女の涙まで行って見て帰って来るのはどうでしょう、1時間半もあればいいのかな。観光ツアーだとすっ飛ばす場所ですが、景色もいいし、時間を取って一見の価値はあると思います。時間は限られても心にはゆとりは持てますので、大丈夫です。

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    さてこの後は陸上の観光ハイライトの一つ、知床峠です。何回か行ってるけど、やはり峠の上まで登るというのは高揚感があります。前回(20年位前)はガスで視界ゼロでしたが、今日は雲一つなく目の前に羅臼岳が見えます。峠もクリア。否が応でもテンションが上がります。きょうは知床岬到達とか、知床峠のてっぺんとか、「クライマックス感」がテーマだったのかな?(笑)


    寸止めですが、この後は次回という事で(笑)

    つづく。

  • 知床へ(16) 観光船で知床岬へ(その2)

    (ついに到達、知床岬の突端であります)

    ☆旅行日 2025-6-14

    9月から旅行記を書き始めたのですが年を越してしまいました(笑)

    もうしばらくお付き合いの程を。

    ウトロの港を出航してお昼前に知床岬へ到達します。ここでお写真タイムという事で暫く留まってもらえます。
    遂に来ました知床岬。宗谷岬もスコトン岬も襟裳岬も納沙布岬も行きましたが、ここだけは船に乗らないと来れない所なので感慨ひとしお?であります。

    昔ここに来るのに歩いて行ったとか言う人の話は複数聞いたことがありますが、自分はそこまでの根性はないな(笑)

    (ここまで来るともらえる視察証明書・・・・)

    船内でこの到達証明書(というか視察証明書)ってのがもらえます。日付がないから自分で書け、ってことか(^^; ネタ的には自慢できますね。

    いやあこれで嫁様の願望はかなえましたよ。礼文島のスコトン岬も、納沙布岬の笹川さんの展望台も連れて行きましたよ。長い人生岬巡り、よく自分についてきてくれましたわ(笑)

    (鹿捕獲のための罠だそうです)

    岬のすぐ近くで写真を撮っていたんだけど、「おやっ?」という構造物を見つけてしまいました。何なのかなと思って船員さんに聞いてみたら「鹿のわな」という返事。あとから調べてみましたがやっぱりそうだったようで、エゾシカを捕獲するための構造物なのだそう。エゾシカが増えすぎてあれこれやってるのは調べりゃわかる話なのですが、人の立ち入りが厳しく規制されているこんなところにこんなものがあるなんて意外な話でした。多分こんなものをナマで見られるのは関係者以外では観光船の乗客位なもので、ほとんどの人は見ることはないと思われますので載せてみた次第です。
    まあこんなところにそんなものを作らないといかんほど増えすぎちゃっているのが現実なのかもしれませんが・・・

    そういえば行ったころには「知床の海でも携帯電話を使えるように基地局をどこかに作れないか?みたいな話がニュース記事界隈に出ていましたね。この記事を書いている時点では自然保護関係者の反対とかで進展がないようですが、漁と観光シーズン位は何らかの臨時の小規模の基地局とか出来ないのかなぁ、とかも思った次第。人の手が既に入っている場所に間借りとか相乗りとかでね。まあいろいろな力関係とか力学があって難しいのかも知れないけれど。山岳の夏季臨時基地局なんてのはすでに実用化されているのでなんか話の落としどころってのはないかなぁ、とも思っています。スターリンクの活用とか、他社では数年後にはスターリンクとは別の低軌道衛星が同様のサービスを実用化の計画で国内では楽天モバイルが参画しているそうなのでまた数年後には話が大きく変わっているのかも知れません。

    けどまあ人(観光客あたり)が携帯電話を地の果てでも使いたいというのは1年で数か月(多分、半年もない)しかないわけで、課題問題としてはフレームのすごく片隅みたいな問題なのでしょう。それよりもレジャー活動の安全性の担保を持って~という話なのかも知れませんね。
    外野素人レベルの書き物としてはこのあたりで留めておきましょうか。

    (カムイワッカの滝と、硫黄山)

    帰りはゆっくり船を走らせているようで、体感ですが時間調整気味にウトロまで戻っていました。乗客の皆さん帰りは達成感ひとしおなのか外に出て自然観察鑑賞会をやっている人は少なくなります。中にはソファーで寝ている人もいました(笑) 

    写真のカムイワッカの滝も近くまで寄ってもらえます。前日はここからは見えないけど林道に入って湯の滝鑑賞会が出来ましたし、きょうは海から上から下までばっちりな光景を拝むことができました。満点観光です。写真を撮るなら帰りの方が外に出ている人が少ないのでゆっくり撮ることが出来ますね、なんでも同じパターンか?(笑)

    小型船ででないとイルカなんぞは見られないと思われますが、帰りの船では結構イルカの泳いでいる光景を眺めることができましたし、最後は岩尾別川の河口でクマの親子を発見することができて大型船にもかかわらず結構陸の方まで船を近づけて貰えました。シカに関しても見つけられたようですが陸に上がってフレペの滝付近に行けばいっぱいみられるので船からシカを探す必要性はなさそうですよ(笑)

    #海洋哺乳類生物系(イルカなど泳ぐ系)だったら多分沖縄とか小笠原あたりに行った方がいいんじゃないのかなと個人的には思います。小笠原だったら運が良ければ一緒に泳げるし、沖縄近隣離島だとアクセスは知床よりはいいと思うし。個人的な考えですが。

    (帰ってきました、往復4時間の航海お疲れさまでした)

    その他いろいろな見どころとかあるのですが、尺伸ばしもほどほどにしておいた方がいいと思うので?、その辺はその他の人のサイトやネットの資料をご参照ください(笑)

    14時過ぎにウトロの港に無事到着です。入れ替わりに同社の小型船「おーろら3」が出ていきます。こちらもみなさんライフジャケット着用になってるのが写真でもお判りいただけると思います。

    で、なんか。。。帰ってきた時点が一番天気がいいじゃないですか、快晴で。そんなもんかあるあるかわかんないけど、おさまりのいい写真きれいな写真だけは撮れました、ということか?(笑)

    ということで今日の観光メインの「知床岬を観る」は無事コンプリとなりました。ちなみに翌日は朝起きた時点で強風で観光船は小型大型とも全便欠航となっていて、一日違いで成果雲泥の差、となってました。運がよかったのかな。来る前から雨の日プランとか代替シナリオを考えたりとかしていたのですが、今のところは杞憂で終わっています。

    今日はまだまだ時間があります、この後はフレペの岬(乙女の涙)、知床峠へというプランニング。夕方まで時間目いっぱい遊びます。

    つづく。

  • 知床へ(15) 観光船で知床岬へ(その1)

    (やってきました観光船「おーろら」。初便の硫黄山折り返し便の次が我らの便です。)

    ☆旅行日 2025-6-14

    今回のお題は「知床観光船知床岬コース」です。

    オロンコ岩の岩登りで時間調整をして、観光船の待合所でチェックインをします。

    天候は曇りで、たまにパラパラ雨?みたいな天気。けど風が無く海はベタ凪で運航は全く問題なさそう。予約はオンラインでしましたがお客さんの数は予約しなくても大丈夫なくらいでした(6月半ばの話です)。

    (ちなみに決済は現地決済でWeb予約は枠確保のみです)

    (観光船「おーろら」の受付&待合所。)

    乗船券は今はサーマルペーパーなんですね、、、昔は印刷の券片が残って旅の想い出にもなったのですが、いまは(航空券なんかも同じですが)ただのサーマル紙ですな・・・まあそれでも取っておけば旅の想い出、ということで。

    運航ダイヤは我々の乗る便の前に朝早い時間に硫黄山折り返しがあって。ホテルに泊まって判ったのですが、宿の朝ごはんの時間って観光船に乗るためにホテルの朝食の初回の時間は早いんですね・・・・早飯を喰って、観光船に乗って遊覧して、そして観光バスに乗って各地に旅立ってゆく、というルーチンなのを初めて知ります。我々が乗り場に来る前にすでに観光バスがとまっていて、降りてくる乗客を待ってました。

    (ゴジラ岩観光の「カムイワッカ88」号。小型船はライフジャケット着用です。)

    我々が乗り込むとのほぼ同じ時間に小型船のゴジラ岩観光の船が出航していきました。 同じような時間に出て行くのですが、色々調べていくと単独では(安全の確保のため)観光船は運航はしないようなスタイルになっているようですね。数年前の事故の影響もあるのでしょう、小型船の部類の船は全員ライフジャケット着用で、運行前に拡声器を使って安全運航のためのレクチャーをやっているのが結構距離のある我々の船まではっきり聞こえていました。我々の大型観光船は安全性の担保があるという事なのでしょう、特に何もありませんでした。 

    船に乗り込みいよいよ出航。天候は朝のオロンコ岩登りの頃は曇天でなんかパラパラきた?みたいな天気だったんだけけど、港を出たら薄曇りに変わったりとか晴れたりとか、結構目まぐるしく変わります。ここが道東観光地の果ての服装準備の泣き所で、今回も薄手のジャンパーを持って乗船をしましたが、結果正解だったようです。

    (行きの乗客の皆さん。外に出て岬まで写真パチパチが続きます。)

    行きはみなさん案内音声があるので外に出てお写真タイムです。船員さんは見張りをしながら、双眼鏡でイルカとか鹿とか熊とか居ないか先回りで探して~見つけ次第放送で乗客に知らせてくれるスタイル。小型船は陸地に近づいてくれるとか言うのはセールポイントにあるのですが、実際には海岸には定置網が仕掛けてある場所が結構多く、どこでも岸に近づいてくれるというわけではなさそう。観光よりも漁業者の生活の方が優先なのは言うまでもない話で、ほどほどの距離で海を行く大型船の方が自分には合っていると感じた次第です。(あと天候気候の安定性に欠ける場所柄もありますし・・・・)

    (硫黄山を遠目に眺めて、いよいよ知床岬へ・・・)

    上の写真はルシャ湾に差し掛かった所。遠くには硫黄山。このあたりから気候が変わってきました。このあたりが知床半島で一番標高の低い所で、風の通り道になるため風が強くなり、少し寒くなります。ジャンパーを持ってきて良かったの話です。この先は小型船だと運航期間も短く設定されていたり、運航条件(風速、波高)がかの事件後厳しくなったので岬まで行こうとすると大型船の選択が適切、という事が多くなるのでないかと思います。運行情報はホテルのフロントとか道の駅に掲示してあったり、オシンコシンの売店にも貼ってありましたね。

    このあたり。かの小型遊覧船の遭難時、携帯電話が通じるだの通じないだのとマスコミなどが騒ぎ立てましたが、自分の持っていた携帯電話は知床岬の突端付近まで4Gで問題なく通信が出来ました(ソフトバンク)。船の外のデッキにいたので海面から高さもあったし見通しも良かったし。

    知床五湖まで携帯の基地局が来ていたり、海上伝搬で電波が遠くまで行き届いて居たりとか見通しが効いているせいもあるのでしょう。ただまあ遭難事故のあった崖下のような(超短波では)見通しの効かない場所、小型船においては海面から携帯電話のような機器でアンテナ内蔵で給電点が低い条件ならそりゃ届かんわな、という話だろうと(電波伝搬に知識があれば)容易に想像は出来ると思います。また違法ですが簡単に高出力の出せるアマ無線機を搭載してそれを担保にしていたという安易な考え方に至っていたというのもわからんわけではないのですが、長年やってる無線愛好家としては全くの迷惑な話でね。

    人災という部分が大きいのですが、保安機器を装備して、ちゃんとマリンVHF等を搭載して適切に運用していれば、というタラレバを思いながらこのあたりを通り過ぎて行ったのでした。

    ここまで来て時間はウトロから1時間15分位かな。ここから30分弱で知床岬です。ルシャまでは通行止めだけど林道が来ていて、コロナ禍の頃のテレビの再放送(NHK)で、ユネスコの関係者が番屋の傍らの橋を撤去しろだのなんだろとイチャモンをつけていた場面が流されていたのを今でも思い出します。結果としていまでも残っているんですが、ユネスコの言ってる通りに何でも従っちゃうのもなぁ、とか思い出しながら現地を通過して見てました(そんなことをいまだに覚えている自分もなんか変?(笑))。

    つづく。

  • 知床へ(14) 最果ての地で手に入れた赤い「とほ」の話

    ☆旅行日:2025-6-14

    (オロンコ岩の上から、ウトロの街。ど真ん中がゴジラ岩、左が北こぶしリゾート、丘の上がホテル街。)

    日が変わって土曜日。今日はメインに知床観光船の知床岬コースを据えたのでそれまではウトロの街歩きでもしようか、という事にしました。船の出航は10時過ぎだったのでそれまでは昔の記憶をたどって少し街歩きを・・・・。

    宿(知床第一ホテル)を出て船の時間まで1時間半あったのでどこに行こうかという事で、手っ取り早い「オロンコ岩登り」をすることにしました。実は何度もウトロの地は訪れているんだけどオロンコ岩には登ったことが無かったワタシ(笑)恥ずかしながら初登山をすることにしました。
    登るだけだったら10分~15分位?で登れるのですが崖に無理やり階段作った感があって結構怖い人には怖い。手すりはありますが足滑らせたら崖からナントカ感あって怖いです。ちなみに帰りに膝下あたりがつってしまいました(^^)

    (オロンコ岩の上で、ユリの花と知床連山。2025-6-14)

    高台から街全景を見下ろせるところはここくらいしか無いので一度は登っておいた方がいいのかな。ちなみに下の駐車場は長時間駐車でなければタダ。トイレもあります。オロンコ岩のトンネルを抜けてその先は有料駐車場なので、滞在時間に応じてうまく使い分ければOKかと思います。まあ道の駅に停めて街ブラしてもいいんだけど。

    お上りさん?を終えて、船のチェックインをして、それでもまだ時間があったのでセイコーマートで買い出しをして、写真のまん中にある通りを少し歩いてみることにしました。(船がお昼を跨ぐ航海なので、食糧持参の必要があったため買い出し。)

    昔このあたりには土産屋さんとか民芸屋さんが複数あったはずなんですが、ないですね。この通りにあったのは1軒と、昔からある民宿だけ。あとは観光船の事務所(待合所)とか、BBQ屋(休業中)とかになってる。まだ繁忙期でもないという事で人通りもなくて。昔来た時はこんな寂しい光景じゃなかったよなぁ、、、、、観光船の待合所とか何軒あるのですが、例の観光船事故の余波とかもあるのでしょう、廃れた寂しい通りでしたね。観光船の時間が近づくと乗用車だけが駐車場に向かって結構走って行って人は殆ど歩いていない。寂しい通りでした。

    昔は時間の有る旅人さんが土産屋民芸店に長時間居たりしてそれでも問題なくて、自分もそういう経験がありました。それが昔の北の旅の楽しみでしたね。いまはもうそんなこともなくなってしまったのでしょうが、そういう中から思いがけない展開とかあったりするもので・・・・

    ちなみに検索するとかなり古い記事の「ユーカラ民芸」が数件ヒットするだけ、下に書く「北大民芸」なんかは言葉のヒットすらしません。

    このまま時が経てば個人サイトだとホスティングの契約切れ、とか個人向け無料ブログサービスの終了とかで検索すらおぼつかなくなる、そんな話なのかな。そうなったら今度は物持ちのいい元旅人さんやどっかの民宿などを訪ね歩いて紙の資料のサルベージとかをしなきゃいけないだろな、、、、30年経てば昨日のように自分が思っていた記憶も記録もそんなもんです。

    「やばいよな、と思ったら再び旅に出ましょうね!」(笑)

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    (赤い「とほ」がウトロで手に入れた初めてのとほ。この時1冊150円。)

    さてこの回の本題です。

    これまでこのあたりで体験したこと等が自分の旅人生(旅人人生というにはおこがましいので一文字抜くね)において多大なる影響を及ぼしたことはここまでにあれこれと書きました。最後に書くのが上の「とほ」の話です。

    「とほ」そのものは辿っていくと1986年に初版が発行されて現在は隔年で縦長の本になってますが、昔は横長の写真のようなスタイルの冊子でした。100円、150円、200円までが横長だったかな。まだネットとかない時代はこの冊子はYHのハンドブックと合わせて重宝されて安宿旅行の必須アイテムのの一つでした。情報がネットに本格移行するまでが掲載宿数のピークで、増えすぎちゃって色々あって、広告を掲載するというスタイルから(あいまいな形をやめて)組織を作って、という経緯で現在に至っている、というのがストーリー的には正しいのかな、と思います。
    ちょうど自分が北の大地に通い始めたのは二輪で北海道ツーリングというのが大流行りで、このカテゴリーとは別にライダーハウスが雨後の筍のように出来ていった時代で安く旅をするには(情報を持っていれば)ネットとかが無くても何も困らなかった時代だったと思います。その手の宿には小さなメモ紙くらいの大きさのチラシが置いてあったり、宿に貼り紙広告があったりとか、談話室や部屋で交流すればすぐに自分の情報量が飛躍的に広がりましたから。

    自分が北の大地にひとりで行き始めた頃はこの「とほ」の事なんかまったく知らなくて、安く泊まるにはYHのハンドブックを見ながら基本のスケジュールを組んでいったものでした。まあユース民宿の類の安宿情報なんてどうやったら手に入るのだろうと言った時代、ネットワーク時代の幕開け寸前みたいな時期でしたか。

    その他、古い方だと80年代には「とらべるまんの北海道」90年代は初頭に「北海道が好き」とか道内出版のツーリング本(疾駆北駆す)とか、「北海道ユースホステルJOHO」とか、90年代の後半は「なまら蝦夷」とか、いろんなブックレットがあって、行けばそんな本とか情報が手に入れられて、行くごとに旅の厚みが増して~といういい時代だったかな、インターネットが出現するまでは。(そのブリッジの期間にパソコン通信(TTY)もありましたね。そんな時代も経験した館長です(笑))

    #その時代のそういう冊子はご丁寧に?我が家の本棚に飾ってありまして、いつでも見られる我が家だったりします(「とらべるまん」はさすがにないけど(笑))

    今時はネットでの情報収集が必要十分かそれ以上に入手出来て、予習が時には完璧にできる時代になってそれを実行するだけってのが現実かな。未知を知る旅ではなく「ただの演習旅行」って言った方がいいのかな。まあ自分の旅行もそうなっちゃってしまっているんだけど・・・・はい。

    (ウトロ「北大民芸」にて。1989-8-25)

    (同じく北大民芸にて。店主と、後ろは泊まった宿の仲間等々。1990-09-06)

    少し話がそれました、

    そんな中、89年に北海道に来て、この旅行記の6話目(http://www.stampnote.com/wp/odekake/2025/10/24/362/l)みたいな話があって、YHの泊まり歩きを始めて、ライダーハウスなるものを知り(本物のライダーハウスに泊まったのもウトロが初めて)、そして上の写真の北大民芸で「とほ」の冊子を薦められて入手したのがユース民宿(とほ宿)泊まり歩きのきっかけ、という話だったのでした。

    買ったのは91年版が最初だったから、この上の写真の次の年になるのかな。ほぼない記憶を昔の記録を繋ぎ合わせると、

    89年は店を訪れて、写真だけの記録がある。ネガに日付けが写し込んであったからそれが証拠。

    90年は岩尾別のYHに1泊泊まって、次の日はみんなで遊んで、グリーンハウスに泊まって、翌日北大民芸に昼くらいまでうだうだしていて、じゃがいも大量に煮るからデカい鍋1つ分洗って、店の車洗車して、最後にアイヌ衣装着てアイス買いに行ったら2K円貰ったとかハチャメチャな時間を過ごして、そのあと峠越えをして標津に行った記憶と記録が。

    91年はそのアイヌ衣装を着た写真を貼ったポストカードが年賀状で送られてきて、翌年も義理堅く社会人1年目の長期休暇で北海道に走りに行ってしまい、ウトロに来てしまい、年賀状ありがとうのあとに上の写真の赤い「とほ」が出て来た。

    というストーリーでした。手書きの原稿をそのまま刷った旅の情報誌ってのは今まで見たことが無かったので新鮮だったなぁ・・・・そして宿の選択肢がかなり広がったのでその後の旅のスタイルが大きく変わって行くようになったのよね。

    この上に書いた書いた1989、1990、1991年の一連の話が無かったら今頃どうなっていたのかって、全然違っていたと思う。

    (そして今までこの旅行記のシリーズで書いてきた既述のアレコレな話とかも・・・)

    それがこの知床地の果てウトロ界隈だったというのもこれまた偶然なのか何なのか。単なる偶然?必然?意味のある偶然の一致なのか。わからん。本当にわからんのです(笑)

    とほ宿を使い始めたのはその翌年の冬あたりからだったかな。いまは無き母子里一刻館(建物もない)、丹頂の家(だいぶ前にとほはやめた)、民宿びばうし(ここもかなり前に宿はやめて、もう建物もない)あたりから宿として泊まり始めたのは。

    けどまあYHであろうがユース民宿(とほ宿)であろうが、周遊回遊型で泊まっただけではなんかその先が広まらないよね、ということで旅のスタイルを変えなきゃなぁ、ということで2、3か所のそれ系の宿に何度も足を運ぶような感じで旅のスタイルを変えていった、というのが若い頃の自分の旅スタイル履歴、という事になります。そのあたりの思い出話なんかはまたの機会に書いてみたいなと思っています。

    ちょいと旅行記の話とはズレズレな話を長々と書いてしまいましたが、上の話はどうしても書いておかないと気持ちの整理がつかないのでこの項で書かせていただきました。

    廃れ切った通りを歩いていろんなことを考えて、思い出してしまいました。30年とか35年って長かったけど、こうして振り返って書き起こしてみると感慨深い物?を感じます。総括して何を最後に記せばいいのかわかんないんだかけど・・・・

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    さてさてこの後は知床観光船・知床岬コースに乗船します。船に乗るのはこれまた35年ぶりなのかな。以前はカムイワッカ折り返し便だったけど、今回は岬の突端まで行きます。嫁様の最大の希望「知床岬の先端が見たい」を叶えてあげないといけない。思い出に浸りに来た「だけ」の旅ではないのです表目標は完全遂行です。(笑)

    つづく。

  • 知床へ(13) 最果ての夕日は美しい

    (ウトロの市街地から幌別川の方に少し行ったところ 2025-6-13)

    知床観光の大きなセールスポイントは、自分は「夕日」だと思っています。

    タイトル通り「最果ての夕日は美しい」のです。最果ての旅気分に更にバイアスがかかって?クライマックス感最高なのです。

    上の写真は334号のウトロ市街地から幌別橋に向かう海岸線で見られる夕陽。一度現場で見た方がいいと思うオススメの夕日です。 

    自分も30年以上前に写真に収めた時以来すっとまた一度ナマで見てみたいと思っていた光景。
    僕の想い出は30年以上押し入れの奥にしまってあった同じ構図のコダクロームのマウントポジ1コマだけだったの。時々見返してまた見たいなぁと思っていて・・・・

    なので、勝手に悦に浸って(悦に入るが正しいか)ました(笑) コレも昔の想い出の復習になるのかな。また達成(笑)

    ちなみに35年位前はこの反対側の場所にライダーハウスの「ウトログリーンハウス」があって、700円で泊まれました。2回使いました。夕方チェックインして、この夕陽を見て、というシチュエーションでしたね・・・暮れていく夕日を見て見て女の子とロマンチックに・・・ではなく、泊っていたのは野郎ばかりでしたわ(w

    (知床五湖の高架木道から。 2025-6-13)

    お次は知床五湖の高架木道から。なんか作ったような写真ですが、、、、なかなか見たとおりにいじってもなりませんな<色(笑)

    幼い木の位置とかの構図はたまたまです。

    少し日が高いのですがここも綺麗ですよ。ただし夕方の営業終了時間と合うかどうかが悩ましい所(時間が来ると手前でゲートが閉まってしまいますのでトリコにならないように(笑))

    (334号のプユニ岬展望台の看板の近く 2025-6-14)

    ウトロ市街地を出て、幌別橋を通り、坂の途中に「プユニ岬展望台」という看板があります。車が停められます。木々の間から海に沈んでいく夕日が眺められます。このあたり地平レベルなら1枚目の所、海の見下ろしならここという事かな。季節によって木が茂って来ると見晴らしがよくないのは裏摩周あたりと同じかな。開けてるところを探せば見られます。走って来る車には注意が必要です。

    (カムイワッカ 道路の終点付近の振り返り。2025-6-13)

    最後は前のページに書いた「カムイワッカ湯の滝」の行き止まりから見た夕日です。

    沢の音と時期によってはセミの鳴き声しか聞こえない中で沈む夕日を眺めるなんて贅沢極まりないシチュエーションじゃないですか・・?(^^)

    ほぼこの時間は誰も居ないでしょう。逆に誰も居なくてクマがいつ出るかわかんないですからこのご時世だと肝試し要素があるかも知れません。(ちなみに帰り道で道路上にホカホカのクマの糞見ちゃったけど・・)

    駆け足旅行だとこういう贅沢を味わうのはまず無理で、フリープランで来なきゃいけませんね。

    絶対一回は体験して欲しいと思っています。

    ===

    以上、「最果ての夕日は美しい」コーナーを終わります。
    次回は普通に旅ログ調子に戻ります。

    つづく。

  • 知床へ(12) カムイワッカの滝(カムイワッカ湯の滝)

    ☆旅行日 2025-6-13

    知床五湖を後にして。(南国土佐じゃないですw)

    車も少なくなった駐車場を出て、すぐに左に折れてダートに入ります。いよいよダートです(笑)
    昔はいっぱいダートがあったよな、、、、札幌から三笠経由で富良野行くときも桂沢湖より先はダートだったし、三国峠も峠の前後は深い砂利ダートだった。みんな公共工事の餌食になって?舗装されてしまった。もっともレンタカー屋なんか貸した車でダートで走って欲しくないだろう。昨年釧路で車借りた時には「レンタカーで河川敷に入ってとかバーベキューとかやめてくれ」とか摩訶不思議な事まで書いてあったよな、、、、(謎

    まあそれはそれとして、北海道の砂利道を走ってみたいという欲求がある方はそれなりにいると思われます。自分もそうです。なので公共事業でどこまでもアスファルトを敷いてしまうのはちょいとセーブして頂けると幸いです(笑)

    ===(少し脱線)=====

    この記事群を書き始めてからちょっとして、嫁様の高校からの友達が我が家にやってきて。彼女若い頃は北の大地をオフ車でさすらっていたらしく、このあたりの話もよくわかるのだそう。

    「岩尾別とかウトロの話って、わかる?」と聞いたら「わかるよ」という話して、今回行った写真を見せながらしばし大盛り上がりをしてた。

    「自分行った時岩尾別のYHの坂ってさ、ダートだった?」「うんあれは25年位前の話かなぁ~」

    「私春に行った時は最終のバス終わっててさ、ウトロから岩尾別まで歩いて行ったよ、迎えが来たのは宿の手前だったわw」

    「泊まった時は私ひとりでさ、ヘルパーたちと朝まで宴会してたわw、羅臼岳の弾丸もやったわ」とか、あといろいろ。

    いろいろ撮った写真を見せてあげて、自分が行った時と変わってしまっていた光景を見て感慨にふけっていた様子(笑)

    (カムイワッカへ続くダート。昔のままです。2025-6-13)

    この写真を見せてさすらい心に火をつけてやろうかと思いましたが、仕事第一に走り続けている人生のようでそこまでには至らなかったようです(笑)

    (ちなみに当時のバイクは家の倉庫で保管してあるそうですけどね)

    ====(脱線 ここまで)====

    知床五湖からカムイワッカ湯の滝まではダートなので走って20分くらいかな。日も落ちかけで薄暗くなりつつありまして、対向車もなく、横断道路分岐にあった電光板「カムイワッカ方面通行可能」の表示がほんとか不安になって来る。さらにカーナビが手前で「通行止め」の表示を出してる。どっちが本当なの?まあとりあえず行ってみようか?ということでゆっくり走っていきます。

    恐る恐る車を進めていくと不安は杞憂で、終点まで行けました。ほっとしました(笑)

    (終点 カムイワッカ湯の滝入り口です)

    時間は夜の6時近く。こんな時間にここまで来る人はいないでしょう、我々だけで二人占め?のカムイワッカです。ちなみに行った時は立ち入り規制中でした。7月から2か月間くらいガイドツアー参加の条件で滝登り(沢登り)が出来るようになっているのですが・・・。

    まあ行っても土砂崩れかなんかで滝壺が埋まってしまい昔みたいなおおらかな滝つぼ体験は出来ないようですが・・・・昔自分が行った時はたしかバスローブだけで入っている若い女の子とか居たよな(^^; オンネトーの湯の滝でもそうだった。昔は良かった、ほんと(笑)

    聞こえるのは沢の音だけで、あとは何もなしの超贅沢な時間と空間です。35年位前に来た時はYHの仲間とわいわいがやがや、車もバイクもそこそこいた夏の時期だったっけ。それはそれで楽しかったけど、今回は何もない贅沢をひととき味わう、というシチュエーション。地の果てで何にもない体験をする。そんな贅沢を同行者と同様に味わってる。(うらやましい?(笑))

    (道路の端から。一番下の滝つぼ。ここは湯に浸かるにはたしかぬるすぎたよね(笑))

    昔来た時はこのを上の方までの方まで登って行って、海パンになって湯に浸かったりとかして遊んだっけ。あれは自分が20代前半の頃だった。ヤマトの沖田艦長ではありませんが「何もかもが懐かしい」とか名ゼリフが出てきそうです。

    このあたりだと岩尾別の露天、セセキ、相泊、熊の湯、してこのカムイワッカの湯の滝、みんな昔のうちに入った。入っておいてよかった。これ以上の野湯は経験していないし今時行くとヒグマの餌食になるからやめとけとか言われるのがオチかな。まあ何はともあれ現地にたどり着けて、再びこの光景を落ち着いてみられたということに感謝しないといけないです、はい。

    (カムイワッカのゲート。)

    カムイワッカのゲートです。立派なゲートが出来ていて、4か国語で立ち入り禁止の看板までありました。
    昔はこの先、知床大橋(※今の国道の知床大橋ではない)までは行くことが出来ました。自分も行ったことがありますし、昔の思い出というかその経験があった方は(それなりの年齢の方は)多いと思います。も一つ言えば大昔はウトロから旧の知床大橋まで1日1本の斜里バスの路線バスがあって昼頃にそれが走っていた覚えがあります。ちゃんと時刻表にも載ってた覚えがある。この先は申請をして(か、ここにある入山届を書いて投函して)硫黄山に登る目的でしか入れないようで。

    いまここに来るには、お盆以外はバスの手段が無く、車かバイクなどで来るしか手段もありません。まあ昔と条件はほとんど同じなんですけどね。ここが地の果てのどんづまり、終点です。女満別を降り立って120Kmの所です。この先旧の知床大橋からルシャまで道はありますが、一般人はここまで。名古屋からバスと飛行機、車を乗り継いでここまで約1400Kmくらいですか。前日の今頃は職場のソーコに汗かいて居たのでそのこのギャップはなんぞや、という話でもありますわ(笑)

    さてこれで今日の観光メニューはすべて終わりです。
    何がお題だったっけ。まずは網走駅前で昔の記憶の呼び起こし。鱒浦で点火して、北浜で思い出の振り返りをして、ウトロは昼飯だけで(すいません)、岩尾別でまた昔の振り返りをして、知床五湖をゆっくり歩いて、カムイワッカまで来て。事前に考えたストーリー通りでほぼ台本通りの一日が暮れました。

    まあ昔の学生時代とか長期休暇が取れた前の会社の時なんかはもっとユルユルなプランやノープランみたいな旅も出来たのですが、今の会社では3日休むのがやっと、ほんとにやっと。今回も1夜行2泊3日で無理矢理時間をつくって来ましたが、ここに降り立ってマジ良かったと思ってる。何もない所、観光アトラクション巡り旅行的には来れない場所なんで来られてよかったと思ってる。ひょっとしたら自分もそれなりの歳だしも、もう来れないかもしれないし。今日は十分なログとりと記憶の焼き付けまで出来たのでもう言うことは無いです(笑) 

    またいつの日か、ここに来られますように。

    さあこれからウトロまで戻ります。今回はウトロに連泊です。旅行会社のダイナミックパッケージで組んだので今回はホテル泊り。夕飯はオーダーしていないので7時くらいまでには入れればいっか、で来たし、のんびり街まで帰ります。

    つづく

  • 知床へ(11) 知床五湖(その2)

    (五湖(5番目の~))。

    ☆旅行日 2025-6-13

    さてさて散策路を反時計回りに歩いて行きます。最初に現れる湖は五湖、上の写真の様に湖面に逆さ知床連山、森が綺麗に見られます。この日は晴れたり薄曇りだったりとかで写真の出来栄えというか写り具合とか言うのもバラバラ(笑)。こればかりは仕方が無いなぁ、、、、というところかな。

    (三湖。一番右が羅臼岳で、一番右の低い所あたりが知床峠。)

    五つ湖があってそれぞれ違う光景があるので時間があれば5つ全部ゆっくり回ってみた方がいいです、正直な所。

    五つ回って写真映えするのは五湖と三湖かな。知床連山と森が逆さに映る絵が綺麗に撮れるのはこの2か所かなぁ・・・高架木道で見られる一湖は湖面にスイレンが繁殖してしまい、このような逆さ連山を写真に映し込むことは場合によっては難しくなってしまっているようです(定期的に除去はしているようですが、上の写真の様に写真にキレイに収めようとすると5つ巡って仕留めないといけなくなっています)。今回は訪れた時期も良かったのか、いい写真を仕留めることが出来たようです。

    ちなみに上の写真2枚はiPhoneで撮ったもの。 カメラとしてはK3-Mk3とiPhoneだったんだけど、携帯電話のカメラの方が後処理のアルゴリズムががよく結果としての写りが良くて、一眼レフは補正前提の素材撮りカメラになっちゃってる、はぁ・・・という話です。iPhoneは単焦点カメラを数個搭載してますが、一眼レフのオマケズームよりは単焦点のカメラレンズの方がいいに決まってます。物事の理屈ってのはそんなものです。
    このシリーズの記事は基本横700pixelで掲載していますが、素材撮りならそんなにいいカメラは必要がないです。いじりがいのある(許容量のある)程々のデジカメと、見た目良くするレタッチの簡単な技量だけかな。あと写真にあった文章を書ける文書作成能力とか、、、、(自分が一人前にあるとはとてもでないけど言えないですけど(笑))

    森をゆっくり歩きながら自分は絵になるものがないかなぁと探しながら歩いて行きます。ちょっと変わりものです、自分。

    日の光を見ると「逆光は勝利!」とかへんな気持ちにスイッチが入って上のような写真を撮ってしまう。

    今回も、うまく行ったようです(笑)

    自分、映像の場面転換に使えるような素材とか撮るの大好き。撮る画像的にメイン処はあまりセンスがないかも、の人。

    鉄道写真だと回送とか普通列車の撮影にはめっぽう強かったりする(謎)

    なんかおかしいんですよ、自分(笑)

    ここで記念写真を撮って、ゆっくりフィールドハウスまで歩いて解散となりました。時間も午後5時を少し過ぎていて観光客もだいぶ少なくなっていてます。

    ちなみに今年の年賀状の写真もここで撮って抑えるものは押さえておきましたよ(笑)

    ここまで来て時計を見たらもういい時間。食事付きでウトロに泊まろうとするとガイドツアーの予約時間はどうでしょう、午後2時発くらいまでになるのかな。羽田始発便で来て経験者がコレなので、初便以外のフライトや初めての訪問や地理(距離)感覚がない場合は観光として知床五湖をめぐるのは2日目以降に回した方がいいのかなという話かな。このあと書きますが観光船知床岬コースとかも2日目以降のメニューですね。

    (※足がない路線バス利用でウトロ方面に帰ろうとすると時間的にはさらに制限がかかります。詳しくは各自お調べください。)

    なので始発便でない女満別に入る知床観光を絡めた場合の道東旅行は初日は網走・小清水原生花園・天に続く道とかをトレースして奥地に入っていく、というのが無理のないプラン立てと言えるでしょう。(距離的には東京から熱海に行くのに下道走って朝から観光できますか?という無理難題がわかるスケールになると思います)

    ======

    さてさて我々の旅は誰にも指図を受けない旅なので、このあと少し悩んだというか考えたあげく、カムイワッカに行くことにしました。

    奥の奥まではいかないと。自分は35年前の記憶の焼き直し、嫁様はがっつり観光の初日最後の一押し。距離にしたら片道10キロちょっとの話なので無理矢理最後の行先にねじ込みますよ。

    記事を書き始めて地の果てまでたどりつくまでに2か月もかけてしまいました(笑)。実際の旅行だと女満別に着いて8時間位しか立ってないんですけどね。決して尺延ばしでダラ書きしているのでも無くて、自分の気持ちの整理とかそんなことも含めて書いてたりする。まだこの先にも書きたいことが色々あるので、よろしければお付き合いの程を(^^)

    つづく。

  • 知床へ(10) 知床五湖(その1)

    (知床五湖の駐車場。2025-6-13)

    ☆旅行日 2025-6-13

    さてさて重い話とか思い出話を長々と書いてしまったので、また観光旅行記に戻りましょう。

    岩尾別の谷から少し走れば知床五湖です。手前でカムイワッカへの知床林道分岐がありますが、誘惑にかられず駐車場に向かいます(笑) ダートは条件反射みたいなものがありますが、我慢。(謎)
    駐車場のゲートで500円を払い、車を停めて身支度をしてフィールドハウスの受付に向かいます。空港からそのまま来たのでここからハイキング野郎に変身するのです(^^)


    繰り返しになりますが、知床五湖は確か自分3回目くらいかなぁと思うのですが35年位ブランクがあると昔のことなんか覚えていないです(笑) 多分1湖2湖しか行ったことがないと思うし、過去に行った時はあれこれ行きたかったのでじっくり回るようなことはしてなかったと思うので。

    駐車場の車の入りは半分位かな。相変わらずキャンピングカーが多い。あとレンタカーくらいかな。観光バスはこの時期この時間は1,2台くらいだった。

    見出し写真の様に知床連山にはまだ残雪。緑と残雪の組み合わせはやっぱり最高ですね。暑くもなく寒くもなくで多分やっぱり6月くらいはベストシーズンだと思います。(あんまし花の北海道というのは興味をそそられない自分なのです)

    (知床五湖フィールドハウス。ガイドツアーはこの中で受付。携帯基地局のアンテナは建物奥手の屋根に乗っかってるの、わかるかな?)

    昔はこんな立派な建物は無かったよなぁ、、、この建物と左には小さな売店、トイレがあります。携帯電話も基地局があり、スターリンクのアンテナもあったりします(^^; 携帯電話のアンテナは景観に配慮して低い位置にありましたね。自販機の中身は大半が(野生動物への配慮からか)殆ど水物でした。ガイドツアーへの持ち込み品は結構制限か配慮みたいなものがあるようでその辺は品ぞろえに関しては厳格さを理解する必要はあると思います。

    今回はガイドツアーに予約をしてゆっくりと5つの湖を歩いて回ることにしました。高架木道以外は時期によってフリーで入れたり、はたまたヒグマの活動期にはガイドツアーが入場の必須条件だったりしますのでHPなどでよく確認してからプラン作りをした方がいいと思います。今回の自分たちの旅行は今までの周遊型ではなくピン打ち企画だったのでここが本日のメイン、となります。

    (フィールドハウス内)

    自分達は予約をしてあったのでカウンターで手続きをしてチェックインをして、手前の椅子でガイドさんに声をかけてもらうのを待ちます。決済はガイドさんの端末で直接です。手持ちの携帯端末でクレカ決済なども使えるので何かと便利。こんな奥地でもクレジット決済が使えるのですから世の中便利になった物ですわ・・・

    予約だと五湖すべてを回るツアーはネットの手配で5000~5500円の値段になります(※参加したときの価格ですので実際には各自でご確認をお願いします)。靴は予約時のやり取りで事前手配なら価格に込みです。現地調達の人は少額(200円だったか)チャージだったような覚えが。レンタル長靴が要るか要らないかの話ですが、多少ぬかるんでいたりするところが天候次第であるので勧められたら貸してもらった方がいいと思います。(まあ道中ここだけのためにトレッキングシューズを持ってきたり道中ずっと履いてるとかいうのもこれまた考え物だとも思うし・・・?)

    ガイドツアーは五湖をすべて回るものは事前予約、2つ回るツアーは現地でも申し込みが出来たようです。自分たちは旅行予約を組んだ時(2か月くらい前)にオンライン予約をしてましたが、その段階でも程々埋まっていた感じでした。既述の通り時期によってはツアー参加でないとフルコースでは入れないこともあるので自由旅行をする際であっても押さえておきたいところは確実に押さえてからプラン作りをした方がいいかな、といったところです。

    ガイドツアーはまず8分の動画を見て熊に対する心構えなどのレクチャーを受けることが必須です。

    動画を見たらのタイミングで(上の写真の)「立入認定証」ってのが貰えます。

    この「立ち入り認定証」というのは調べると「自然公園法第24条4項に基づく立入認定証」のようですね。なかなか厳格な物のようです。(https://hourei.net/law/332AC0000000161

    裏面にガイドさんの名前、金額日時なども印刷されますので記念に取っておくと行ったぞ証明になるでしょう(笑)

    (ツアーに出発。10人参加者の最後部からの写真です)

    短い動画レクチャーをうけて反時計回りで五湖巡りに出発です。
    ツアーは10人ずつのグループです。3キロの道のりをおおよそ2時間半くらいかけて歩きます。所々で止まってレクチャー、写真タイムなどを取ってもらえますので歩く、聞く、写真を撮るのバランスは取れた構成になっています。レクチャーの内容は・・・この旅行の1週間後くらいにTVの「旅サラダ」でみた別のガイドさんが言ってたセリフもクリソツだったので多分お話内容や文言などは複数ガイド社どれも同じ何かな?ともあとで思ったりもします。

    今回はここまでとします。載せたい写真とかいっぱいあるのですがページ構成(写真と文章のバランスとか)考えると分割した方がいいかなと思うので続きは次回とします、すいません(笑)

    つづく

  • 知床へ(9)岩尾別にやって来た その2

    ☆旅行日 2025-6-13

    話の続きです。

    三つ目の思い出というか、岩尾別にタグが付いた話をします。
    ここからはこのページが絡んだ話になるので、できれば横に1ページ開くかタブを開けておいてください。
    (上のリンクをクリック)

    ======ここらは時間が3か月ほどバックします。=======

    今年の3月上旬の事、上のリンクのページの件で僕は関西某所を訪れていました。彼女(以下お星さまと書きます)の家でお星さまの過去のアルバムとかを見せて貰ってました。
    北の大地を旅していた時の写真がいっぱい出てきました。本来はそれは滅失してしまったとかきょうの会の前に伺っていて、だけど押し入れの奥に実はあって、行ったらテーブルの上にサルベージされたソレがあって。

    (本来はそのあたりの写真が無いのでもしあったらお星さまと皆さんが交流していた時の写真を持ってきてほしい、というリクエストだったんだけど(笑))

    その中で、今はお星さまな方が北海道を(多分一人で)旅している時の写真がそこそこの量出て来たのです。
    その日自分の旅仲間で来ていたのは僕ともう一人北海道のユースとか旅人宿なんかに詳しい人だけで、二人でアルバムを見ながら「ああここ」「こんな宿にも泊まって旅をしていたのか」というふうにアルバムを眺めていたんだけど、ある1枚をみてお互い「おっ!」という話になり。
    「これって羅臼岳の山頂だよね・・・・じゃあ、岩尾別(ユース)か?!」
    お互いの認識は一致しました(笑) 多分岩尾別YHの日帰り弾丸登山に参加して、その時の写真だろう、岩尾別かぁ!という会話になりました。それはふたりともここを通っていったからわかる話なので。(自分は体力のない人間だったので山には登ってません(笑))

    羅臼岳に旅人さんのような半軽装で登ろうとすると、当時は岩尾別ユースを早朝に出て、5時間位かけて?昼に山頂に到達してその後下りてきて連泊、というのがお決まりのコースだったと記憶しています。ユースの夜の会でもネイチャーウォッチングボートに行く人、羅臼岳ツアーに参加したい人、とか数を取っていた記憶がありましたし。正確な話は分からないけど多分そうだろうな、という話をきょう(今回の旅の前)の3か月ほど前に交わしていたのでした。

    そして僕は写真の日付けを見ていました。1994年の8月末頃の日付けが写し込まれている。

    ああそういう事か。なんか「記録と記憶が繋がった瞬間」を感じました。
    30年前に(3月に訪れた親御さんの)居宅で聞いて書き留めていた話、そして3月に偶然にも貰った一冊の本(親御さんの書いた薄い本)を頂いて、そこに書かれていたこと。

    (オブラートに包むむようにモノクロで。親御さんが書いたその薄い本。)

    彼女はいろいろ仕事等疲れ果てちゃって、仕事を辞めて旅に出て、南の島に行き、次は車で北の大地を回っていたようで。

    書物によるとそれ以前からユースの会員証を取ってその系の旅はしていたのかな、という感じの人だったよう。

    道東などを回って~岩尾別あたりを通って道内のとあるとほ宿に長期滞在していて、そこで自分達と面識を持ったというストーリー。それがその写真の僅か半月後(9月中旬)だったという話。(余談だけどヘルパーだと思っていたけど半ホスパー(お金を払って泊まっているのにヘルパーみたいな事をやっているホステラーとヘルパーの間になっている人を「ホスパー」と昔からいってる(笑))状態だったらしい。)

    他方、自分は2度目に訪れたウトロの街の某土産屋でちょっとお手伝いをして、そのギャラで「とほ」を貰ってそこでYH以外にもおんなじようなユース民宿があるのを初めて知り、その宿に泊まってお星さまの事を知ることになる。
    (その話はこの後に回を設けて書くことにします。)
    自分その頃はどこでも写真パチパチな人で(ネットも携帯電話もない時代、一眼レフカメラやっていたらそこそこ仲間内ではポジションがあった時代)、当然彼女も写真にそれなりにうつっていたんだけど、写真にしていみるとなんか違う感じを受けるな、と思って(そういうのは写真をやっていないと「なんか雰囲気違う」というのはわからないもの。彼女はそんな人。)

    その後2回くらいみんなで飲み会とかやってその人とはお互い「あ、あの時の〇〇さん!」という面識を持って。彼女の方が2回目にあった時僕のことをしっかり覚えていたような記憶がある。普通ヘルパーとかだと1日それなりの数の客が来るからたった1泊2泊した客の事なんて覚えてないだろう、けど違ってたみたい。そして住所交換して写真送ってあげた記憶があるの。

    その頃は男女の分け隔てなくみんな大人数で交流していたんだけど、その期間はわずか半年くらいであっけなく幕引きになってしまって。(くれぐれも僕の彼女でも何でもない人ですヨ)
    それだけの話なのですが・・・・・人としての印象と幕引きが強烈すぎたため、多分引きずっている、、、、はい。

    ========そして時間が戻ります・・・============

    (右が羅臼岳。元ユースの前から。2025-6-13)

    それから(岩尾別ではなく道内某所で出会った話から)30年経って、写真再発見みたいな上のような話になって(そんな話が出てきたか、という言い方が正しい?)、そしてきょう運良くこの地を訪れて約35年経ってそんな話をもって、ここ岩尾別に来てしまった・・・・。勝手に発生した思っている宿題の清算に来たような感じの自分。

    ここに来れたのはたまたま偶然というか別のファクタ(嫁様がどうしても知床!と数年言っていたので願いをかなえてあげた)があって来れた話なんだけど、それも奇遇というか意味のある偶然の何とかというか。

    ここでそのお星さまと出会ったわけではないのです。ただ自分の旅人生でタグが付いていてそのいくつかがここだったという話なのです。お星さまと共通のタグが付いていたうちのひとつはここ岩尾別だったという事。ただそれだけなんだけど。

    不思議なんだよね、この記事を書き始めて、これまでに書かれたこと、今ここにいる事のすべてこのあたりですべて交わってる。何かの不思議?偶然それとも事実?言葉で言えばシンクロニシティという単語で表せるのかな。

    そんなこんなの話で、話の棚卸は済んだのかな。書いて随分気が軽くなりました。30年経った話で区切りを付けようと思ったらまた違う話が出て来て、そして北の大地に来てもう一区切りつける話?になってしまった。

    この手の話はモヤモヤ燻っているよりは現地に行ってスッキリさせた方がいいのでしょう。誰にでもそういう話は(旅の思い出にかかわらず)あるものだと思います。年を重ねていくとこれからそういう焼き直し系の旅をしたり、そういう事をすることが多くなっていくのでしょう。それはそれでいいと思ってます。いつまでやれるのかはわからないけど・・・。

    さてさて。思い出話はここで終わり。上の写真の坂を上っていくと数分で知床五湖です。

    知床五湖は知床の旅のハイライトの一つ。自分も何回目だろう?片手に収まる回数だけど訪れるのは(くどいようだけど)35年位前の話です。どうなっているのかな。隣にはおはじめサンが乗っているのですが、あまり先輩ぶらずに抑え気味で?車を再び進めます。

    つづく。